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就活生が150人死んだって。人事は何人死んでんだっけ。

面接という処刑場


約1,000人の学生が、この1年で自ら命を絶ったらしい

そのうち、150人の死が就職活動が原因だという。

家入さんのブログを見て衝撃を受けた。




ご冥福をお祈りする。
同時に、シンプルに疑問が浮かんだ。

「あれ、人事ってそんなに死んでなくね?僕は生きてる。」

もし、多くの人が言うとおり、今の面接が「平等な場」であるならば、そこで対等な対話が行われているならば、企業サイドにも、同じように傷ついて、同じように命を絶った人がいるはずだ。

でも、今年は1,000人 or 150人の人事が死にました。というニュースは、今のところ耳には入ってこない。

なんで?なんで生きてる?

…人事に死ねと言っているわけじゃない。

なぜ、学生ばかりが死ぬのか。少しだけ一緒に考えてほしいのだ。

大人はよく言う。「就活と結婚は一緒です」

嘘つけアホかと。

結婚の方がまだ平等だ。個対個で同じものを懸けてやってる。少なくとも、プロポーズを通じてどちらかの性が1,000人死ぬことはない。

そこには深刻な構造的な問題がある。フラれたときのリスクが違いすぎるのだ。

これを言ったら何と思われるか。嫌われないか。落ちるんじゃないか。不安で不安で、親はわかってくれず、個性を出せと言われながら没個性的な服に身を包まされ、逆に不自然な黒髪で、急におぼこくなった自分に戸惑いながら、似たような格好の同い年と並べられ、画一的な質問に画一的な回答をし続ける。自分が本当に力を入れたことは説明するだけで時間が終わるので、簡単でウケのいいたいして思い入れのないバイトリーダーの話をする…

更に、多くの大人はアドバイスになると、意気込む。でも、すごく勝手だ。

1社しか勤めてない人間に、「今は1社で勤める時代じゃないから!人生100年だから!」とか言われる。

ベンチャーでしか務めたことない若造に、「大手行っても、成長できないぜ!」とか言われる。

クソみたいな就活コンサルに、クソみたいなロジックでマウントとられかけて、なんか言い返せないけど、ただ目の前の威張ってる大人に絶望する。

そら死にたくなるよな。

どうすればいい?どうすれば殺さない。

僕らは、どんなに対等に接しても、自分たちが構造的に優越的な地位にいることは忘れてはならない。僕らサラリーマン人事と学生では、残念ながらその時点で背負っているものの重さが違うのだ。自分が学生の時に散々同じような思いをしたはずだ。

何ができる?

考えたい。

まず、本当にコミュニケーションは対等か?相手のことばかり聞いてないか?目的は?相互理解なのか?単なるジャッジメントのための粗探しか?

フリ方はおかしくないか?なぜ直接伝えない?なぜ理由を伝えない?お祈りメールは自分で打っているか?お祈りメールに学生は返信できるのか?

自分の顔と名前を晒しているか?会社というミノに隠れていないか?

な?平等じゃないんだよ。

僕らは、偉くもなんともないんだよ。

人を、殺してんだよ。


学生の方に媚びるつもりは一切ない。人事の仲間も好きだ。ただフェアでいるためにどうすればいいか、ちゃんと真剣にみんなと考えたいのだ。

このままだと、今年も、来年もたくさん死ぬから。


「面接は平等」はウソ、だって「面接する」の主語ってさ。


そもそも、面接は誰がするものか。「する」のは人事だ。学生は面接を「される」。選考は誰がするものか。学生は選考を「される」。

あるひとは面接は対話というが、面接は面接でしかない。面接という名のもとに一方的なジャッジメントが行われ続けたことにより、面接という言葉には一方的なジャッジメントのためのコミュニケーションと言う意味合いが染み込んだ。そしてもう、その染みは取れない。

ぶっちゃけ僕は「面接」が嫌いだ。

受けるのも、行うのも。

就活生の頃は、処刑場に行って嘘発見器にかけられて、ボディチェックを受けているようだった。ぜんっぜん、楽しくなかった。

今、企業側にたっても「面接」ってやつを正直好きにはなれない。

もちろん学生の方や、中途の求職者の方とお会いして、お互いの話をしたり聞いたりするのは、とても楽しい(そうでなければこの仕事をしてない)。目をキラキラさせて、お互いの好きなことや、やりたいことを話したり、目に涙を浮かべながら、過去のつらい経験を打ち明けたり。互いに心が通っている。人間らしい。ノーガードで来てくれる。

レイセフォーのように。

でも、就職活動が本格化してくると、だんだんレイセフォーに会える機会が減ってくる。きっと、目の前の人を信じて、勇気を出してノーガードで自己開示した結果、頭ごなしに否定のカウンターパンチを食らったり、後から無機質なテンプレで「厳正なる審査の結果、あなた必要ない」と、顔の見えない相手に後頭部に反則パンチをお見舞いされて「ノーガード勝てねぇし、しんどいわ。やーめた。」と学習したのだろう。

部屋で待っている彼/彼女らは、明らかに目の前の僕を信用していない。「自分の好きなこと、やりたいことなんて仕事にはならない」「どうせこの人に言ったって」という諦めと「とはいえ、何とかよく見せて内定とんないと」という焦燥感が顔に書いてある。そして、頑なに自己開示を拒む。

レミー・ボンヤスキーのように。

…フライング・ニーは、繰り出さない。

僕は、ボンヤスキーに語り続ける。

「大丈夫、殺さないから、顔を見せて」と。

僕には、面接の時間の中で「見たい表情」と、「聞きたい言葉」がある。見たい表情は、何かずっと隠していたモノを見せてくれる前に見せる、不安と覚悟の入り混じった表情だ。

