坂の上の芸大
みなさんごきげんよう、ハギオです。
こないだ大学生時代からの友人夫婦(夫婦共に同級生)から、子供を連れて僕の地元に遊びに来たいと連絡がありました。
夏休みだし。
そんな時にふと思い出した今は昔のお話です。
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学校の正門を抜けると長い登り坂がある。
最寄駅からいつも満員のバスで15分程揺られた先、学校へ辿り着くにはこの坂を登りきらないといけない。夏なんかは暑さと坂のキツさに途中でそのまま引き返すヤツだっている。
芸大に進学して僕は写真学科を専攻した。
一眼レフカメラを首からぶら下げ、ヘッドフォンをし、赤目で坂を登り写真学科の校舎へ向かう。
高校へ真面目に通わなかった僕は留年し、4年を掛けて卒業して大学へ推薦入学出来た。
推薦入試の小論文のテーマが「ダイアン・アーバスの写真について」だったので受かる事が出来たのである。
僕は高校の時から写真が好きだった。ダイアン・アーバスの写真は特に。
この学校には絵画、彫刻、舞踊、音楽、建築など様々な学科があり、様々な雰囲気を持った学生がひしめき合っている。
学科の数も多いから人の数も多い。
およそ普通の大学に比べると、みんな個性だらけで癖が強いのが良かった。
ここでは自由に過ごせる。普通では満足しない若者達で溢れているからだ。
バレリーナが踊るように歩いていたり、絵の具だらけの人がエプロンをつけて歩いていたり、大きなコントラバスを抱えた人が歩いていたりする。
更には覆面をしてズボンのチャックから水道のホースを出して歩いてるような奴までいる。何学科やねん君は。
僕はカメラをぶら下げ、16号館と書かれた建物を目指す。
音楽学科と建築学科と文学学科の校舎に囲まれた、その16号館は写真学科専用の校舎であり、1階部分には学校運営のカフェが併設されている。
カフェといってもメニューは数種類で、お腹が空いたらカレーくらいしか無い。店内の客もその殆どが写真学科の生徒か教授だった。
他の校舎には大きな食堂が2つ。雑貨屋やパン屋や中華料理屋、回転寿司屋なんてのもあったが、僕は毎日のようにカフェでカレーを食べていた。
カフェを出るとゼミの教室へ向かう。教室というのは名ばかりの撮影スタジオである。
当時、サンローランやヴィトンといったアパレルの広告写真家になりたかった僕はこのスタジオに通い、あれやこれやとカメラや機材について学んでいた。赤目で。
大学の特性なのか、そういう校風なのかは分からないけれど、校内の学生で大麻を吸っていた奴は多いと思う。関西の田舎に大学があったからかな。
スタジオを出て校舎の外でタバコを吸っていたりすると、時々仲間内からジョイントが回ってきたりしていた。
プロカメラマン兼教授がたまにその輪に入っている事もある。吸うのも吸わないのもそこに居る人の自由である。
文化祭の時なんかは、大麻がフリーマーケットに売られていた。1gで3000円。
と同時に、どこからともなく既に匂いが漂ってくる事もある。やっほい。
広場でキマッて踊る奴らも数知れず、その横ではキマッてジャンベとディジリドゥを演奏している。ここは楽園だった。
学校の裏山では優しいラスタマンの学生達によって栽培されていたとかいないとか。
なんせ大麻には困らない学校だった。
次元が歪んでそこではまるで合法化されていたような感覚。
仲間内の1人の兄貴は地元の山で大規模農家をしていたし、タイや東南アジア産の大麻を仕入れてくる奴もいたし、校内でそれっぽい奴に声を掛けると大抵は売手に辿り着ける。
だからといって、学生で常に写真制作の課題に追われて金の無かった僕は、たまにバイト代で買う程度。
それでも毎日が楽しかった。
今振り返ればもうかなり昔の話。
まさか未だに「ダメ絶対!」で、合法化へ踏み切るどころか、世界の流れに逆行するかのように使用罪まで創設されようとしている現状。未だにかよ、と辟易する。
あの時ジョイントを回していた仲間達とは今でも深い親交がある。皆んなそれぞれ立派に楽しく生きている。
大麻を吸ったからって人が駄目になるなんて事は無いと思う。駄目になる奴は酒だろうが大麻だろうが駄目になる。
それに例え駄目になったのならば皆で立ち直るように支え合えばいいやん。社会から切り捨てようとする風潮が嫌だ。
カメラをぶら下げ坂を登って通っていた学生生活をふとフラッシュバックさせて、僕は大麻に、そして人に優しい社会を望む。
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冒頭に書いた友人夫婦には、今年もコロナだからとやっぱり会うまでには至りませんでした。
また来年かな。
いつでも会おうと思えば会えるし。
ではまた次回。
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