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いじめは無くならない-いじめの本質とは?

割引あり



学校におけるいじめの現在地

いじめが大きく取り上げられるようになって久しいですが、無くなる気配がありません。

 文科のいじめに関する統計はやっと実相を示し始めたようで、今までは現場(校長・教頭/副校長・教育委員会)がいじめの報告が少ない方が望ましいと考えて、なるべく少なく報告していたものがそうで無くとも良いと理解して報告件数が多くなっている傾向があると思っています。

 正に空気を読むのが得意な今どきの若手の生活指導の担当者が、生活指導の会議に出席していじめは包み隠さず報告をしてして良いと聞いてびっくりしているのが現状です。

 その一方で、上に立つ者は発生件数の多さが自分の教員に対する指導力の無さにつながり勤務評定が下がると思っているので、出来ればいじめは無かったことにしたい気持ちが強いのが現状です。

 私は、現職時代に教育相談委員会のまとめとして長く過ごしてきましたが、いじめ防止対策推進法が平成25年(2013年)6月28日に公布され、同年9月28日に施行されたにもかかわらず、その当時からしばらくの管理職の多くは、いじめの存在を認めず矮小化して単なる生徒間のトラブルとして処理をしようとすることが多々ありました。

 いじめ防止対策推進法第2条第1項では、いじめの定義を以下の様に示しています。
『第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。』

 簡単に言ってしまえば、いじめだと被害者が訴えればいじめなんです、法律上は。セクハラやパワハラと同じです。

 でも、いじめと法律で決まられている事象を、なんのかんのと言っていじめでは無いようにするのが通例でした。

 いわゆる世間を騒がす死者が出るような重大事態事例の発端も、こうした事態認識の矮小化が原因ですから、散々大事(おおごと)にして考え無ければ駄目だと声を上げ認識が変わってきています。しかしまだまだ不十分だと考えています。

 在職最後の年も、友人同士と思っていた関係の中でいじめが発生し、それを担任が認めないのか放置なのかは微妙ですが、初期対応をしなかったので別室登校となり、聞くところによると私が退職後に転校したようです。

 しかも、いじめていた方も別の事情で(決して良いことでは無いです)、自分から退学したという事がありました。

 この件に関して、いじめ対策委員会を開いて協議して、校長にいじめと認めさせましたが、なんと『軽微ないじめ』であるとのたまっていました!
 
 『軽微ないじめ』って何だ? いじめに変わりは無いだろう。それとも何か、世の中には『軽微なセクハラ』とか『パワハラ』ってあるのか? 軽微だと許されるのか? ってなりませんか?

 そもそも、いじめの定義に「どれれくらい」ような軽重に関する記述は一切ありません。要するに、法的には全ていじめであって『軽微ないじめ』と言っているところに闇があるわけです。

いじめの記憶

 私自身、小学校の高学年から中学校の3年間いじめられっ子でした。よく言われているように、いじめた側は何も覚えていないでしょうが、つらかったのは確かです。

 いじめられた原因ですが、私の父方の家系はアルビノというわけではないのですが、色素が薄く色白で瞳の色も茶色です。そこで、まず白人とか言われ、からかいが始まりました

 またこの当時太っていてまるで体が動きません。しかも、運動がからっきし駄目で、走るのも遅い鉄棒も全く出来ない、球技も全然駄目、泳げるけど水が大嫌い、おまけに勉強が出来るわけでも無いし、一人っ子なので兄弟と競い合うような事も無くただのお坊ちゃま体質、さらに3月生まれといじめられる要素満載でした。

 ただ、不思議なことに小学校時代は具体的に何をされたという記憶は残っていません。それでも、一番嫌だったのは学芸会の劇で、配役を決めるときに単に肌の色が白いからと雪だるまの役をすることになったことです。

 段ボールで作った張りぼてを着て、白いタイツをはくので色白である必要は全く無いのですが押しつけられたのです。

 しかも、とても珍妙な雪だるまダンスなるものを踊らなければならないし屈辱以外の何物でもありませんでした。いまだに鮮明に覚えています。

 そしてこんな私だったのですが、私自身もいじめをしているんです。

 小太りのちょっとトロい同級生の女の子に対して、体育館から教室に至る通路の教室棟の扉の鍵を締めて入れないといういじめをしました。もっともいじめている感覚は無く、悪ふざけのつもりだったと思います。

