
「マイノリティデザイン」というまぶしいほどの快進撃
こんばんは。
今日2度目のnote…お休みのうちに書けるだけ書きたい。
かれこれ3か月ほど経ったのでしょうか?この本を読んでから。
読んで間もなく感想を書いたブログ。
マイノリティデザインの著者、澤田智洋さんが進めているゆるスポーツやその他の活動に通底しているマインドセットがある。それは頭で考えて理屈から行動や共感を促すのではなくて、「楽しい!面白そう!」をとっかかりにするというもの。これが「仕掛学」という学問が目指している仕組みにも共通しているような気がしたので、ブログではそれにも触れています。
このブログからさらに1か月半ほどが過ぎた今、再び本の頁をめくってみると、読んだ直後の感激をまた少し俯瞰して見てる自分がいました。
澤田さんは、強さでなく自分の弱さを起点に「楽しい逆襲」としてゆるスポーツを発明して、多くの人に喜ばれあっという間にゆるスポーツ人口を増やすという快進撃をやってのけて現在進行形(笑)。
ああ自分もこんなことやりたいという人のために自分を分析する方法を丁寧に書いてくれています。
その分析のはじめの一歩。それは「マイ・ベスト喜怒哀楽」をリストアップすること。自分の人生で、いちばんの喜び、怒り、哀しみ、楽しみをあげる。
じゃあということで私もやってみたのがメモとして頁に残っていました。
喜:父ちゃん、息子、犬のパブロフが元気にいつも通りに暮らしている
怒:
哀:父ちゃんが病気になったこと
楽:犬のパブロフと毎日散歩すること。犬の勉強をすること。
ごらんのとおり「怒」が空欄。怒りがないってことじゃないんです。誰も見ない私だけのメモだとしても、「怒」だけはどうしても書けないなと思ったんですね。そこで気がついた。澤田さんが、ゆるスポーツに辿り着けたのは、この「怒」のところが決定的に違ってるな、私とは。
澤田さんの「怒」は、息子さんの目を見えなくした神様を恨んだことでした。
それって、特定の悪者がいない。
もちろん、障害のあるお子さんが生まれたことで心無い言葉に遭遇してしまったりしたかもしれないのですが、その言葉を放った特定の個人への怒りではなかった。
私の「怒」は特定の個人に向けられたもので、ちょっと外では言えない。いい年になったっていうのに、そこは全然昇華されないまま生きている…そのことに気づいちゃった。気づいちゃったら、なんだかそのことじたいが悲しくなってきちゃった…となんか暗い話になってしまいました。
この話は気持ちの良い着地点がないまま、もやっと残ってしまいそうだけど、それもまあ私の日常なんだなってことで、ありのままに受け止めておきましょうね。
こんな心持ちになりつつ、マイノリティデザインを見ると、それは本当に目もくらむようなまぶしいほどの快進撃ですねってわけでした。
読んでくださってありがとう。