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慰霊の日に毎年思うこと。

いつも音楽のことばかり書いていているのでたまには違うことも書いてみようと思う。

今日が何の日かご存知でしょうか。

1945年6月23日、沖縄にいた日本軍の牛島司令官と長勇参謀長が自決し日本の陸軍司令部の崩壊及び組織的な戦闘が終結になった。

そしてその日が「慰霊の日」となった。

8月15日は終戦記念日だが、「慰霊の日」は沖縄戦が終わった日。
それに伴い「慰霊の日」の6月23日は沖縄では休みである。

大学進学を機に沖縄を出て関東に来た時、6月23日を休みだと勘違いし当日の朝に友達に言われて何とか登校したことを今でも覚えている。

そして「慰霊の日」が全く知られていないことに驚いた。


沖縄を離れて約10年だが「慰霊の日」は忘れることはない。


沖縄では「慰霊の日」が近づくと、学校では平和教育月間になり戦争体験者を学校にお招きして体験談を話してもらう、図書館には戦争関連の本が並び読むことが推奨される、戦争関連の劇を生徒が実際に発表するなど、毎年この期間になると沖縄戦のことを中心に戦争について学ぶ。

特に戦争体験者による戦争の体験談は聞いているだけでもかなり気持ち悪くなるほどこと細かく話す方もいて、かなりしんどい気持ちになったのを今でも覚えている。

僕がその話を聞いたのが15年以上前くらいだから、戦後60年くらいたった頃だ。それだけの年月が経ってもあれだけこと細かく話せてしまう、脳裏に焼き付いて離れない光景の数々だったことが分かる。もちろん本人は忘れたいことだろうし、それを話すことはかなりしんどいものだ。戦争という過ちを繰り返してはならない、という強い想いだけで語り継いでいてくれたのだと思う。

それのおかげで僕は今でもこうして沖縄を離れても「慰霊の日」のことは忘れないし、戦争体験者の話も覚えていたりする。

その戦争体験者の話の中でもよく語られるは前田高地の話。

前田高地は戦争が一番激しかったエリアで現在、浦添城跡と呼ばれる場所だ。
防空壕もしっかり残っており、そこに入ると今でも戦時中に使用された陶器などが出てくる。

浦添城跡がなぜ一番激しかったのかは、米軍が北谷というエリアに上陸し、日本軍の司令本部があった首里城に向かって南下していくと前田高地(浦添城跡)がある。
米軍が沖縄戦を勝利するためには必然のルートであった。

そしてこの一番激しい戦いになってしまった前田高地は米軍からは「ハクソー・リッジ」と呼ばれていた。

この名前を聞いてすぐ気づく人もいるが、メル・ギブソン監督作品の同タイトルの映画が2016年に公開された。


そのタイトルのとおり、ハクソー・リッジでの激戦を描いた作品だ。
僕も当然見たが、戦争体験者の話がリアルに映像化されていると思うくらい、見ているだけでしんどくなる作品だ。ただこちらの作品はアメリカの作品なので、当然だが米軍視点で描かれている。米軍はハクソー・リッジでの戦いに勝っているため、奇跡の物語となっている。

でもこれ見てより思うのは、
日本軍にも米軍にも戦っている人たちの中に誰一人として死んで良い人間なんていないし、殺す方も殺したいなんて全く思っていないということ。

人を殺したくない人が人を殺す、これが当たり前になる戦争。

本当に何もうまないなと思う。

沖縄戦が終わって76年。

もう戦争体験者も亡くなってしまった方も多く、その当時の事実を語れる人は少ない。

当時のリアルを伝えることはできないが、「慰霊の日」を忘れないこと、もう無意味な殺し合いはしたくないということを思うことはできる。

また、ここに記録として残すことでいつか、誰かの目に止まれば良いなと思い普段と違うことを書いてみた。



最後にモンゴル800が戦後70年の際に作った曲の歌詞の一部を書き記し終わりにします。


平和と呼ぶには遠く
歴史にするには早く

記憶に残せない深い傷を
慰める術はないものか

青空の下 友は逝った
鉄の雨に打たれて
忘れるな ひめゆりの詩を

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