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退職後、書いて書いて書きまくった⑥

さて、ジュリア・キャメロンの著作「ずっとやりたかったことをやりなさい」と、リチャード.ブロディ著作「Microsoft Wordを開発した伝説のプログラマーが発見した「やりたいことの見つけ方」がすごい!」(。。。ながい!) の「書くこと」に特化した3種のワークを総括したい思います。

まず、これらのワークは私にとっては究極の自分探しの旅だったと言えます。
この歳になって自分探しなどと言うと、なにげにイタイものがあります。でも現実的に人は年齢に関係なく、自分という存在に対してぼんやりした不安を抱えては脇に追いやるという活動を、延々と繰り広げているのではと感じます。
私も答えの出ない事柄について、時に放置したり、時に悶絶したりを繰り返していますが、今回退職したことを機に思い切り正面から取り組んでみました。
(注意:単に暇だったからやったとも言えます。)

そして見つけた出した自分は、想像以上に愚か者だったという、なんともキツイものでした。。
何という自虐ワーク!!

そんなダメージを受けつつも、「メモワール」で蘇った過去の記憶は、「もう全部終わった事だよな〜」と、意外にあっさり通り過ぎていきました。それと同時に、自分が体験した事も、自分がやらかしたあれやこれやも、前職で培ったスキルなんかも、本当にもうどーでもよくなって、すごい速度で遠ざかって行ってしまいました。
「メモワール」と「モーニングページ」をセットで考えるとすれば、「メモワール」で復活した悪霊を「モーニングページ」で供養、浄化したということかもしれません。

「メモワール」と同じ行為を別の人は「自分軸を見つける作業」と位置付けでいます。
私の中では「自分軸」というのは、思想的、社会的に自分の基礎となり信念となりうるもの、自分の中で一本筋の通ったものとして、漠然とした受け止めていましたが、じゃああなたの自分軸は何?と問われると、頭の中が真っ白になります。
自分軸を見出すという点では、「メモワール」からも「モーニングページ」からも、残念ながら「自分軸」は見出せませんでした。
一方でリチャード.ブロディのワークは、新しい発見はなかったものの、「根源的な欲求」を「自分軸」とする考え方が非常にシンプルでわかりやすいと感じました。

繰り返しますが、私の根源的な欲求は次のようなものでした。

*のんびりひとりで過ごしたい
*マイペースに表現活動をしたい
*それを人に楽しんでもらえたら嬉しい
*それが人の役に立ったら尚嬉しい
*ほめてもらえたりしたら更に嬉しい
*知的好奇心を満たしたい

ぶっちゃけ、これを「自分軸」と呼ぶのは、あまりにもアホっぽい気が。。。σ(^_^;)

ではこの「自分軸」に従って、今後の自分を考察してみます。

今回のワークは、「これを本当に実践したらどうなるのか」という知的好奇心と、「書く」という表現活動を両方満たす行為でもありました。
外部評価の面が抜け落ちてますが、全てひとりでのんびりマイペースで行えたので、欲求の半分は満たしていることになります。

そもそも私は書くことくらいしか取り柄がなく、これまでも何度か「書く」ことを仕事に出来ないかと考えてきました。
実際にクラウドワークスで、漫画のあらすじを書くと言う仕事をしたこともあります。
(全9巻の読んだこともない漫画で、仕事を納めるため漫画を買ったので赤字でしたが。。。)
一応お金をいただけるだけの仕事はしましたが、但し人からのオーダーで文章を書くという作業は、かなりの苦痛でした。
つまり、お金をいただける仕事をすること(つまり外的評価)と、のんびりマイペースに、知的好奇心を満たせる表現活動が結びついていないのです。

でも、

*のんびりひとりで過ごしたい
*マイペースに表現活動をしたい
*知的好奇心を満たしたい

この超絶個人的な欲求の3項目を満たせれば、概ね私は幸せなのでは? 
この自己満足な部分と収入とを必ずしも結びつけなくてもいいのでは?

そう考えると、退職して環境が激変した事も、これから収入源を考えないといけないことも、めちゃくちゃ気分が楽になってきました。

「そんなんアマチュア思考に逃げてるだけやん!」
「プロを目指す人はその苦しさを克服するものだ。」
などと誰かに言われそうですσ(^_^;)
会社を辞めてからというもの、YouTubeで流れてくる賢い生き方を指南する動画やら、過去に交流のあった人たちから言われた厳しい言葉に随分惑わされてきました。
でも、そんなこんなも「メモワール」と共に流されてしまいました。

*それを人に楽しんでもらえたら嬉しい
*それが人の役に立ったら尚嬉しい
*ほめてもらえたりしたら更に嬉しい

これも私の「自分軸」ではありますが、裏を返せば人の評価を過剰に気にする自分がいるという事の表れでもあります。
どちらかと言うと、今まではこの部分が過剰に発動して、人に気を遣いまくっていた部分があります。

3対3に分かれた私の「自分軸」。
これが今後どう折り合いをつけていくのか、今はまだわかりません。
アマチュアとして、これからも誰が読むねん!誰が喜ぶねん!という自己満足な文章を放出しているのかもしれませんし、書くことで何か収入を得ているのかもしれません。

でもとりあえず今回のワークで現在たどり着いた境地は、

「仕事なんてなんでもええやん。」

ということでした。


<まとめ>

総括のつもりが、考察があっち行ったりこっち行ったりで、書けば書くほどまとまりがなくなっていきます。そんなわけで、非常に中途半端な締めとなりました。
当たり前のことですが、別の人が同じワークをやったら、私とは全く異なる見解になると思います。
ジュリア.キャメロンのワークはパトリシア.コーンウェルにも影響を及ぼしたそうで、それなりの人がやれば、それなりの結果に結びつくものなのかもしれません。
私は原作を読んでないという点で、再現性を落としているかもしれません。
それでも、かなり真面目に取り組みました。

現在も「モーニングページ」は継続中ですが、いずれは規定のページ数まで書く事はなくなると思います。また書く時間も自分の都合に合わせるようになると思います。
もしくは、何となく辞めてしまうことになるでしょう。

こんなことに時間を費やして無駄じゃね?アホちゃう?と言われそうですが、無駄な事を全力でやってる時間は非常に楽しく、またそれをnoteに記録している時間も、私にとっては非常に楽しかったです^_^

まさに「自分軸」ここにあり!という時間だったと言えます^_^

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