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透明なあした(短編映画原作)

 こちらは、宮田ダイキ監督のオムニバス短編映画『透明なあした』の原作小説です。どうぞお楽しみください!




【あだけじゃん】

 あきとは友だちを部屋に招いたことがない。こだわりのある自分の部屋を物色されるのがいやだったからだ。しかしなぜか不本意ながら、本日初、招き入れることとなった。クラスメイトのあつしである。眼鏡でおとなしそうなやつだから、きっと部屋のものに触れたり馬鹿にしたりはしないだろうという、根拠のない安心感があった。ひとは見た目が九割というが、外見の情報は正しくもあり、間違いでもあるとしみじみ実感することになるあきとなのであった。あつしに「座って」と促し、コレクションのひとつのプラネタリウムをつける。季節はまだ先の夏の大三角が映る。あきとは夏の星座に思い入れがある。
「好きなんだ?」
 あつしが指差しながら問う。
「うん」
「へー。意外とロマンチスト」
「意外とって。いいだろ別に。つーかお前のほうが意外」
「おれ?」
「喧嘩とかするんだなーって」
 あきとがあつしを招いたのには経緯がある。部活動を終えた帰りに偶然にも目撃してしまったのだ。あつしが殴り合いの喧嘩をしていたのを。怒鳴っていたのも意外すぎたから尻込みしてしまったが、あきとの性分が見過ごせなかったのである。ついついマツキヨで絆創膏やら湿布を買い、世話をやいてしまったのだ。そしてはじめて自分の部屋へ他人を招くことになった。
「まぁ、眼鏡だからって真面目なわけじゃない」
「確かに」
 いわれてみれば当然だとあきとは考えを改めた。自分と他者の境界線を思う。あきとは自分のことをこのうえなく平凡な人間だと思っているが、他者からみた自分は随分とチャラついているような印象を持たれる。溝を思う。しばしの沈黙。ふたりはそれぞれ視線を変えたりスマホを弄ったりした。あきとは空をみあげた。大好きな夏の大三角を。
「仲よかったんだけどさ」
「ん?」
 ふいにあつしがくちを開いた。
「喧嘩したやつと。最近急に態度変えられてさ」
「そりゃムカつくわ」
「だろ?」
 そして沈黙。相談ごとというほどでもないが、こういうときの解決策は未だによくわからない。それでもあきとはあきとなりに考えた。
「……なんか理由があんのかな」
「さぁ」
「聞いてみりゃいいじゃん」
「今さら?」
「案外、誤解かもしれねーじゃん」
 再び沈黙。的外れだったかもしれない。それでも。
「今さらってことないよ」
 あきとは伝えたかった。自分の考えは伝えるべきだと常々思っているからだ。
「……お前ってお人好しだよな」
「そうか?」
 思いもよらぬ言葉に照れるあきとだった。
「そうだよ。たいして仲よくもないクラスメイトを家にあげて、なんか話聞いてくれるし」
「それってお人好しなの? 普通だけど」
「普通じゃねーよ。すげーことだよ」
「そっかな」
 そうだよ。承認が返ってくる。あきとはむず痒い。あつしの表情もやわらいでいるようにみえた。
「そもそもおれの下の名前知ってる?」
「あつしだろ。あ、おれあきと。ちょっと似てる」
「あだけじゃん」
 単純だと思われただろうか。だけどあきとにはどんな印象でもいいやと思える気楽さがある。あつしも薄く笑っていた。あきれたようだけど少しは気を許してくれたような、そんな笑みなのであった。あきとは気分がよかった。
「あー……、あのさ、おれも今微妙なんだよね」
「なにが?」
 あきとはずっとうちに秘めていた悩みを漏らしていた。たいして親しくもないあいだ柄だからこそ、いってみてもいいと思えた。
「気まずいなーって思ってるひとがいて、でも会いたくないわけじゃなくて、でもなんか緊張するっていうか、別にイヤなわけじゃなくて、なかよくしたいとは思うんだけど、」
「彼女?」
 当然のように疑問が返ってくる。
「違うけど、好き? なひと」
「疑問形」
 あきとはなぜか、かーっと頰が熱くなった。誰にもいえなかったことだから、言葉にすることでかたちが明確になってしまった気がしたのだ。うんうん唸る。頭を抱える。最初は普通に話せていた。いつのまにかうまく話せなくなってしまった。どうしてだろう。考えても考えてもわからなかった。ある日突然、隕石がおちるように意識してしまって、逃げたくなった。だけど、そばにいたいのもほんとうだった。自分の振り子のような感情に、あきとは戸惑うばかりだった。
「……どんな感情かわかんねーんだけど、大切にしたいひと」
「へぇ」
 あつしは相槌を打ってそれきりだ。笑っているような気がする。あきとは顔がみられなかった。もっときいてほしいような、ほしくないような気持ちだ。ただ、隣で静かに星を眺めてくれるあつしに、あきとは感謝した。



