【最終回】日本縦断歩き旅《沖縄編》12日目『終戦、命(ぬち)どぅ宝』
朝6時に目覚める。
人の小屋に泊まるのが初めてだからか、
あまり眠れはしなかった。
夜に何度か、かなりの大雨が通った音がした。
野宿だったらやばかった。
小屋の中に泊めてもらえて良かった。
もしテントを張っていたらビショビショのテントを乾かすのも大変だっただろう。
出発前にもう一度、激しいとおり雨がふり、すこし止むのを待った。
小屋の主人が言っていた通り。
ここからの朝焼けはキレイで、
雨上がりの濡れた大地がキラキラして、
いっそう美しく見えていると思った。
お礼の置手紙を簡単に書いて出発。
最終日。縦断の最終日。
悔いのないように味わおうと思うも、
疲れもあって、実感はない。
馬小屋の前を通る。
どの馬も痩せている。
虹。
鹿児島の最終日でも見たが、
日本縦断、沖縄の最終日でも虹がかかった。
旅の中でも、虹を見れたのは数少ない。
誰にも言わなかった最終日ゴールだったが、
天だけは見ていて、祝福しているような心地がした。
珍しい形のシーサー。
久しぶりにコンビニ入る。
トイレを借り、貯めていたゴミを捨てられてスッキリ。
チェーン店のありがたさを痛感する。
高い橋を渡る
遺跡らしい。
沖縄は遺跡も多い。
遺跡跡を通り過ぎ、
バス停で水を飲もうと休憩した矢先、
土砂降りの雨が降った。
降り始めから土砂ぶりになるまでが一瞬で危なかった。
向かいのバス停でも工事関係者が雨宿りしていた。
丁度、バスが来てしまったが、雨宿りしているだけとジェスチャーで運転手に伝えたら、通じて、先に行ってくれた。
雨が止むまで待っていると、
ひとりの壮年男性がバス停に来た。
「旅しているのんですか?」
聞かれて、色々と答えた。
生まれは千葉である話をしたら、
沖縄が外国だった頃に、
千葉で仕事の研修を受けに行った話をしてくれた。
今は息子のパン屋を手伝いに通っていて、バスを待っているのだとか。
雨がやんだタイミングで先を急ぐ旨を伝え、別れる。
少し歩くと、
バスに追い越され、バスに乗っていた、さっきの壮年に手を振る。
沖縄本土復帰51年。
およそ50年前に千葉にきたのだろうか。
道の駅に着く。
おじさんに挨拶されて、挨拶を返す。
どうやら、併設されている飲食店の主人みたいだった。
道の駅の中で少し涼む。
ほとんどお土産なので高くて、なにも買わなかった。
クロネコヤマトの宅急便が目に入るも素通りしてしまう。
荷物を送っておけばよかったと、後で後悔。
外で水筒の水を飲んでいると、
そそくさと先ほどの飲食店の主人が看板を目の前で立てる。
腹は減っているが、
営業時間はまだっぽいので、微妙に営業中かわからず。
営業時間まで待っているとだいぶ時間を食ってしまうので、
先を急ぐことに。
平和公園に近づいてきた。
道が急に広く大きい。
小屋の主人が言っていたように、
南部ではあまり外国人の車両を見かけない気がする。
飲食店ののぼり。
さきほど食べられなかったので立ち寄る。
沖縄そば注文。
麺がやや、ゆで弱い感。
値段は安くはない、肉厚なのが救い。
独特のやる気のない店に入ってしまった感。
客は俺一人。
遅れて店員さんが店に出社したらしく、談笑がちらほら聞こえてくる。
沖縄平和記念公園に着いた。
平和祈念堂は工事中なのか入れなさそうだった。
広大な敷地が広がる。
ひとは割と歩いていて、
外国人観光客もよく目に着いた。
家族連れが多い印象だが、若い方もチラホラ見かけた。
荷物を情報センターに預け、
平和記念資料館へ向かう。
少し予習していたので、
現物資料を通して、
凄惨な沖縄戦を見ることができた。
ガマを再現したフロアなどもあったが、
やはり、大きくプリントされた死体の写真、
焼け爛れた赤子に口移しで飴玉を与える父親の写真、
火だるまになってガマから出てくる映像などが衝撃的だった。
米軍の圧倒的暴力よりも、
日本軍の悪い体質が生んだ悲惨さが多く印象に残った。
いままで歩いて日本を見てきて、
傷だらけの日本を見てきた。
利用されて捨てられ廃墟になった土地たち。
