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怒りの仕組み 2022/12/05
これからまたブログを毎日書くようにしようかと思う。なんというか、書くことで頭の中のデトックスをしたいのだ。頭だけではないかもしれない。メンタルヘルスの手助けにもなる気がする。僕の場合は、とにかく日々の「怒り」とどう付き合っていくかが日常の暮らしの質を左右すると思っている。暮らしの質というのは、良し悪しではなくて、自分ができるだけ望んでいる形で日々を送れるかどうかということだ。いや、こんなことを考えている時点で、自分の環境(人、もの、外部環境、自分の心や感情)なんかを管理しようとしていることを表れなのだから、そんなことを考えていること自体がナンセンスなのかもしれない。管理しようとすればするほどに、そこにはある「理想」みたいなものが立ち上がってきて、それに近づくことが正解のようになってきてしまう。それに近づくことを妨げるもの、邪魔するものに敵意を抱くようになってしまう。そうやってストレスが生まれてくるのだから。
頭の中の引き出しの奥に手を突っ込む
ちなみに今が16時12分。たぶんこれを書き始めたのが5分くらい前なので、16時7分から書き始めたことにしよう。毎日、30分から1時間くらいかけて書いていきたいので、どのくらいの量を書けるのか、今後の参考にしたい。とにかく考えずに書くこと。頭の中にあるものの、一番手前のものから引っ張り出して、頭の引き出しを開けて、手を突っ込んで、一番手前にあるものから次々に外にポイポイと放り出していく。そしてできるだけ奥の方に手をツッコこんでいく作業をしたいと思っている。放り投げてしまうというのがポイントな気がする。整理しながら綺麗に並べるのではない。並べている時間が勿体無い。それよりも、引き出しの中をできるだけ外にひっぱり出したいのだ。
頭の中の引き出しには、知らないうちに、いろんなものを詰め込んでしまう。「今は言わないでおいた方がいい」と口に出さなかった言葉。「違うふうに考えた方が気が紛れる」と押し殺した感情。それらは、手前にあると口をついて出てしまったり、態度に出てしまったりするので、できるだけ奥にしまっておこうとするものだ。それらを引き出しの奥にしまったままにしておいて、時間が経てば浄化(消化)できるという特殊能力を持っている人ならいい。僕の祖母はそういう人だった。嫌なことがあっても、腹の中にぐっと閉じ込めてしまうとパーっと晴らすことができると僕に言っていた。不思議だけどそういう能力が自分にはあるのだと。だからばあちゃんはとても明るい。だけれども、僕にはそういう能力はない。残念ながら。そして、むしろ根に持ったり、引きずったり、いつまでもぐちぐちとぶつくさいうタイプの性質だ。往々にして、「あの時のアレなんだけどさ!」とか、何かのついでに任せて相手にぶつけることがよくあって、相手からは「え、今更?」「まだそのこと言ってんの?」みたいに思われるので、それよりかは、思ったことはその場で言うように最近は気をつけている。
話が逸れたが、いや、逸れていいのだが、そういう日記なので。でも一応話を戻しておくと、なんだっけ、そうそう、頭の中の引き出しの奥にあるものを引っ張り出しておくと言う話だった。それをすることで、「ああ、自分はこんなこと考えていたな」とか「これは嫌だったよな」とかそういった具合に、書き出すことで目の前で見せてあげることで、形として確認することで、自分の感情を押し殺さないようにするのだ。誰かにぶつけたり理解してもらおうとしなくても、自分で自分に見せてあげるだけで、成仏することもあると思う。自分で自分に確認させる。それだけで。
パソコンでタイプするのがいい
えっと、ここまでで1500文字くらいだ。今が16時24分なので、大体17ふんくらいで。1500文字か。とすると、3000文字を書こうとすると35分くらいかかるという計算になる。
そこまでタイプミスをしているわけではないし、タイプする手が止まっているわけではないので、これがスムーズに書けた場合のタイムである。もっとタイプが早くなってほしいとは思う。早くなれば、もっと考えずに、話すように書ける気がする。