【かっこいいね】

 あつしには女友だちがひとりいる。友だちと呼んでいいのかはわからなかった。比較対象がないので、この気持ちがなんなのかうまく説明できなかったからだ。歩きながら彼女のことを考える。確かあの制服は女子校だったはずだ。音楽は少し前に流行った曲が好き。歌謡曲のカバーも。共通点はひとつだけ。音楽が好き、ということだけだ。落とした片方のワイヤレスイヤホンを拾ってあげたのがきっかけで、通学路がたまたま一緒だったというだけで、なんとなく、少しずつ、近づいていって、会うのが楽しみになっていた。そういえば、と、あきとのことを思いだす。どんな感情かわからないけれど、大切にしたいひとがいる。自分でも理解できない感情をいいきってしまうクラスメイトに、随分と衝撃を受けた。
 互いの学校の中間地点。公園に辿りつくとつむぎは既にベンチに座っていた。子どもたちの笑い声をききながらあつしは彼女に向かって歩いていく。躊躇わないように。頰が緩まないように。
「なにその顔」
 怪我をした顔のことを指摘したのだとわかったが、一瞬、内心を悟られたのではないかとあつしは焦った。まぁまぁまぁ、とあつしは手を仰いだ。
「かっこいいね」
「怪我が?」
「うん」
 なぜ男という生きものはかっこいいといわれただけで気分がよくなってしまうのだろう。つむぎのツボが一体どこにあるのかは正直理解できない。だが満更でもなくあつしは隣に座る。わかんねー、といいながら。
「ねぇねぇ、今ハマってる曲」
 つむぎは無邪気に片方のイヤホンを渡してくる。ふたりにとっては、はじまりのイヤホンだ。ドキッとしたのを誤魔化すようにあつしは少し乱暴に手に取る。
「へー、いいじゃん」
「でしょ?」
 軽快な音だ。あつしもきらいじゃない曲調だった。最近のものではない。五、六年前に聴いたことのある曲だとあつしは思い返した。
「かわいい」
 勇気をふりしぼって言葉にする。ただの曲の感想につむぎはどう思うだろう。
「でしょ。教えてもらったの」
 つむぎの反応にあつしの思うような手応えはなかった。
「誰に?」
 つむぎは笑うだけだ。とびきりの笑顔を向けられて、あつしは目を見張る。それから瞬きを数回して俯いた。つむぎといると楽しいけれど、少し、痛い。うれしいけれど、少しだけ切なさも感じてしまうのだ。
「……おれもオススメあるんだけど」
「なに―?」
 さらにつむぎは破顔する。ほころぶ顔がかわいいとあつしは思う。自分のイヤホンをつむぎに渡し、触れた指先にあつしはピリッとするのを感じた。やっぱり、彼女に触れると痛いのだ。だけど、今はそばにいたい。いいね。こういうのも聴くんだ。サビ好き。つむぎはあつしの心情もおかまいなしに、素直な感想を述べる。音楽に、夢中になっている。