それらに比べて、沖縄は廃墟が少なく活気が強く感じられた。
しかし、大きな傷に触れた気がした。
本土の人に捨てられた、負け戦を強いられた戦場。
その本土の人たちが観光でニコニコで訪れてくる。
北海道でも感じた、”観光地”の傷。
アゲ感、映え感と対極の側面。
展望台からあたりが見渡せた。
上陸地ではないが、艦隊で埋まった海を想像してしまう。
睡眠不足もあって、
資料館の椅子で30分程、仮眠をとらせてもらった。
他にも立ち寄りたい所はあったが、荷物も置いていて、土地が広大で日差しが強く、諦めて先を急ぐ。
海岸沿いを歩こうかと思ったが、
ひめゆりの塔にもよりたいので県道沿いを歩く。
コンビニに立ち寄ると、
スッと女性がユンケルを手渡ししてくれた。
「頑張ってね」と言ってスクーターに乗って去っていく。
高級品なのに、あまりにスマートな渡し方で驚いて、お礼の言葉もおぼろげで申し訳なかった。
デスクワークで徹夜続きだった時ですら、
飲んだことのない高級栄養ドリンク・・・。
おそらく俺が、コンビニ前でさんぴん茶を水筒に入れ替える姿を見て、
飲み物を差し入れても間に合ってそうだな、と思って栄養ドリンクにしてくれたのだろう。
ありがとうございます。
豚のマスコット?
ひめゆりの塔周辺は売店が多くにぎわっていた。
ひめゆりの塔、入り口に立つと。
入り口窓口から手招きをされた。
どうやら、私のキャリーカートをみて
「ここで見てるから、預けていきなさい」という事らしい。
窓口の中まで入れて貰って、キャリーカートを預けさせてもらった。
献花を売っている窓口だったので、
衝動的に献花を買う。
周りは売店が多いが、中は落ち着いた雰囲気だった。
ひめゆりの塔。
中の展示を見て回った。
平和資料館と客層がまた少し違って感じた。
意外と若い女性が多い印象もあった。
優秀な女学生たちが戦争に巻き込まれ亡くなっていった。
やっていた仕事も過酷で、
なかでも死ぬ薬を兵隊に与えなければならず、
「これが人のすることか!?」と怒鳴られるエピソードは胸が痛い。
過酷な仕事も、感謝されたり、善性あれば、乗り越えた時に喜びが残る事もあるが。
悪い事に加担させられて、しかも避難される、乗り越えた後でも「あれでよかったんだろうか?」と後悔が残ってしまう。
この旅の始まりは、仕事での混濁した気持ちがあった。
そして生活と老いに気が付き、生きる渇望が薄まっていた。
しかし、沖縄の戦争体験者のエピソードに触れ。
仕事、生活、生命。
解像度の高い辛いエピソード、それでも日々生きようとした生命の痕跡。
なにか茫漠と、価値観が是正された心地がして資料館をでた。
この中で生活していたと思うと深さに驚く。
荷物を預けてた窓口へもどると、
「あんた歩いて旅してるの?」と聞かれ、
旅の話をした。
「暑いから甘いもんとって、倒れちゃいけないよ」と生姜黒糖と紙に包まれたサーターアンダギーをくれた。
「今度くるときは、向かいの蕎麦屋に来なさいね」
「頑張んな」
最後に握手をした。
すこし冷たい老婦人の手、もしかしたら、ひめゆりの当事者か関係者なのかもしれない・・・。
海岸沿いの戦争跡地へ寄ろうするが、日没が近づき途中で諦める。
すこし、沿岸沿いへ近づき岬まで行こうとしていたが、
やはり日没が近いので諦めて県道方面へもどる。
立ち寄れる範囲に轟壕という洞穴があり、
すこし駆け足で立ち寄ってみる。
ひめゆりの塔や平和記念資料館でも再現されていたガマだが、
本物の中に入れそうなので、思い切って入ってみることに。
立ち寄ったときはもっと寂れていて、
入り口だけチラ見しようと思っただけだった。
どうせ中には入れないだろう。
許可なく立ち入り禁止とか書かれているかと思ったが、
階段など整備され、中の空気入れ替えようなのかロープやチューブも張り巡らされていた。
「入れる」
漆黒の狭い入り口をみて。
入ろうなんて思えない程、未知で怖かった。
しかし、
8月15日に生まれ、日本縦断の最後の日、最後の土地で
ガマを目の前にして引き返しました。
で終わっていいのか?
