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多摩ニュータウンの終焉?と移住

実は、私は多摩ニュータウンと呼ばれる地域の中心的な街、多摩市から山梨県北杜市に移住しました。

本家筋は、400年以上前から現在の多摩市の一角に暮らしており、言い方は変ですが土着の多摩市民です。

氏子の神社も菩提寺も、市内にあり京王線・小田急線・都市モノレールの駅が複数あり、新宿まで30分以内と恵まれた環境にあります。

そうそうサンリオピューロランドは、元の家の最寄り駅の隣の多摩センターにあり、駅から歩いて5分ほどで到着します。

この駅の周辺は、まだまだ賑やかなのですが、元使っていた永山駅周辺の活気の喪失は、目を覆うばかりです。

多摩ニュータウンの永山団地は、東京都多摩市に位置し永山駅に隣接する大規模な住宅団地で、1971年に入居が始まりました。

そう昭和46年に入居が始まって、もう53年経っているわけです。

そのため、設計が古く5階建てであってもエレベーターもなく、場合によって風呂もありませんでした。無論駐車場も十分な数は設置されていませんでしたが、大人気で若い子育て世帯が、ドッと入居しました。

もうお分かりかと思うのですが、当時入居されて方は70歳を超えています。

そして、若い人口はドンドン減って小中学校もドンドン統廃合されています。

永山駅を使う中学校と高校はあるので若い人もいますし、駅そばのグリナード永山にはマクドナルドやドトール・ハニーズと行ったお店もあります。

西友があったり一通りの買い物が出来るのですが、この地に済んでいるときから全くといっていいほど利用していませんでした。

というのも、買い物は基本車でするので、永山駅周辺より多摩センター周辺か郊外のショッピングモールの方が欲しいものが簡単に見つかり便利だったからです。

そして何といてもつらかったのが、街としての活力の低下です。

このグリナード永山って、ほぼ地元の人しか使わないので、ドンドン高齢化が進んで年寄りしかいなくなったのです。

私も、年寄りの仲間入りしているわけで、年寄りがいること自体が悪いのとか言いたいのではありません。

若い人がいないので、とにかく活気が無くて滅入るんです。

こう書くと、天つばで年寄りの悪口を言っているようになってしまいますね。

永山団地に限らず市内の団地は、リノベーションされ綺麗に便利になっているのに、多摩市人口は自然減になり、20代から30代は転出超過となっています。

とにかく団地内に設置されていた商業施設は悲惨で、地方のシャッターットリと同じかそれ以上に廃れています。

商いをしていた方が高齢化して、そのまま店を閉じるのだと思います。地域に将来性もなかなか感いられないから、次ぐ人もいないのでしょう。

そして他からのお客さんが多かった聖蹟桜ヶ丘という駅に隣接するショッピングモールもドンドン空き店舗が増え、これまた目を覆わんばかりになっています。

まだ、多摩センター周辺はましな方ですが、京王プラザ多摩が閉館し、三越も撤退し最盛期を知るものにとっては悲しいばかりです。

この地で、およそ50年暮らしていて、便利で大好きな街だったのですが、一念発起して北杜市に移住してみたら、以外としっくりくるんです。

もし分けない言い方ですが、最初からこれまでのような便利さが無いとわかっていたので納得が出来ているのでしょうかね?

考えてみて下さい。ネットスーパーが立ちゆかなくなりセンター方式になって変える品数が減ってきたり、行きつけのお店がドンドン無くなって休憩コーナーばかりが増えた商業施設に行く虚しさ。

今住んでいる北杜市に失礼な言い草になりますが、無いとわかっていたらそれなりに対処方法があるのですが、あった物が無くなるとなかなか気持ちの切り替えが付かず上手くいかない物なのです。

住めば都というこの場は、新しいところに移り住んだ場合の言葉ではないでしょうか?

住んでいた都が寂れていっても、へこたれないメンタルは私はありませんでした。

もっとも、ここら辺の所は全国の人口減の地域の人が感じているのと同じなんですよね。
それを私はこれまで感じ時に過ごしてきただけなのでしょう。

歩いて10秒で付いた家向かいの歯医者さん、歩いて1分秒で出せた郵便物、歩いて5分で着いた自動車ディーラー、歩いて12分程で着いた最寄り駅、今は全て車での移動です。

でも、仕事をしていない身なので時間があり、それら全てを車を使って時間をかけても苦にはなりません。

車の乗れなくなったら、大変ですけど。

そんなこんなで、北杜市に移住してメンタルの安定を得て本当に幸せだと思っています。

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