 でも、その子はパニクってドアのガラス部分に頭から突進して、ガラスを割りました。その後のことは、記憶にないのですがとにかく怪我無く教室に戻ったのは覚えています。

 いじめられっ子の張本人の私が、悪ふざけのつもりでいじめを行った事実は、凄く重いことだと思っています。

 さて、中学校に入ると今度はガリガリに痩せ細って身長だけ伸びましたが、もちろん運動音痴が治るはずも無く、それに見るからに弱そうな風貌でした。
 
 にもかかわらず、口から先に生まれたと親に言われるほど理屈っぽく、学級会の評決でも賛成意見/反対意見の両方共に一理あると思ってどちらにも賛成しないような中学生でした。

 また、どうしたことか口が悪く、給食代わりのパン販売当番になった時に、「パン頼む馬鹿いる?」とやってしまったのです。

 当然、俺は馬鹿じゃ無いけどパン頼むんだけどと絡まれます。
 
 しかも、前にも書いたように、兄弟も居ないので、取っ組み合いの喧嘩すらしたことがありません。従って、タジタジもじもじしてるだけです。

 さあ、こうなったらこいつは弱いという事で、しょっちゅう絡まれます。

 トイレの洗面台の前で髪の毛を整えようと櫛を出しただけで、生意気だと殴られ、その内廊下を歩くだけでちょっかいを出されるようになりました。

 筆入れをぶん投げられ中のシャーペンその他が破損して使えなくなったり、ある時は鉛筆を削るためにみんなが持っていたボンナイフを手首に押しつけられ、驚いて手を動かして出血したこともありました。

 これが、象徴的ですが相手は本気でナイフで切りつけようなどとは思っておらず『悪ふざけ』であったと思います。

 『悪ふざけ』今で言うと『ノリ』ですかね、コレ本当にヤバイです。

 他にも、自転車を強制的に持って行かれて乗れなくなったりもしました。この時は、父親が怒って直ぐに相手の家に行き取り返してくれました。

 この自転車を持って行った同級生は、ジャイアンみたいな感じで身体が大きく力も強く誰も逆らうことが出来ず、特に自分のような弱いやつは憂さ晴らしの良い標的だったのだと思います。

 一番嫌だったのは、卒業間近の時期に教科書その他が入ったショルダーバッグに、腐ってしたたり落ちる牛乳のテトラパックを入れられた事です。誰がやったかも分からないし、分かったところで反撃も出来ないし、卒業までのわずかな間ではありましたが、臭い教科書を開いていたような記憶があります。

 自分のいじめについては、自己紹介に於いて触れていますので一部重複しますが、もう少々お付き合い下さい。

 高校受験では、同じ中学校の生徒が多い高校に進学するといじめられるに違いないと考え、極力そうならない学校を選び、いじめとは決別できました。

 環境を変えて本来の自分を解放したら、高校生活は私にとって最高最上の夢のように楽しい3年間となりました。

 その後、大学ではさすがにいじめみたいな事に遭遇することも無く、教員になりました。

 ところが、教員になって1年目は、とにかく右も左も分からず使い物にならなかったからでしょう、ちょっと先輩の教員にいじめられていたようです。

 1年目が終わるときに、別の年配の先輩教員にいじめられてたよね1年間って言われたので、なるほど、当たりが強いだけかと思っていたけどそういう事なのかと納得しました。

 嬉しいことに、仕事ができるようになってくると、当たりが強い事も無くなり、いじめていたとされる人達とも仲良くなりました。

いじめは無くならない

 自分のいじめの体験でも書いたように、いじめられていた自分がさらに弱い者に『悪ふざけ』のつもりだったにしろ、いじめを行っていた事実を考えてもなくなるとは思えません。

 だって、自分がされて嫌なことを、何の考えもなく他人にしているんですよ。いじめられてる当事者が。
 
 だとすれば、「いじめ絶対駄目」なんて呼びかけても、無くなる訳がないんです。

 周知のように、いじめは今になって突然行われるようになったわけでは無く、太古の昔、おそらく人類の誕生と共に行われてきた行為です。

 もし、いじめが人間にとって不必要なものなら、ずっと昔に淘汰されているはずですがそうなっていませんし、どの地域でもどの民族でもいじめはあると考えざるを得ません。

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