【そういうとこ】

「つむぎ、来るのはいいけど事前に連絡してよ」
 まなみは絶対に怒鳴ったりしない。怒るような場面でも、やさしく諭すのが彼女の性分なのだった。妹のつむぎはそんな姉が不可思議でしょうがない。とても同じ親から生まれおちたとは信じがたい。にこにこ笑いながら夕食を準備してくれるまなみに、つむぎの気持ちはざわつく。お腹が減っているからだと思いたかった。
「したよ。お姉ちゃんがみてないだけじゃん」
「今からいくって急すぎ」
「ごめん。気をつける。今度から」
「それ何回目?」
「えへへ」
 テーブルにオムライスとサラダ、ミネストローネが並ぶと、どうでもよくなってしまった。我ながら単純な脳みそだ、とつむぎは思った。
「今度はどうしたの?」
 まなみの口調はやさしい。思えば昔からそうだった。
「別に。お父さんテレワークでずっと家にいるんだもん。お母さんも最近うるさいし」
「贅沢な悩みだね。ちっちゃい頃は遊んでもらいたくて泣いてたのに」
「昔は昔。今は今。距離感って大事じゃん」
「わかるけど」
「でしょ?」
 いただきますと手をあわせる。向かい合って食をともにすることは、最近では両親よりも多いかもしれない。つむぎはオムライスをくちに運ぶと一瞬でしあわせになってしまう。うまっ、と短く呟いて、ミネストローネのカップにくちをつけた。
「近すぎるといろいろわかんなくなっちゃうんだよなぁ」
 ふとまなみの声が響いたので、つむぎは顔をあげた。特別おおきな声ではない。なぜか胸に響く感覚があったのだ。哲学的なことはつむぎにはよく理解できなかったが、姉のいう感覚は十七年という短い時間を生きていても、身に覚えがある気がした。
「お姉ちゃんはさ、お父さんとお母さんがイヤだったことないの? 文句いってるのきいたことない」
「んー。あるにはあったけど、いわないようにしてたかな。家族の前に、ひととしてね。悪口って後々全部自分に返って来ちゃうと思わない? 血が繋がってても、親は親。自分は自分。だからこそ、思いやりが必要」
「先生の模範解答だ。あたしが悪いやつみたいじゃん」
 姉のまなみは高校教師だ。だから寛容なのであるし、多角的にものごとを観察できるのだとつむぎは思っている。
「これはわたしの思ってることだから、つむぎはつむぎのままでいいんだよ」
 先生だから人徳があり、自分よりも優れているのだ。
「お姉ちゃんといるとたまに苦しい」
「そう? わたしはうれしいよ」
「そういうとこ」
 まなみがめずらしく苦笑してみせたので、つむぎの心臓はますます締めつけられた。先生だから優れている。そう思いたかったけれど、つむぎはほんとうはわかっていた。まなみがまなみだから、そのままのまなみだから優れているのだということを。
「ごめんね、性格です」
 それをまなみは彼女自身で理解している。自慢の姉だとつむぎは思う。
「知ってる」
 ふふ、とまなみがやさしく笑う。ただただうれしいのだと、しあわせなのだと彼女は笑う。つむぎは再びミネストローネを味わう。カップにくちをつけていないと、子どもみたいに臍を曲げているのがバレてしまうと思ったからだ。この姉のことだから、とっくに気づいているのだろうけれど。はなうたを歌うように、まなみはオムライスを頰張る。しあわせが溢れ出るのをつむぎはみた。
「……最近楽しそうだよね」
 そして言葉にする。さっきまでの劣等感は消えていた。だってこっちまでしあわせな気分になってしまったからだ。自然と口角があがる。オムライスとサラダ、ミネストローネは、ふたりのしあわせの味だ。
「うん。楽しい」
「恋人できた?」
「そんなんじゃないけど、」
 まなみはとても穏やかだ。絶対に怒らないし、声も荒げない。昔からそうだった。先生だからじゃない。まなみはまなみだから、やさしいのだ。ひとを優しく包み込んでくれるひとだ。
「今そばにいるから、大切にしたいひと」
「ふうん」
 つむぎはにやにやと姉の姿をみつめる。気づいているのかいないのか、まなみはおいしそうにオムライスを食べている。夢中になっている。やさしい姉が大切にしたいと思えるほどのひとって、どんなひとだろう。つむぎは想像するだけでうれしくなる。そのひとも、姉のことを大切に扱ってくれているといいな、と思いながら。



