それが、愛だと思っていた
昔から子どもが、熱があるとか、体調が悪いとか
そんな時にも、
飲みに行く約束やGOLFを断らない夫に
毎回イライラする私。
申しわけなさそうに
「どう?熱下がった?」
「なにか食べれそうなものあるといいのだけど」
と、外出先から送られてくる夫のラインに
「大丈夫だよ、心配しないで。
きっとすぐ良くなるよ。」
なんて、絶対返さない😠。
「ツラそう。熱もまだある」
「あれも、これも試したけどムリ」
と、自分と子どもがどんなに大変で
同情されるに値する状況なのかを
送り返す意地悪な私😓
おそらく、
私は、1人でシアワセになる人が許せない
溺れてる人がいたら一緒に溺れて苦しむのが
愛なのではないのか。(困るけど😅)
そんな自己犠牲的な観念を
長い間もって生きてきたことに最近気づいた。
思えば、子どもの頃からだった。
鍵はいつだって空いていたのに
不自由な思考という名のカゴの中で、
自らを閉じ込めていた自分を
何度も同じようような場面で
同じようなざわつきを夫を通して
繰り返し、知ったことで、
ほんの少しだけ、夫にも優しくなれた。
(看病疲れの私に、ケーキくらい買ってこいや〜)
って、思うけど、言いません(笑)