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怒りの研究

これは「怒り」に関する個人的な備忘録です。
怒りに振り回されてしまう自分をどうにかしたくて、書いています。

記事は完成形ではなく、何か気づいたことがあれば追記していく形で更新し続けていきます。

読んでくださる方への注意
書かれていることは全て、個人的実体験に基づいたものです。
主語がない文でも、主体は僕であり、ここに出てくる「親」「子供」なども、僕や僕の子供のことを指しています。「一般的にこうである」とか、ましてや「人間とはこうである」と考えて書いているわけではありません。あくまで、そう感じる人間がいるのだという程度で読んでください。


子供に言うことを聞かせることと、ブレを許すことの境界線(2022/12/05)

「 規則と慣習が支配する社会は個人にほとんど配慮しないことを学んだ」

Humankind下巻 p68

資本主義について表現された部分だけれど、個人の生活に当てはめてみると、こんな風にとれると感じた。
「子供を管理するために規則や慣習で埋め尽くしていくことと、子供の感情やわがまま(に思えること)を尊重しようとすることは、反比例する。」
あれをしないで、これをしないでと言ったり、いうことを聞かせれば、親としてこちらは困ることが少なくなるし、ストレスもへる。そうすることで、子供に対して気持ちよく接せられる時間が増えるとも考えるかもしれない。でも、そうやって管理(コントロール)することが増えれば、子供の行動や感情は規則という箱の中に収められがちになる。親(自分)もそうしがちになるし、子供も意識的にせよ無意識的にせよ、そうする恐れがある。それは、子供との生活に親的なノイズを減らすということだ。ノイズを減らすことは、画一的にするということだ。子供の行動や感情はどんどん画一的になるかもしれない。管理と引き換えに、子供の行動の幅や感情のブレがなくなっていく。それこそが大事にしたいことのはずなのに。
子供に言うことを聞かせることと、ブレを許すことの境界線がどこなのか。それを自分の中ではっきりできたら楽なのに。

怒っている時は、自分に都合の良い理屈で固めてしまう(2022/12/05)

「 人間には自分にとって都合の良いことを信じやすい性癖があることを彼はよく知っていて」

Humankind下巻 p73より)

怒っているときは、怒りに支配されやすい。自分の行動や思考回路を正当化して、自分の正当性を補助してくれるような考え方をしがちだと思う。どんどん行動や考えが偏っていく。バランスを欠いていく。自分に都合の良い言葉や理屈ばかりを「信じやすくなる」。
たちの悪いことに、自分がそうして偏っていることに気がつかないまま、どんどん偏っていく。自分が偏っていると気がつかないまま、むしろ、「どう考えても平等に、かつ論理的に考えている」と信じたまま、自分に有利で都合が良い方に偏っていってしまう。


怒りそうな時にどう行動するか、具体的な対処法を決めておく。(2022/12/05)

人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。
この3つの要素でしか人間は変わらない。最も無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。

『しないことリスト(pha)』p104

正確には大前研一さんの言葉の引用。
自分で「もう怒らない」と決意したところで、またその時になったら怒ってしまうだろう。だって、その時は「それが正しい」と信じ込んでしまっているから。自分に都合の良いことで固めよう固めようとしてしまうから。
だから、決意は役に立たない。きっと。
ではどうするか。具体的な行動を決めておく。こうなったらこうするとか。
今のところ、考えたのはこうだ。
スマホの待ち受け画面を子供の画像にしておく。ランダムに表示された方がいい。いつも一緒のものだと新鮮さが薄れ、効果が薄れそう。怒りそうになったら、「子供の写真を見る」ことにする。


日々ブログを書き、思考のジャンク(=ストレスの種)を吐き出す (2022/12/05)

気を長くするには?と考えた僕だが、それには、こうしてブログを習慣化することで、頭にあることを日常的に外に出すことで、溜め込まなくなるのではないかとかんがた。僕はこう思った、ああ思った、という断片が日常的に頭の中に溜まっていく。それを掃除せずにひたすら詰め込んだ状態にしておくと、あまり好ましくない思考のかけらが残ってしまう。それ単体では取るに足らないことかもしれないが、そうした性質のものが複数溜まっていくと、あるとき、それらが星座のように、点と点が結びつき、「意味」が生まれてしまう。形として出来上がってしまうのだ。それが何かのきっかけで起こり、外に「怒り」みたいな感情に変化する。そして「あの時のあれだけどさ!」と表出する。なんかそんな仕組みになっているのではないかと思った。気長でいるためには、危険分子たちを外に放り出しておく。日常的に掃除するのが大事なのではないか。そういうわけで、これから、ブログを毎日書こうと思う。


怒りは依存ではないか、という仮説(2022/12/14)

怒ってしまうのは、起こりたくても怒ってしまうのは、それが無意識に自分にとって良い効果があると考えているからそうしているのだろう。本意ではなくとも、習慣とか過去の経験から、怒った方が自分にとって都合がいい状況になると思っているからそうする。自分を守るために怒っているのだ。自分のためなのである。それは依存の性質だと思う。過去の経験に依存しているのだ。オートパイロットで、ある一定の状況下になれば、怒りが発動するように仕組まれた体質が出来上がっているのだと思う。

そう考えたので、依存症関連の本を読めば、怒りという依存から抜け出すヒントになるかもしれないと思った。ただ怒らなくなればいいってもんじゃあない。依存症なのだから、適切なアプローチをしなければ、必ずぶり返しがくる。短距離走ではない、これから先の長い人生に置いて付き合っていく自分なのだから、怒りに変わる対処方法もあるんだよ、と自分に教えて、体験させてあげない限り、これまで自分を守り続けてきた(と自負がある)怒りという対処法はそう簡単には手放されることはないだろうから。

アロマの香りでリラックスする(2023/01/09)

エッセンシャルオイルをハンカチに垂らして、それを嗅ぐと、かなり怒りが和らぐことがわかった。思った以上に効果がある。僕は結構匂いに敏感だからかもしれない。そういえば、音にも敏感だ。敏感なものこそ、インプットを自分にとって良いものにしてあげることで、結構気分が変わるのかも。ちなみに、今効果があると思っている匂いは、ティートリーです。


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