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北海道縦断歩き旅3日目「天国と地獄」木古内~

この日はまだ北海道歩き旅に順応していなかったせか、最も天国と地獄を感じた一日で、この日の記憶が後々まで海岸沿いの道を選択するきっかけにもなった。



■■木古内 温泉旅館「きこないビュウ のとや」

昨夜はすぐ寝てしまったので早めに起きて、荷物の整理をする。


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朝食。

写真撮りなれてなくて、一口、玉子焼きを口にした後、思い出したように撮影。

セルフでご飯や卵が食べ放題だったので、歩く栄養を付けるため生卵を2つ食べる。


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この日、ようやくキャリーバッグのパッキングを完成させる。

これまで、歩いていると、銀マットが寄ってしまったり、寝袋が寄ってしまったり、サンダルが地面にこすれたりしていた。あとちょっとしたものをビニールのマイバッグを肩にかけて持っていたが長距離だと煩わしいので、すべて一つにまとめた。

キャンプ場や道中では落ち着いて荷物を広げられなかったが、旅館の室内で中を広げてしっかりパッキングできた。

この日、雨が降るかもしれないので雨除けのブルーシートをかぶせたが。被せたほうが銀マットが安定するので、この日以降も被せ続ける。

キャリーバッグのタイヤが、引いていてすこし重くなったのを感じた。水を多めにいれて重くなったのもあるが、車軸に濡れた砂が入り、少し回転が重くなったように感じた。


靴も靴擦れが痛かったので、すこし緩く紐を結んでいたが、きつく締めていたほうが安定して痛くないと分かった。

足の裏、それと踝(クルブシ)の少ししたあたりが擦れると痛かった。

夕方には歩くのが厳しいくらいの痛みで朝になると緩和。

それを繰り返していた。

当時、足の痛みは最初の2,3日だけだろうと思っていた。


当初一日40km以上を想定していた旅が今まで2日間とも30kmを超えていないので、すこし焦っていた。

まだ最南端に近づけてすらいない。このペースでは一か月以上かかってしまう。

この日は目的地を福島町の道の駅(約35km)に決めた。

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歩き始めの朝は車がいなくて歩いていて気持ちよかった。

体調、足、バッグ、気候、胃袋、水。

すべて好調だった。


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函館から離れるにつれて

道路のアスファルトの状況も悪い箇所を通るようになってきた。



だいぶ歩いて、

道路がまっすぐの道に入る。

交通量もそこそこあるが道がまっすぐなのに、

みかける車はスピードが落ち着いている。

「この辺はみんな心が穏やかで急がないのかな」

と思いながら歩いていると…


茂みの中にパトカーが止まっていた。

中をみると人が人が乗ってる。

ちょっと停車という感じではなく

あまりにも何もないところ茂みからパトカーがあったのでビックリしてしまう。


「サボリか昼休憩なのか?」と思っていたが、妙にどの車もゆっくりなので察して気が付いた。


「スピード違反の取り締まりか。」


のどかに犬の散歩をしているおばあちゃんをみかけながらパトカーを横切り先へと進む。


すこし先に言ったあたりで、さっそく後ろからパトカーのサイレンが鳴り、黒い軽自動車を拡声器で警告しながら追いかけていった。

散歩していたおばあちゃんがそれを見てヘラヘラ笑っていたのが印象的だった。


だいぶ後日に泊まった民宿で聞いた話だが、地元の人は取り締まる場所をだいたい把握しているが、観光でよそから来た人はよくつかまったりして、民宿にたどり着けずにキャンセルする人がいるのだと言っていた。


車間距離も煽り気味とかんじるくらい狭い車も多々みかけた。

落ち着いて走りたい地元の車とスピードをだしてドライブを楽しみたい車、そして簡単には追い越せない大型トラック。

そんな温度差を感じる車の群れを何度もみる事になる。


そんな交通量が多い国道228号から離れるルートに入る。

国道から離れた道は、キャリーバッグを引きずっているのでアスファルトの状況が心配だが、車がいないのが本当に気持ちいい。

車道と歩道が分かれていても、車はこちらを必ず見るが、こちらから車を確認してもドライバーは見えずらいので、どうも心持ちが軽くならない。

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車の居ない道路は、前後の安全確認で耳や目を研ぎ澄ます緊張感が軽くなるし、鼻歌歌っても誰も聞かれないし、路面が悪い道路の端じゃなく路面が安定してる真ん中を歩く事ができる為、清々しい。

この辺りは本当に歩いていて気持ちよかった!

曇りだったが晴れると目が痛いので、歩くには曇りがベスト!

