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Excuse me の代わりにHelp me PCT-2


「 Help me 」という言葉を初対面のおじさんに必死の形相で言ったあの日の記憶。
結論から話すと「熱中症」になった。誇張せずに言って死んでもおかしくないレベルの出来事だった。これを期に、ロングトレイルへの考え方が変化していった僕にとってとても大きな意味を持つ日の話。

6月の初め頃だったと記憶している。とある敷地でカウボーイキャンプをしていた僕は、夜も明けぬうちに歩き出した。
次のヒッチポイントまでは27マイル(フルマラソンの距離)弱くらい、この距離なら1日で歩ける距離だ。それはつまり街に降りて冷えたビールを飲める日ということ。早く街におりたいという気持ちはビールの誘惑だけじゃなくて、ここ最近漂っていた’嫌なムード’’のようなものを払拭したかったということでもある。5月の終わりから、足の負傷、負傷から復帰した翌日に高山病と、なんだか嫌な気配が漂っていた。高山病で苦しんだのは、この日のわずか2日前の出来事だった。

まだ元気な頃に撮った夜明けの写真

話を戻そう、とにかく夜明け前から歩き出した僕は、慣れない暗い道を一人だらだらと、5-6リットルの水を積んだバックパックと共に、確実に進んでいた。
ロングトレイルをハイキングする上で重要になる要素がある、「水」だ。その日、トレイル上に、水を確保できる場所は2箇所、キャンプしていた場所の水道、20マイル(約30km)ほど進んだ場所にあるウォーターキャッシュ(街が近いとボランティアの人が水を設置してくれてる場所がある)のみ。
つまり最初に水を補給したあとは20マイルほど進まないと水を確保することができない。20マイル水場がないのは割と珍しいシチュエーションでもあるし、当時、毎日日中の気温が40度に近くまで上がり、「熱波警報(英語を直訳するとこんなニュアンスになりそうな)」が発令されるような、まさにうだるような暑さが続いていた。そんな背景があり、大量の水と共にハイキングしていた、はっきり言って景色なんて一つも覚えていない。景色を楽しむ余裕なんてものはこんな時にはないのだ。

すでに疲れているように見える

時刻はお昼12時くらいだっただろうか、とにかく歩き続けた僕は、無事水を確保できる場所に到着し、一安心だった。残りは7マイルくらい、水もここで補給できる。残された時間と距離を考えると、今日確実に街に到着すると考えた僕は、休憩もそこそこに、猛暑の中、残り7マイルを歩ききってしまおうと考えた。’警報が発令されるレベルの猛暑である’’ということはなぜかこの時に僕の頭から消えていた、早くビール飲みてーなーくらいの甘えた考えだった。


ウォーターキャッシュ

同じ場所で水を補給していたハイカーに「いってくるよ」と伝えると。
「Are you crazy ?」と言われた、今になって思うのは、あれは「日中の一番暑い時間は避けて夕方歩きなよ」という親切なアドバイスだったのだ。
わかってくれる人はいるかもしれない「Are you crazy ?」という言葉はなぜか悪い気がしないものだ、「お前かっこいいな、いってらっしゃい」と脳内変換した僕は残り7マイルを歩くために必要だと感じた2リットル程度の水を持って、颯爽とトレイルに戻った。

悲劇の始まりはここだった。

街に向けて歩き出して数マイル、日傘を差し、紫外線を避けて歩いているにもかかわらず、暑さが尋常じゃない。バックパックに取り付けた気温計を確認すると40度を差している。足りると思っていた水も予想より消費している。日陰が全くなく、照りつける日を思いっきり反射するような白い砂のトレイル。発汗もいつもよりしている気がする。やばいなと感じ始めた。
が、日陰がなく休憩をとりようもない、しばらくだましだまし歩くことにした。

残り2マイル地点。上がり続ける気温。異常な発汗量、体は確実に熱を持っている、手先は力が入りにくい、脈は早い。限界一歩手前だ。残りの水はペットボトルに5cm程度、暑さでお湯のようになっている。携帯の電波は幸いにも入るが、相変わらず日陰はない。
前職が消防士だった僕は、冷静に状況を整理した。

「確実に熱中症である」
「2マイル先にヒッチハイクポイントがある」
「もう体力はほとんど残っていない」
「休憩しても悪化する」
「この時間に歩くcrazyなハイカーはいない」

