餅は カビるのです。

正月2日目、テーブルの上で餅がカビていた。

26日に会社で恒例の餅つきがあり、
頂いてきた餅だ。

貰った当日に、正月を待てずに食べ、
毎日のように消費していたから
「このくらいはすぐ食べるだろう」と
油断していた餅だ。

そのほかの餅は、しっかりと小分けにし、
冷凍してある。
冷凍をした餅と、していない餅では
オーブントースターでの焼き時間に差があるため
節電、時短を兼ねての常温放置であった。

だだ、大晦日、元日と自宅にいる時間が短く、
食事も出先ですませたことで
カビの侵略を許してしまった。

それは《自然の摂理》で当たり前のこと。
むしろ、カビない餅なんて何で作られているのか判らなくて、不安でしか無い。

元は良質なもち米だったものが、
蒸して、ついて、こねて、モチモチな餅となる。
柔らかな餅がやがて固くなり、ひび割れ、
カビを生やす。放置すれば腐海に落ちる。
その変化は至極当然で、それが時間の経過。
人の一生のようなものだ。

話は変わるが、
私は《3秒ルール》を採用している。
【もったいない精神】を持つ人間なので、
先刻より《一挙放送》の《VIVANT》を観ながら
果物ナイフで丁寧に餅についたカビを削ぎ落としていた。

おりしも、年末から新しい趣味として始めた
木を削る《彫刻》で先生から習った力加減が
とても役にたって、
「何事も繋がってるなぁ〜」なんて
考えながら丁寧に、薄皮を剥ぐように削っていて、
自分のナイフ捌きの巧さに自画自賛している。

私は老いている。
去年より確実に。
だから、今できることが来年も出来るように努めている。

果物が贅沢品となった今、みかんを食べるくらいで、梨もりんごも剥かなくなっている。
料理は毎日するが、刃物を使うことも減った気がする。
牛肉も豚肉もパックからそのまま使い、
鶏肉に至っては数年前に料理バサミを採用し始めた。
鶏肉の菌を考えたらまな板と包丁よりも
ハサミの採用は有利になる。

こうして《使わない》が《使えない》に変わっていく。

昔は乗れた自転車に、怖くて乗れなくなった。
など《出来る》が《出来なくなる》になることは
これから増えていくだろう。
だからこそ、時々《やってみる》
忘れないように《やってみる》

そうやって《出来ない》を増やさない自衛が
この先必要だと思っている。

赤子の頃、全く何も出来なかった私が、
成長とともに《出来ること》を増やしてきた。
成長を昇り坂だとしたら、
私は昇ってきたのだろう。
息切れするほど頑張ってはいなかったし、
立ち止まったりもしたが、
とりあえず成長をしてきた。

さて、ここから何年、平坦な道を進み、
坂を転げ落ちなくて済むのか、
リスクヘッジが重要となってくる。
出来なくなることを減らすべく、
復習を繰り返す。
ナイフを使い続けることで、
使えなくならないよう訓練をする。

歩き続けることで
歩けなくならないようにする。
予防医学、転ばぬ先の杖。

そんなこんなを考えながら
削った餅を食べている。

昨今では「カビた餅は食べないでください!」と
情報発信がされている。
カビは根を張るし、削ったつもりが残っていた。
なんて心配もあるのだろう。
それ以前にコロナやらで除菌をしてきた人間自体の、菌に対する免疫力の低下もあり
《あやうきに近づかず》を推奨しているのかもしれない。
はたまた昨今のクレーマー増加を思えば
「食べても大丈夫ですよ!」なんて軽口は
簡単に口にできないのもリスクヘッジだ。

私とて「お前が3秒ルールで大丈夫って言ってたから食べたら腹を壊したぞ!」なんて言われたらかなわないから
「ウチはウチ。よそはよそ。自己責任で!」と
念を押したい気分だ。

私は体力には自信があり、基礎体温も高い。
健康診断も問題なく、
年に2回行く献血でも重宝される血液の持ち主だ。
風邪もここ10年ほどひいてなく、インフルエンザにもかかったことは無い。
食欲旺盛で、毎晩熟睡している中年だ。

だから多少鶏肉がにおっていても、お腹を壊した記憶も無いし、
2023年に冷蔵庫から見つけ出した
2012年のフジッコのおまめちゃん真空パックを
食べられるかな?と、実験した結果、
味もその後も無事だった腹の持ち主。
その結果、3秒ルールを採用し続けて
こんにちまできた。
過保護な胃袋とは違うのだ。

この先、もしも世界が《北斗の拳》みたいな
世紀末さながらの時代になって、
弱者が虐げられる時が来たら、
私は出来るだけ生き延びて、自力で生きられない人たちに手を貸したいと思っている。
そんな時、私の能力が役に立つ時があるかもしれない。
正常な食べ物を人に譲り、自分は多少のリスクがある物で食いつなげる。

ま、そんな日が来ない事が一番なんだけど、
想像しておく最悪は、いずれ何かの役に立つ。

父が亡くなり、一人暮らしの母を思う。
一緒に暮らす旦那の庇護も念頭にある。
2人は私の《私が強くあらねば!》の原動力だ。

どちらも今は支障なく元気でいる。
だが《もしものこと》を考えて
出来るだけ、自力で生きられるよう
毎年の恒例と称して折々の用事をお願いするようにしている。
「来年はこうしてみようか?」と、先を見据えた話をする。
自分に役割がある。
これは大きな原動力となる。
そんな原動力から、私はまた餅を焼く。
健康でいなきゃね。
食欲だいじよ?と、丁寧に削った餅を蓄えていく。

食べれるしあわせ。
焼けるしあわせ。
震災の中、不安な人もいるなか、
不謹慎だと言われるかもしれないが、
身体は資本です。
身体が健康で無いと働けないし、
医療関係者や、行政の手を借りることになれば
今、必要としている人たちに行き渡らない。

だからこそ、今ある食材、今あるしあわせ、
今ある体力を大切にし、有事に備える。

ボランティアに行けなくても、自身の身を守ることで警察や救急の手を借りないボランティアは出来る。
自分が健康であること。
それは何よりの社会貢献だと私は思うのだ。

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