等間隔でアジサイみたいな花(うる覚え)が植えられていたのが印象的だった。

植えた人は町の人なのか畑の所有者なのかわからないが、すさまじい労力だろう、車がいない間はこの広大な景色を一人占めしていた。

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重内(おもない)神社の前を通る。

綺麗で大きな神社なので奥や展望台まで見たかったが先が長いため眺めるだけにした。

この真っすぐ先で工事の為、通行止めが行われていて。

歩きながら、その看板をみていたんですが。

よーくみると交通整理の人が立っていた。

「アラビアのロレンス」という映画で地平線の彼方から人が来るシーンを思い出した。


この分かれ道のところに交通整理のおじさんが立っていて、軽く会釈しました。

ご苦労様です。


さらにまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすぐ続く道を歩いていると自転車でツーリングしている壮年の方が話しかけてきた。

「歩いてくの?」

「自転車やバイクはいるけど歩いてるのは初めて見たよ」

興味がわいたらしく自転車を降りて10分ほど歩きながら話した。

この壮年の方は北海道には何度か来ていて、前に自転車で台湾一周したことがあるらしい。

荷物がかなり軽量で自分の荷物が恥ずかしかった。

服は着ている服だけで泊まった宿で洗濯して、荷物はできるだけ自宅に郵送しているそうだ。

経験でどんどん減っていくよ。

「じゃ、頑張ってね」と告げると颯爽と真っすぐの道の彼方に消えていった。


キャンプなし、自炊なしの旅であれば小さなリュック一つで縦断できるかもしれない。もし、タイヤが壊れて引けなくなったら、キャンプ道具を自宅に送ろうかこの時、考えた。


曇り空がたまに晴れて、日焼けする。

この日は日焼け止めを塗らなかった。

晴れているとすぐにのどが渇き、20分に一回は水を飲んでいた。自販機を見つけると500mlのコーラを飲んでいた。

ふだんコーラを飲まないのだが。

糖分、炭酸、冷たさに飢えに飢えていたので、

まー、

かなりウマい!!

一日2、3本は飲んでいて、”灰色”のアスファルトと”緑”に囲まれた世界で”赤い”自動販売機をどこか期待するようになっていた。


国道228に再び合流してからは地獄だった。


交通量が再び多くなり。

歩いて少ししたら歩道が無くなった。

白線の外側を歩こうにも、狭かったり、雑草が生えてたり、キャリーバッグが転がしにくかったりで歩きにくかった。

さらに橋になると白線の外は存在しないに等しい状況の為、

橋の前で白線の外で待機し、車がいなくなったタイミングを見計らってダッシュで橋を渡ったりしていた。(自転車の人も似た経験されているのではないだろうか?)

橋が長いと車に追いつかれ、停止し橋の手すりに手をかけてできるだけ体が道路にでないようにして車に追い抜いてもらう。

もちろん車もよけてくれたりするが、対向車がいる場合や、トラック、車間距離が狭い後続の車などはギリギリになる事もあり怖い。

高所恐怖症というほどではないが、橋の低い手すりの下は崖や川になっていて下を見ると怖い。

橋は風が強いところも多く、トラックの風と組み合わさるとさらに怖い。

橋によっては大型車が通ると上下に揺れて怖い。


山道のカーブは面倒で、ドライバーの視界を考えて、内側、外側使い分けて曲がったりなどして思った以上に先に進むペースが速くならなかった。


道の恐怖もあるが、山の中に入ったことで風がなくなり暑さが増す。

茂みとの距離も狭くなり、雲の巣が顔にかかったり、虫がずっと追ってきたり、雑草がキャリーバッグをつまづかせたり地獄だった。

水を飲むためにすこし休みたくても、道路の端に余裕があるところがなかったり、停止すると虫がしつこく寄ってきたりして、

ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、気が抜けくスマホを開く余裕もなく後どれくらい歩けばいいのか、気になっても、わからず。

知ったところで全然進んでなくて絶望する。

そんな、かんじだった。

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だいぶ進んだ先で学校の跡地らしき入り口を目にする。

グーグルマップではお蕎麦屋さんが開店しているが、自分が行ったときはやっていなかった。

水はすこし残していたが節約していた為、のどがカラカラだった。

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中をのぞくと体育館ぽい建物が残っていて。

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校舎であったであろう場所にはおしゃれにリフォームされたっぽい町の施設があった。