そう思うと、このまま帰れない。
危険ならまだしも、
こんなにきれいに入れるようになっている。
「いこう」
スマホのライトを頼りに中に入る。
入り口は狭く、ケーブルが無ければ本当に中に入れるか疑うほど狭く暗い。
しかし、ほのかな風の流れと、中から水の流れる音が聞こえて、中に空洞があるのがわかる。
明かりは一切ない、スマホのバッテリーが切れたら入り口までたどり着けるか不安になる。
狭い入り口を通ると、中にはすこし広がった水の流れる空間が、
この水が飲めるなら確かに避難するには好都合だと思った。
虫とかいたら嫌だなと思ったが、
整備されているのか、妙な清潔感が漂っていた。
全体的に湿度が高く、天井から水も垂れている、
足も滑りやすく、岩場でごつごつしているので、慎重に歩く。
いや、かがんでいるので、歩くというより這うだろうか。
奥にも空洞がありそうで、
恐くて引き返そうかとも思ったが、
「もう少し」「もう少し」と
励まして奥のフロアへと進んだ。
だいぶ暗い空間にビビっていたように思う。
奥の行き止まりらしきところを見て、
引き返して帰る。
中から外の光を見ると、独特の感情が生まれる。
当時もこんな気持ちが去来したのだろうか?
そんな思いに駆られた。
中ではビビッてしまったが、最後に手を合わせて立ち去る。
すっかり夕暮れになってきた。
橋を渡って街に入っていく。
急いでいた。
街に入ってしまえば、日が沈んでも歩けるのだが、
クロネコヤマトの営業所の受付時間までに荷物を送らないと、
また飛行機で荷物を送ることになってしまう。
この日、泊まるカプセルホテルでも邪魔になるので、
荷物はこの日に送りたかった。
途中、郵便局にも寄ったが、サイズが合わず断念した。
大きな建築。
日が沈む。
クロネコヤマトへ急ぐ。
途中、小学生か中学生?に声をかけられる。
日本縦断って、やべーじゃん、ユーチューバーかなー。
自転車で通りすがりざま、頑張ってくださーい、と声をかけられる。
19:03
クロネコヤマトの営業所に着く。
タッチの差で閉店、自動ドアも開かず、
インターホンも無いので立ち尽くす。
しばらく、嘆きながらウロウロしていると、
中の人が出てきて事情を聴いてくれた。
事情を聴いて、特別に中に入れてくれて、
荷物を受け付けてもらった。
「すぐに終わるなら」と中に入れて貰ったが、
大がかりな荷物なので、少し手間取り、
待たせてしまう形になってしまったが、
快く受け付けてくれて助かった。
ありがたい。
すっかり夜になる。
クロネコヤマトに荷物を預けてから、
気持ちも身体も軽くなった。
北海道で聴いた、
「大空と大地の中で」を久しぶりに聞く。
急いでいた分、ようやくゆっくりできるので、
飲食店に立ち寄る。
色々と迷ったが、
沖縄ではあまりお腹いっぱいに食事がとれなかったので、
ビュッフェにして、
仕事前に痩せた身体を戻そうと思った。
もう那覇市内で、小奇麗な客が多くて、
不潔な旅人の入店で毛嫌いされないか不安だったが、
気持ちよく入店できた。
自分のにおいも気になるので、人が少なそうな奥の席を陣取る。
小奇麗な女性客が多く、
消臭スプレーをかけて、
人の少ない頃合いを見て食事をとる。
いつも通り最初はサラダ。
多分、帰ったら節制生活に戻り、
生野菜のサラダはあまり食べられなくなる。
うんと食べておこう。
限界まで腹いっぱい食べるつもりが。
歩いた後で疲れているせいもあり、
食欲があまり湧かず、あまり食べられなかった。
会計を済ませ店を出る時に、
店員さんに声を掛けられ、
旅の話を少しした。
店をでて、ホテルへ向かう道中。
食事をして、気持ちも身体もオフになってしまったせいか。
歩くのが妙に遅く長く感じた。
ラジオ代わりに、
動画配信を聴きながら歩く。
丁度、大好きなメタルギアソリッド3のラストを
有名配信者が配信していた。
メタルギアは反戦反核をテーマにした作品。
最後のボスを倒し、エンディングに差し掛かる。
