私も言ったじゃん
2024.1.14
今朝7:30あたりに満月でしたね🌕
今夜ご飯を食べ終わって、子らに「はい次の口食べてー」と促しながら、ふと「あっ」といくつもの過去のワンシーンが連なって一気にドーンと上映された。
どうも、#ふとたまたま マガジンです🙋♀️
よくもまあエイリの歴史の中で、そのシーンだけピックアップしてレイヤーをいくつも重ねてまとめたな、というくらい、ある共通した展開のシーン。
「それさっき私も言ったんだけど」とか、
「同じこと前に私も伝えたんだけどな」という。
1番古い記憶は、小学生の頃。
これはずっと覚えている記憶。
内容は忘れたけど、母親に一生懸命何かについて伝えたら、へーっと聞いてくれた。
その後すぐ兄が来て、私が伝えたことと同じ情報を母に伝えたら、「えー、そうなの?知らなかった!すごいねえ」とハイテンションでリアクションした。
「え、今さっき同じこと私言ったんだけど」と訴えたら、「そうだったっけ?」と言われた。
そんな記憶。
男兄弟への母の態度と、私や姉への態度が、明らかに違う母だった。(今はみんなに優しい)
この体験から、私はお腹の子が女の子だとわかった時、乾燥が無くて、無言で帰宅した記憶がある。
生まれて来たら超かわいいマブダチみたいな子だったけど!
今回はその男女差ではなく、
同じことを伝えたのに私の声はその人の心に届かなくて、別の人が同じことを言って、それをさも嬉しそうにその人が噛み締めている、というシーン。
ジェラシーとも言えるけど、どちらかと言うと、力不足を感じる感覚。
あとは単に好き嫌いや、受け入れやすい相性というどうしようもないものに対する、哀しさかな。
(私は超絶フラットなので、嫌いでもフラットに受け入れれるから尚更)
他者ってコントロールできないから、どうしようもない。
学生時代の友人関係、かつての交際相手、
夫と友人、職場の上司部下、色んな関係性で何回も体験した。
女の上司に言われたくないとか、
女の部下に言われたくないとか、
年下に言われたくないとか、色々あったな笑。
その体験の中で、人に期待しないことや、私が伝えたいと思うことは、誰かも伝えたいことだし、その人が受け取る時がベストだから、私はボールをなげつづけるだけ✨と、へそまがりもなく、とっくに理解して、なんの負の感情もなく、当然のことよね、とわかるようになっていった。
だから今は何とも思わない。
なのにさっき、それ私は去年伝えたけどな、というシチュエーションがあって、
懐かし!!!!
と心の中で叫んだ😆
私も人の話を覚えてたり忘れたりするから、当然母も他の人たちもそうなの。
でもまあ伝わると嬉しいよね😃
というお話✨