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説法

 先日あんまり甘えたこと言っていると2周目はないぞと言われたのですがどういう事でしょう?

「2周目ですか?何の話でしょう、もう少し詳しくお話しください」

 転生の話しです。お前の人生は他人より優しいんだ、だからと言って調子こいて落第すると2周目はないぞと言われました。

「なるほど、輪廻転生の話ですね。人はこの世に8回生まれ変わり徳を積んで次のステージに移っていきます。8回で足りない人は何十回と、あまりに出来が悪い人は人にもなれず狐狸で何百回と生まれ変わります。そして人として一回目と二回目はかなり優しい人生になっています。2周目というのは2回目という事でしょう」

 そうなんですか?そうすると私は人に生まれ変わることが叶わず狸になるという事ですか?

「狐か狸です」

 そんなの嫌です

「では徳を積んでください」

 でもその話少し変ですよね

「まあ、この世の不平等を納得するための教訓めいた話なのでどこまで真に受けるかは自由です」

 一度、狐や狸に落ちた者はどうやったらまた人間に生まれ変われるのですか?徳の積みようがないように思うのですが?

「なるほど、そこに疑問を持ちましたか。こんなのはどうでしょう。狐や狸は人を化かします。人里の周辺に住み人を化かす内に人に憧れるものが現れる。その憧れが強いものが人に生まれ変わります。人を小馬鹿にしているものはそのまま狐や狸を続けます」

 皆が人に憧れるわけではないという事ですか?

「はい、そんな発想すらないものや、まっぴらたと思っているものもいるでしょう」

 何故、狐や狸なのでしょう?

「犬や猫でもいいのですが、話の距離感として犬や猫は近すぎるので狐と狸を例にとりました。それだけの理由です」

 和尚さんの創作という事ですか?

「脚色です」

 どこからが脚色ですか?

「輪廻転生、以下全てです」

 えっ。全部嘘なんですか?

「ですから、輪廻転生という概念は昔からあります。8回生まれ変わるという話も聞き覚えがあります。あとは解釈の問題です」

 えーっ。

「そないがっかりしなくともよろしいがな」

 なんか変な訛りですね。

「はい、適当にごまかしてみました」

 では、人は死ぬとどうなりますか?

「わかりません」

 分らないんですか?

「はい、分らないことを前提によりよく生きるのが人生です」

 どういう意味でしょう?

「次がわかってしまうと意味合いが変わってくるのだと思います」

 どういう事でしょう。

「例えば公園を毎朝掃除しているお婆さんがいたとします。近所のおばあさんが家の前を掃除するついでに、小さな公園も掃除していた。何十年も。それだけのことですが、徳の高いお婆さんだと思われていた。
 ところが、この掃除には行政から清掃料としてお金が支払われていた。お婆さんはボランティアで自発的に行っていたのではなく仕事として請け負っていた。これには利権も発生していた。となると意味合いが変わってきます。同じ行為でも目的が異なると印象が変わるのです。同様に、徳が高いと思っていた人の生きざまが、実は次のステージのための布石に過ぎなかったとなると意味合いが変わってくるのです。ということでこの世の人生は、死をもってその先はわからないことになっています。」

 それも和尚の脚色ですか?

「これは解釈ですね、よりよく生きるために様々な物語が作られました。人は弱いのでどうしても、楽な方へ流れがちです。一度流れ始めると加速度が付きます。止めようがなくなることもあります。馬鹿正直な損な生き方を愚かと思わないように、物語は必要なのです」

 でも、嘘はよくないのではないですか?

「はい、死の先が分かっていれば嘘になりますが分かっていないことを前提にしているので、嘘ともいえないのです」

 あーっ、ずるいですね。

「確かに、死んだあと嘘八百言いやがってと恨まれることはあるかもしれませんね」

 いいんですか?

「よりよく生きるための話なので、逆よりいいのではないですか?」

 逆と言いますと?

「好き勝手やっても死んだらチャラだよと信じて無茶やった奴が、死んでみたら狸になるしかなかったという事よりはいいでしょう」

 損ばかり、苦労ばかりして真面目に生きてきたのに死んだらチャラだったという事も相当だと思いますが。

「でもそういうのは、徳の高い生き方とは言わないんですよ」

 わーっ、ずるいですね。

「はい、その辺は考えてあります」

 ところで、和尚は徳は高い方ですか?

「わかりませんか?見たまんまです」

 ありがとうございました。

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