最後の最後「帰還報告」のシーンでホテル前に着いてしまい。
ホテルの外で少し回り道して、最後のシーンを聴く。
エンドロールが始まったタイミングでホテルのチェックインをする。
入り口すぐに靴を脱ぐところがあって、
土足で入ってしまい注意される。
カプセルホテルはキレイで、
空いているのか両隣、人が入ってなさそうで快適だった。
荷物は郵送したが、大きなキャリーカートを置いておくスペースなども確保されていて、旅行者には使いやすい構造だと思った。
中はこんな感じ。
だいぶ散らかしているが、
広さは充分快適だった。
大浴場、サウナもあり利用した。
久々の風呂で垢を落とせて、気持ちよかった。
サウナは狭めだが充分。
水風呂が一定時間入ると勢いよく水が出て清潔感あるし、
横からドバドバ出るので、頭も冷やしやすい。
だけど出る水はぬるく、冷やす機構の循環口は別。
外国人の利用客が多く、彼らのサウナサイクルの合間を縫って、サウナ⇒水風呂へ入った。
いつもなら時間をずらして入るが、深夜を過ぎるとサウナが入れなくなるので、どうしても、その時間にサウナをキメたかった。
サウナからでて布団に戻ると気絶するように眠った。
翌朝。
飛行機に遅れるのが怖いので早めに那覇空港へ向かう。
モノレールで那覇空港へ。
旅行客で満席だったが、地元の学生などもチラホラいた。
地元の学生は毎日のようにこの旅行者たちを見ているのか。
那覇空港に着く。
旅のはじまりを思い出す。
やはり受付がどこなのかなれない。
前回の反省を生かし、ネットでチェックインし、
荷物を預ける。
チェックインが終わり、一安心。
すこしあたりをふらつく。
なるべく早く空港に来たかったので、
食事をとっていないので、朝食を探す。
調べて8時にやっていると思っていた。
A&W 平日なので一時間待ち。
こういう空港とかは物価が高くなっているイメージがあるし、
気合い入れて美味しくて量がある店運営しないイメージもあるので、
無難なチェーン店に入りたくなる。
あの癖のある、ルートビアをもう一度飲みたい!
開店前には行列になっていた。
荷物検査前で、余り時間も無いので、
食べ物食べたらさっさと出ることにした。
ルートビアはおかわりした。
すごい美味いわけではないが、やはり癖になる。
出る頃には更に行列が。
今回はかなり余裕を持って席に座れた。
今回はソラシドエアーだったが、
スカイマークが自分には肌に合う感じがした。
窓際の席が取れたので、
子供の用にかぶりつくように窓を見ていた。
自分の足で歩いてきた大地が空から見れる。
一日かけて歩いた道があんなに小さい。
夜中、コケて、猫と戯れた岬があんなに小さい。
熱中症で倒れそうになった名護、本部。
名護から北へ。
キレに見えた橋があそこに。
流石、飛行機。
あっという間に沖縄を離れて本土へ。
羽田空港で、大好きな丸亀製麺。
やっぱりうまい。
近所まで帰り、家の近所の遊歩道を歩く。
小鳥のさえずりもあり、
なんだかんだ地元にも自然があるのだと思った。
帰って翌日、息苦しい職場にもどり、
夜勤明けで帰る。
その翌日、父が倒れ、病院へ。
旅が終わるまで待ってくれたのかもしれないと思った。
この日歩いた距離 36km
沖縄一周で歩いた距離 441 km
日数 12日間
日本縦断合計
北海道 900 km 26日間
青森➡秋田 397 km 11日間
秋田➡新潟 266 km 8日間
能登島一周 72 km 2日間
新潟➡富山 255 km 8日間
富山➡京都 628 km 19日間
京都➡島根 338 km 10日間
島根➡佐賀 783 km 23日間
佐賀➡鹿児島 190 km 5日間
鹿児島 379 km 12日間
沖縄一周 441 km 12日間
合計 4649 km 124日間
日本縦断旅で歩いた距離 4649 km
今回で長かった歩いて日本縦断の旅は終わりになります。
拙い文章でしたが、スキ、コメント、フォローに励まされ最後まで書く事が出来ました。
ありがとうございます。