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こんなとこ住みたくない

よし、お風呂入ろっ。

うちのお風呂は離れにあるので、一旦外に出て寒い脱衣所で服脱いでって気合いがいる。もう日常にはなったけど、慣れてはない。

「今日は一段と冷えてるな」

お風呂に入ると、シャワーヘッドからつららが下がっていた。

えー!!そんなことある!!?笑笑

そこまではよかった。
「すげー!こんなことなるんやー!!」って笑いながら灯油のスイッチを入れて蛇口をひねる。

ん…?

シャワーヘッドの穴、3つくらいからしか水が出ない。

あ、凍ってんのか!!

シャワーのホースを触ってみると、硬い。

まじかー笑笑

え、ちょっと待って。

寒い!!!

当たり前だけど、真っ裸。床のタイルはめちゃくちゃ冷たい。

むりむりむり・・!!!寒いって!!!
どうしたらいいん?!(怒)

しばらくしたら出るんかな?
たしかに今お湯が通ってるわけだし、少しずつ放出される水の量は増えてきて、ホースも柔らかくなってきた気がする。

けど、あとどれくらいかかるか分からない。
このまま待っていたら凍えてしまう。

思考停止しそうになる頭を必死に動かして考える。

…やかんでお湯を沸かして持ってくるか。。

仕方なく一旦服を着始めたそのとき、

シャーッ・・・・・出た!!!

よかった。

よかったけど、、

もうこんなとこ住みたくない!!!

本気でそう思った。

そして、そのこと自体が、二重の意味でショックだった。

一、自分はそんなにもへなちょこなのか。ちょっとお湯が出ないくらいで、ちょっと寒いくらいで心が折れるほど弱いのかということ。

二、たったそれだけの理由で、こんなに好きな場所、有難い家をそんな風に思ってしまうのかということ。

特に一は、これまでいろんな所を旅してきて、さんざんな安宿にも泊まってきて、それでも平気だったという自負を打ち砕いた。弱くなったな…

でもたぶん、裏返せばものすごく心が解放されたということ。我慢して、平気なふりして、強がって、そういうことをしなくなって、ありのままの心を認識できるようになったんだと思う。武装する必要がなくなった。なんて有難いことなんだろう。

そしてその結果、わがままになった。こだわりが出てきたと言った方が聞こえがいいか。笑

これまで「こだわりはない、対応力はある、何でも来い」とやってきたけど、だんだんとそうは思えなくなってきた。快適に暮らしたい、こんなことはやりたくない、これが好き。

だから簡単に、「こんなとこ住みたくない」なんて思ってしまった。それ自体悪いことじゃなくて、露わになった自分の心を素直に見つめて、解決のためのアクションを起こす。それでいい。

まあいっかと割り切れなければ、とっておきの笑い話にしよう(明日はきっといい日になる/高橋優)

うわああってなった後は、話のネタにする。これはよく使う常套手段。

…にしても、もう少し余裕を持ちたいなとも思った。今回あったこと終始楽しめるくらいの。(つららができてるとこまではよかったんだけど、その後は明らかに一線を超えてパニックになった笑)

もう一つ、さっき言った「快適な暮らし」の背景には、それを支えるたくさんの人たちの「働き」がある。今年いよいよ卒業して、”社会人”となるも、一般的な形での就職はしない自分にとって、それは常に頭の隅にあって、気にかかっていること。感謝して生きていく。

―――――

あとがき。

Twitterで、大企業の転勤について「自分で住む場所も選べない」と書いている人を見て、ぎくっとした。

先述した通り、私は「こだわりはない、何でも来い」と思っていたし、実際に父の転勤に付いて転々としてきた経験から、自分が思いもしなかった土地へ飛ばされるおもしろさ、出会う人の数・多様性といったメリットを感じてきた。そして、転勤を嫌がる人たちの気持ちには共感できないと思っていたが、違った。自分で自分のことを分かっていなかった。

もちろん、これまで感じてきたメリットが消えたわけではないし、これからもそういう境遇にある人たちはいるし、何を否定するでも肯定するでもない。ただ、やっと、ようやく、私にもその気持ちが分かったよ。また一つ大人になりました。

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