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くっつく、肌に触れる

今日ふと、思ったんです。
ちょうどお風呂から上がってタオルを頭にバサっとした時に。
どうも、ふとたまたまマガジンです🙋‍♀️

先日、5歳が高熱を出しました。
さっきまでものすごく元気だったのに、急に大人しくなって、寒いと言って、38.5。
夜から朝方まで39.5まで上がりました。
(もう治ったのでご心配なく🙏🏻)

高熱でもいつもおとなしいだけで、ひたすら眠るタイプなのですが、今回は辛そうにシクシク泣きました。
どこか痛いかと聞けば、泣きながらちゃんと首を横に振り、ただ高熱で身体がよじれるほどうずいて、つらそうでした。解熱剤使って、頭と両脇、首の下を、交互に冷やしました。

その中で1番彼が落ち着いたのは、あぐらの体勢で私の太ももと腕に身体を乗せて、抱いて歌を歌った時。
歌以外に、お熱いやね、つらいね、今バイキンやっつけるのに身体ががんばってるからね、大丈夫だよ、熱いね、大丈夫だよ、愛してるよ、などの声かけ。

久しぶりに、赤子をあやすような時間があり、くっつくことで安心する姿を見て、改めて肌を触れてくっつく効力を思い知りました。

抱っことかあまりしなくなってきたから、うっかりその選択肢を忘れてたような感覚にひやっと。

5歳は割と大きい。
身長は110位で、体重は20キロ弱。
抱っこするには大きいから、寝具に寝かせたまま、冷やしたり、トントンしてあげたりする。

辛そうで泣いている時、
そのまま落ち着くまで横にいてあげるのか、
抱き寄せて眠れるまで腕の中でくっつくのか、
添い寝してあげたり、
人によって接し方はそれぞれだと思う。

ふと思ったのは、ミスマッチのこと。
(やっと本題)
人と肌を寄せることが苦手な人もいる。
善悪の話をするわけでなく、単なる性質のお話です。
他者とくっついたり、肌に触れるのが苦手な親と、同じ性質の子の場合は、お互いに自然だろう。
親子のどちらかが、苦手で、どちらかがくっつきたい場合、苦手側は嫌気がしてストレスに感じるだろうし、くっつきたい側は埋められない寂しさと愛着の問題を抱えるかもしれない。

でも、親子だけでなく、色んな場面で、こういうミスマッチって起こるよなあ、と。
(1人時間が必要な人と常に一緒にいたい人、とか、販売能力が高い人が分析資料作る担当だったりとか)
わざわざ何でそんなミスマッチと?と面白いくらいに、わざわざミスマッチがマッチングして、困っちんぐしてるの図、たっくさんある。

世の中、そんなもんなんかな?
ミスマッチからの脱却的ストーリー、多過ぎやしないか。

学んだ先に、ナチュラルにマッチすることが出来るのだとしたら、まず自分がアンテナ正常に働かせてこれは好きこれは無理と自己理解し、そしてそれを堂々と誰に対しても、私はこういう者です✨と言えるのが、始まりでしょうか。

みんながそうしていると、周りの人にも、子どもや他の世代にも伝わって、ミスマッチが減っていくのかしら。

しかし、ミスマッチしたとき、苦手側が苦手じゃないかも、くっつくの案外癒されて良いかも、べったりはだめだけどこういうくっつきかたならいいかも!とか言って、路線変更することだってある。
苦手でものすごい嫌だけど、頑張ってたら才能開花したとかもあるし😛

ややこし!笑

という、ふとたまたま考えたことでした。

ちなみに、私個人としては、くっつくことは安心や安らぎ、情緒の安定や各種感覚の発達に繋がると考えている派ですが、他の在り方を否定するつもりは全くございません🙇‍♀️

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