かなり疲れていたので、水があればここでキャンプしようか迷った。

施設の入り口の脇に、水道の蛇口があり確認する。

ひねると水が出る、すこし流してから飲めるか口にすると、塩素が強くて飲み水ではない感じがしたため飲むのを諦める。

それでも、車道脇を歩き続けて排気すってきているので、のどがイガイガしていたため。うがいをする。

疲れていた為、横になって休みたい気持ちはあったが、

写真ではわからないが芝生のどこへ行っても虫が飛んでいて、

日陰をあるくと太いクモの巣が絡まった。


のどが渇いているし、先を急いだほうが休めると思い、

長居せずにここを立ち去る。

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「福島トンネル」

橋は小さい橋でも名前がついていたがトンネルもすべて名前がついていて入り口に名前や長さが書かれていて毎回確認していた。

この先、数多くのトンネルをくぐることになるが。

この旅、初めてのトンネルになる。

自分の人生でも100m以上のトンネルを歩いて渡った記憶はない気がする。


非日常的な空間で車ではわからない事もおおいので、ここ以外のトンネルの中も、今後紹介していきたいと思う。


ストリートビューだとレンズの関係で大きさがわかりにくいが、

左の狭い歩道にキャリーバックをギリギリ乗せて転がして通る。

これがなかなか狭くて落ち着かない。

トンネルは車の音が拡張されて結構、耳に来る。

ここは乾いたトンネルでホコリがバッグについた。

出入口付近は蛾(が)や蜘蛛の巣を見かけるが中のほうに入っていくと少なくなる。


出口の光に向かうときは希望に向かっているような演出に包まれる。

このトンネルは、初トンネルで日差しから逃れたこともあり、割と楽しんで通った記憶がある。


トンネルをでると、日差しと自然の様々なノイズが元に戻り。

慣れてぼんやりしていた現実味や野性味がくっきりコントラストがでて面白い。

長いトンネルほどコントラスト効果が大きいのでお伝えしたいが難しい。

責任はとれないが人生に一度はトンネル歩きを体感していただきたい(笑い)


トンネルをくぐった後は

・山の中のトンネルは道の越えられない高さにぶつかった所にあるだろう→つまりトンネルは道の高さの頂点の可能性が高い→つまりトンネルの後は下りだ→下りということは下っていけば山の終わりだ→山が終われば民家が増える→民家が増えれば自販機があるかもしれない→自販機があればコーラ飲める

そんな、思考を繰り返してモチベーションを維持していた。

ただ思った以上にトンネルの後も、道は長く。

真っすぐの道をようやく曲がって景色が変わるたびに民家や自動販売機を期待するも、おんなじ真っすぐの道が再び続き。

また、真っすぐの道を曲がっては、期待し。をうんざりするほど繰り返した。


思考する頭が摩耗しきって、ただコーラと休憩だけを考えるケモノになりはてるくらい、ただただ歩いた先に、

ようやく青い看板が!

ローソンの看板を見かけたとき

「マジでほっとステーションだよ!アンタ!」と思った。


ローソンで買い込み、外で遅い昼食を食べると生き返った。

クタクタになってあたりを見ると学生をよく見かけ、夕暮れ時もあって、とてもまぶしく見えた。

食事を終えて立ち上がろうとすると体が根を張ってしまって、うまく立ち上がれなかった。

一度、休んでしまったことで足が痛くなり体が硬くなって、うまく歩けなくなっていた。


この日は道の駅を目指していたが、また泊まれそうにない場合、そこからさらに移動しなければならない。その体力と気力がこの時は切れていた。

目的地を道の駅から、手前の公園にして、そこで夜を過ごせそうか見ることにした。

福島町 新緑公園に着く。


トイレがあって水があるが野球をやっている子供たちがいて、諦めかけるが。広い公園で、奥のほうには人がこなそうな所があってそこ借りることにした。

人がいる間はテントを張るのが気が引けて、野球が終わるのを待っていたが、日が沈んだ後もオレンジ色のナイターライトを照らし練習を続けて終わりそうになかった。

食事は初めて外で自炊。

ペペロンチーノをつくった。

自分で作った補正もあり美味しかった。

腹が減っていたのでもう一度作り、お茶漬けのもとを振りかけて食べてみた。風味が増し、ノリやせんべえが加わり美味しくなったが塩辛い。

味付けミスった。

調理中暗くなってランタンを使うが吊るす物がないと低い位置にランタンを置くことになり調理が見えない。キャンプにカメラの三脚を薦める人がいたが、確かに必要だと思った。


食事を片付け、日記を書くと21時過ぎになり野球の練習も終わりナイターの明かりも消えた。

テントを張って寝るが、テントの外で物音がするたび、人がきたのではないかとハラハラした。


キャンプ場と違い、公園はだれが来るかわからないし、地元の人からすれば不審者に映るだろう。

猫らしき足音や、風で草が揺れる音、音が気になって公園の野宿は落ち着かなかった。


一日が年を取るにつれて短く感じるようになってきていたが、

長い長い一日だった。


3日目終了 歩いた距離 約35km



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