「こんなこと面接で言っていいのかわからないんですが、、」

「この話は面接で初めてするんですが、、」

この言葉の後には、たいていすごく大事な話がある。バカみたいなことをした話過去いじめられていた話人を傷つけた罪の話ずっと向き合ってきたコンプレックスの話。。

…その青くてダサい話が聞きたいのだ。

クソ人間臭い、これからも変わらないところが見たいのだ。

あなたの積んでるエンジンはどんなで、どんなガソリンで動くのか?そのガソリンはどこから供給されるのかが知りたいのだ。


応急処置としての、うんこ


何が問題か?話を戻そう。

根本の問題は主語にあると考える。学生はI、人事はWe,もしくはThey。

このため「面接」では、会話のバランスがおかしい。なぜ相手のことばかり聞いて、自分のことは話さない?そもそもお前は誰だ?どこで生まれて、なぜこの会社に入り、何をモチベーションに今この場に立っている?一通り一方的に聞き散らかして、挙句の果てに、、

「最後に聞いておきたいことはありますか?」

この質問さ

「今から処刑しますけど、言い残したことはありますか?」

に聞こえんだよ。

学生は個人で戦っているのに、面接官に個人で戦っている人は少ない。もし、告白した相手に受け入れられなかった場合。学生はたいてい送信専用メールから文面で否定される。

名前すら明かさない面接官は?欲しい学生に辞退されたときどうなる?せいぜい上司に怒られるくらいだ。どっちがしんどい?

…人事って聖職だっけ?そんな特別だっけ?

少し話が飛ぶんだけど、

最近、偉い人と話すときに緊張をほぐしたくて、この問いをよく考える。


「このひと、うんこするのかな?」


アイドルがうんこをするように、先生がうんこをするように、人事もうんこをする。少なくとも僕はうんこをする。今日も快便だ。

何ら特別な存在ではない。同じ人だ。

ただの人なんだ。

でも、たいていの面接ではうんこをしない設定。自分だって腹に大量のうんこ抱えながら、それを棚に上げて、先にうんこしたやつにおもっきりマウントかける。腹をうんこでパンパンにしながら、「わー!うんこまんや!!」という。小学生がやるやつだ。

一部のひどい人間は、これを全く悪気なくやっている。

僕は最近良く人事の仲間とそんな話をするし、みんなそれをわかってる。

みんな、自分主語で戦っている。自分の名前で、自分の発言に責任を持って目の前の才能と接している。僕の人事仲間は恐らく「面接」をしていない、きっと目の前の才能と個で対話をしている。と信じている。FacebookもTwitterもNewspicksも実名だ。彼ら、彼女らのような、自分の足で立って、自分の言葉で個対個で学生と向き合う人事の仲間と一緒に、次の時代を創りたいと考えている。

※それが難しい環境で、匿名で真摯に向き合っている方もいらっしゃる。心から尊敬する。

「採用」と「就活」をアップデートするんだ。

でも、マジでやることいっぱい。まだまだ時間がかかるんだな。

でもなんかしなきゃ。


だから僕は、面接2.0を発明した


少しでも面接が対話になるためにはどうすればいいか、ひたすら考えた。思いついたのはすごくシンプルな方法だ。難しいことは何もしなくていい。

あるひとつのグランドルールを設定する。

ただ、面接官の質問をそのまま返せばいい。

それだけ。

「簡単に自己紹介をしてください」
「今まで最も力を入れたことは何ですか」
「困難な壁をどのようにして乗り越えましたか」
「何があれば頑張れますか?」
「なぜ弊社を志望したのですか?」
「辞めたくなったらどうしますか?」
「動物にたとえると?」と聞かれたら、それこそ聞き返してやるといい。


質問をするとけっこう相手のことが分かる。もしかしたら相互質問の後にたまたま出た話でめっちゃ盛り上がって相互理解がめっちゃ進むかもしれない。

1対1では、学生は会社を理解できないのではないか?というツッコミに対しては準備がある。

その会社の理念を体現しているからこそ、人事はその場に出てきているはずだ。だから、そこにいる人と根本的に考え方が合わなければ、「私のような人は御社にいますか?活躍していますか?」と聞いてみるといい。人事だから、たくさん人知ってるから、返してくれるはずだ。そうだよね。

そもそも、これに取り合ってくれない人間とは話をしなくていい。自分主語で立ってないやつはそこにいる資格はない。


やはり、何度でもいいたい


毎年就活生がこんなに死ぬのはおかしい。

今回は面接の負にフォーカスして書いたが、就職活動には負が多い。

もう一度いいたい。少なくとも僕と僕の好きな人事の仲間は本気でやってる。未来の仲間になってくれる才能と出会って選んでもらえるように、意味わからんくらい働いてる。働き方改革?残業規制?関係ないね。楽しくて楽しくて、意味わからんくらい働いてるのだ。

人が悪いわけじゃない。もう、従来の「就職活動」という構造が時代の進化についていけなくなってるのだ。これは少しづつ、みんなで対話して良くしていこう。

僕らは全裸で対話の場に挑む、だから全裸で来て欲しい。

そして、相手が脱がなかったら、「なるほど、おっけー笑」と呟いて、笑顔で服を着て帰ればいい。それだけだ。


何度でも言う、人事はうんこする。

だから、死なんといてくれな。まじで。


※因みに、2.0という言葉はできれば使いたくなかった。言葉の死体と寿命について、思うことがあるので、近々、書こうと思う。

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キャリアや組織、教育について、いろいろ書いてます。ご興味ある方は是非御覧ください。

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