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続 上とか下とか

1/9に以下の記事を書きました。
たくさん読んでくださりありがとうございます。
この時は、“他者が私を上とか下にする視点“についてをメインに書きました。

また新たに、おおおと気付いたことがあったので、ふと書きたくなりました。
どうも、#ふとたまたま マガジンです🙋‍♀️

今回は、①“私が他者を下に見る“、②“私が他者を上にする“、言い換えると“自分を下にする“件について、書きたいと思います。

前回の記事に「かつては人を下に見ることがあった」と書きました。
これについては実は補足があるのですが、「どうせわかってくれないでしょ」が根本にあったからです。
私の脳内は多動で、私が苦手なことでなければ、目の前の困った状況や誰かが「これってこうですよね。。。(どうしましょう)」みたいなことがあると、すぐ解決に向けてフル回転し、必要なアイテムを検索し、問題解決を提案するところまでやってしまうんです。
ある程度の年齢までは、説明するコミュニケーションが拙くて、わかりづらく、相手がイラついたり、理解してもらえないもどかしさでこちらがイライラしたり、そんなアウトプット問題もありました(今は平和です)。

また別の問題として、説明するのが面倒だったり、結局全部私がやることになったり、自分のタスクに時間が足りなくなり残業になったり、自己犠牲になってしまうことが多かった体験があります。

脳みそが解決に向けてシャカリキ動くことは、ただの反射神経や気にかけている範囲が広いとか、そんなことの結果なので、誰も悪くなくて、オフィスでは自分の仕事に集中したり、私が手伝わなくても良さそうなことには首を突っ込まない、興味を持たないw、スルーする、最初の二つくらいだけ提案する、自分の余裕がある時には全力で手伝う、など、自分のエネルギー配分を調整することで、自己犠牲は減り、快適になりました。

やらなくていいことまでやっていましたし、気にしなくていいレベルで気にしていましたので、疲弊してたけど、今は快適です。

話を戻すと、「どうせわからんでしょ」には、めんどくさーいとか、自分で調べたらできると思うなーとか、そういう自己犠牲ののちに構築された“人を下に見る“ような状況があった、ということです。
今は、自己犠牲が減り、自分が快適だし、余裕がある時はお手伝いして、下とか上とかない、とってもフラットニャウです。

長くなったので、②“私が他者を上にする“、言い換えると“自分を下にする“件については、次の記事にします笑
ほんとは②を書こうと、noteへ来たんだが!!!!(とっ散らかりmeあるある)


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