結論:荷物を最大限に減らして、ヒッチポイントまで走る

つまり、短時間で、ヒッチポイントに辿り着くことを最優先に考え、バックパックに入っていた食料をトレイル上に放置して走る。こうすることしにた。
これに関しては今でも悔やんでいる。「leave no trace」という環境に与えるインパクトを最小限に抑えてアウトドアを楽しむという考え方がある。つまり自然に不要なものをもちこなまない、責任を持って持ち帰らなくてはならない。アウトドアを楽しむ上で常識的な考え方だ。これまでのハイキングでも実践してきた。
この時にトレイル上に放置した食料を後続のハイカーがトレイルマジックとして受け取ってくれたことを祈るしかない。
あの時は、それどころじゃなかったと言うしかない。恥ずかしい限りだし、これ以上トレイルを歩く資格はないと本気で悩んだ。今でもこの時のことを思い出すと、苦しい。
ただし、死にたくはない。僕は山で死ねたら本望です。なんて考えは一切ない。

残り2マイルを走り出した僕は、ヒッチハイクができなかった時のためにuber(民間人がやっているタクシーのようなもの)のアプリで配車予約を試みるも、失敗。体力はなくなって体調もみるみる悪くなってくなか、走りきってヒッチハイクを成功させるしか生き延びる術はなくなった。大げさに感じるかもしれないが、熱中症は本当に怖い。

最後の力を振り絞って、ヒッチポイントが見下ろせる場所まで走りきった。本当にぎりぎりだった。なぜかここでは携帯の電波がはいらなかった。
人のいない高速のサービスエリアみたいな空き地の向こうに車道が見える、とんでもない速さで車が走りすぎていく。これまでの経験で、このスピードの車をヒッチハイクすることは難しいと感じ、絶望を味わった。この場所で倒れてしまうかもしれない、せめて後続のハイカーに見つけてもらえる場所にしよう。

と、その時、1台の車が、空き地に入ってきた。このチャンスをのがしたら終わりだと感じた僕は、笛を鳴らし、トレッキングポールを振り回しながら、車に向かって走った。この時トレッキングポールが折れた。気にしてられる状況じゃなかった。
車は僕の存在に気づいてくれて、近づいてきてくれた。

「Help me!!!!!!!!!!!」

僕は叫んだ。初対面の人に言う言葉ではない。一般的には「Excuse me 」だ。
事態の異常さを察してくれた車の持ち主のおじさんは、とりあえずクーラーの効いた車に乗せてくれて、後部座席のクーラーボックスからキンキンに冷えた水を出してくれた。あの水のうまさは一生忘れられない。
おじさんが驚くくらいに一瞬で飲み干した僕の話を聞いてくれた。

僕は素直に、熱中症だ、街に連れて行ってほしいと伝えた。
おじさんはこの辺の道や広場の管理の仕事をしている、今仕事中だから君を助けることはできないと答えた。

わかった。ありがとう。ここは電波が入らずタクシーも呼べない、おじさんが電波が入る場所に行った時にタクシーをこの場所によんでくれないかとお願いをした。

結果、ドロドロに汚れて死にそうな顔をしてヘルプミーと叫ぶ日本人を哀れに思ったのか、おじさんが街まで送ってくれることになった。
街に向かう車内がクーラーをガンガンに効かせてくれて、水を3本ほど飲ませてくれた。ついでにおじさんのおやつのオレンジも分けてくれた。
僕も少しだけ余裕を取り戻し、下手な英語でことの顛末をはなした。
おじさんは笑いながら、こんな暑い日に歩くなよ!「You are crazy」と言ってくれた。
おじさんの優しさと気さくさに助けられた。本当に助けられた。
近くのホテルに送ってくれたおじさんに100ドル札と一緒に感謝を伝えたが、おじさんはお金を受け取らなかった。人は優しい。ありがとう。この恩は一生忘れない。

この日、おじさんのおかげでなんとか病院に行くほどの状態にならなくて済んだ。
たまたまだ。タイミングが違えば、あの場所で暑さに負けて倒れたかもしれない。

この事態を招いたのは、紛れもなく自分の判断ミスということ。
やってはいけないことをやってしまったということ。
ハイキングを楽しむってなんだろうなと考えるきっかけになった1日だった。



天気予報よりもトレイル上は暑い

この文章は、pacific crest trailをハイキング中に筆者が感じたことを綴っているもので、日時や場所、環境の表現などの正確性にこだわったものではありません。だけど、ノンフィクションです。また、旅の時系列通りに投稿することせず、日記とも紀行文とも少し違う。
それでも、あのよくわからない日々の中で起こったことを、今や、朧げになりつつある記憶を辿りにできる限り鮮明に記録に残していく。

こちらにまとめてます。

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