モーニングページのように手書きでノートに殴り書きしていく方法もあるけれど、僕はこっちの方が、リズム良く書けるので好きだ。手書きで書いていると、手が疲れてくる。そして字が汚くなってくる。後から読み返せないし、何より汚い字を書いていることが気に食わなくて仕方ない、そして書くきが失せてくる。それは良くない。こうしてタイプして、一定の無機質なう読みやすい字が刻印されていく方が気持ちがいい。
ちなみに、スマホで打つのは好きじゃない。なんでもパソコンの方が好きだ。僕はデスクトップを使っているので、なおのことそう思う。画面が大きい方が気持ちいいし、タイプしていくのが好きなのである。スマホで長文を書くのは好きじゃない。Amazonで買い物するのすら、💻の方が好きだ。ラクダ。見やすい。スマホの小さい画面で見るのは目が疲れてくる。新しいM1マックのデスクトップが出た時に、すぐに買った。お金的にちょっと躊躇したが、それでも買ってよかったもののかなり上位に入る。以前使っていたmacbookより作業効率が劇的に上がった。一つ一つの処理にかかる時間が格段に違う。ストレスが減った。
ここまでで2164文字である。
怒りの仕組み
なぜこんな毎日書くと言うことをまた始めようかと思ったかといえば、気長になりたいと思ったからだ。
なぜ僕は怒ってしまうのかについて、一人でカフェで考えてみた。その時は、ノートにペンで書きながら考えた。じっくり考えたいときというのは、紙とペンの方がいいと思っている。考えた結果、怒っているときというのは、時間をできるだけショートカットしたい、時間をかけたくないと思っているということを感じた。それはなぜか?結果を早く手に入れたいからだ。一体なんの結果だ?要するに、不安な気持ちを一刻も早く解消したいと感じているらしい。今すぐ、俺を不安から解放しろ!と自分は思っているのだ。
不安というのは「このまま行くとこういう状態になってしまいそう」という未来への不安だ。そしてそれはたいていお金にかかっていることが多い。せっかくたてた目標やプランなんかが予定通りに進まない、進められていないという時にも起こりやすい。まあ、要するに、うまくいかないことへの不安だ。それを解消したくて、一刻も早く安心できる、順調といえそうな状態まで回復したくなる。だから環境や周囲をコントロールしようとするのだ。それには怒るのが一番手っ取り早い、そう感じているらしい。だから俺は怒るのではないか。カフェで紙とペンでそんなふうに考えた。
では不安な状態になれる必要があるのでは?と考えた。不安をなくす、ではないのがポイントなのかもしれない。あの時は、不安をなくすとは考えなkった。不思議だ。無意識に不安をなくす、というか、何かをなくす、起こらないようにするというのは無理があると考えたのかもしれない。そしてそれは正しいと思う。結局それは管理するということなのだから。無くそうとした瞬間、管理が始まる。管理する=怒りという図式なのだから、管理(コントロール)からいかに遠くに行くかを考えなくてはならないのだ。だから、不安はなくすのではなくて、慣れるのがいいと思う。対処すらしなくていいのかもしれない。受け入れる訓練といった方がいいかもしれない。
というわけで気を長くするには?と考えた僕だが、それには、こうしてブログを習慣化することで、頭にあることを日常的に外に出すことで、溜め込まなくなるのではないかとかんがた。
僕はこう思った、ああ思った、という断片が日常的に頭の中に溜まっていく。それを掃除せずにひたすら詰め込んだ状態にしておくと、あまり好ましくない思考のかけらが残ってしまう。それ単体では取るに足らないことかもしれないが、そうした性質のものが複数溜まっていくと、あるとき、それらが星座のように、点と点が結びつき、「意味」が生まれてしまう。形として出来上がってしまうのだ。それが何かのきっかけで起こり、外に「怒り」みたいな感情に変化する。そして「あの時のあれだけどさ!」と表出する。なんかそんな仕組みになっているのではないかと思った。
気長でいるためには、危険分子たちを外に放り出しておく。日常的に掃除するのが大事なのではないか。そういうわけで、これから、ブログを毎日書こうと思う。
ここまでで3452文字、今が16:45。書き初めは16時7分だったので、38分かかった。まあこんなもんだろう、だいぶスッキリしたかもしれない。だが、これはごく手前のことな気がする。もっと奥に手を突っ込むためには、明日も明後日も描き続けたほうがいい。これまでに溜まってしまったものたちがあるからだ。
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