【そばにいてくれるひとの幸せを】

 校庭をゆっくりと歩きながら、まなみは幸福感に包まれていた。深い呼吸をして、一歩一歩地面を踏みしめると、生きている心地がするのだ。ひらりと舞う桜によろこびを感じて、肩についた花びらを掬う。ポケットに入れて、屋上へ向かおう。まなみはきっとそこにいるであろう人物の顔を思い浮かべ、さらにくちもとを綻ばせた。
「よっ」
 案の定、彼は手摺りに寄りかかっていて、きっと来るであろうまなみを待っていた。あきとは隣のクラスの生徒だ。ブレザーの下にパーカーを着込んでいて、普段からのお洒落さがうかがえる。まなみには寒そうにみえたし、緊張しているようにもみえた。いつまでも自分に慣れてくれないあきとに、まなみは笑いかける。
「っす」
 短くぶっきらぼうな挨拶が、かわいい。くちにはしないけれどまなみはそう思っていた。
「今日あったかいね」
「ですね」
「春だね」
「はい」
「風が気持ちいいね」
「はい」
「どう? 前いってた好きなひととは」
 緊張をほぐすように何気ない言葉を投げかけて、次第に距離をつめていく。冷たい手摺りに寄りかかりながら、まなみは空を見上げた。あきとは空が好きなはずなのに、まなみと話すときは俯きがちだ。
「うーん、……微妙っす」
「微妙?」
 消え入りそうなあきとの声に耳を傾ける。そっか。短く相槌を打つ。確か屋上で彼が泣いていたのをみかけたのがはじまりだった。まなみは思いだす。それから相談に乗った。好きなひとの。好きだったひとの。今となってはあきとのなかで変化があったようで、徐々に柔らかな感情が自分に向けられていくのに気づくまなみだった。だけど“想い”というのは自分自身でもわからない。どんな感情が芽生えて、どうなっていきたいのかは彼が決めることだ。まなみはそっと見守ることに決めた。まなみ自身にも、この感情がなんなのか明確ではない。この歳になっても自分のことはわからないのかと、落胆しそうになるけれど、まなみは自分の気持ちに正直でいたいと思っている。
「……まなみ先生は?」
 その声は、きっと、とても勇気を出したのだろう。まなみはやさしく笑いかける。あきとは瞬きしながら、目を逸らすまいとまなみをみつめる。
「食べる?」
 ポケットからリンツのチョコレートを取り出す。まなみが贅沢したいときの最高のおやつだった。
「……あざっす」
 腑に落ちないといった表情であきとは受け取る。小突いてやりたいような眉間のしわ。指先が少し触れる。冷たいけれどあったかい。まなみはあきとにただやさしくありたいと思う。どんな感情かわからないけれど、大切にしたいと思うのだ。
 包みをあけてリンツを頬張る。ふたり並んで、静かに食べる。しあわせが広がる。まなみは今、人生で一番しあわせを味わっている。こんな平凡な日々が、しあわせだと感じる。遠慮がちに包みをあけ、チョコレートを食べはじめるあきとはどうだろう。なにを感じているだろう。まなみは思う。いくら自分がしあわせだからといって、隣にいるひとがそうとは限らない。悲しいかな。まなみの性分がそうさせる。それでも、伝え続けたいと思う。
「私は楽しいよ」
「え?」
 驚くあきとの表情がかわいい。緊張しているのに決してそばを離れないあきとが、かわいい。おしゃれなあきとがかわいくて、かっこいい。込み上げるのはまぎれもなく愛しさ。恋でもそうじゃなくても。
「いつかわかり合えるといいね」
 まなみは笑う。とびきりの笑顔。今そばにいてくれるひとの、しあわせを願う。きっと柔らかく、溶けていく。まなみは信じている。やがてあきとの表情が緩んで、破顔する。

「……はい!」


(了)

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常世田美穂
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