決意と葛藤

決意と葛藤

決意をした。
何を というと、
自分の過去の経験やそこでの苦しみ
過去から現在に続くしんどさを
自分の中に留めるのではなく、
このようにオープンに綴ることを。

自分のためにも、
同じように苦しんでいる人の少しでも力になるためにも。

と同時に葛藤している。
怖い。オープンにすることが ものすごく怖い のだ。
私は今25歳と1ヶ月。
15歳の時に病気がわかり、人より長くは生きられない予定。
残念だけれどそれは99%決まっていること。
そのことがわかってから10年経つが、
家族のほかはほんの少しの人にしか伝えられていなかった。
今まで自分が築き上げてきた人間関係が崩れてしまうのではないか、
「病気の人」という要らぬフィルターをかけられ
自分自身を見てもらえなくなってしまうのではないか、
「可哀想」と思われた瞬間自己否定で生きていけなくなるんじゃないか、
暗い未来ばかり想像してしまい、あらゆることが怖かった。
自分自身も自己受容ができていなくて、
まだどこかで元気だったときの自分に戻れるんじゃないかと
信じているところがあったのかもしれない。

でも振り返ってみると、
伝えられたわずかな人たちは、いい意味でポジティブに耳を傾けてくれて、
私がより良く生きるために何ができるか?を考えてくれた。

「伝えても、大丈夫なのかも」そう思えたことが本当に大きかった。

だから、決意というと「決意をした」と過去形で使うことが多かろうが、
私は「決意をしている」くらいだと思う。
文字に落とし込み、少しずつ発信しながら、現在進行系で決意していく。
今の勤め先の上司が教えてくれた、意思と行動の話を思い出す。
意思があるから行動できる 私はこう思っていた。
でも、行動したから意思を持てる ということも大いにあると。

後悔なく今を生きたいとか思っているくせに、
全然出来てないじゃんか、自分。
それなら行動しよう。発信してみよう。

ということでここに至ったわけです。
この第一歩を踏み出せるためにとても時間がかかった。
残された時間が限られているのに、だ。
でも、一歩踏み出せた自分に、
今夜は日本酒でもあげようかな。


口で伝えるのが苦手な私だからこそ、
ありのままの言葉を綴り伝えられたらと思います。
届くべき人に届き、
少しでも力になれたら
心を軽くさせられたら
という想いで、生きた証を残せたらと思います。

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