KID Aの「新しい」とパキスタンの明るい空

2000年の9月はインドのダラムサラにいた。チベットの亡命政府が拠点としているヒマラヤ沿いの小さな村で、夏から秋にかけてそこでチベット仏教を学んだり、ただ山を歩いたり、夜な夜な友人と音楽を聴きながら花札をしたりガルシア・マルケスやTom WaitsやRadioheadについて語り合って過ごした。雨季が終わろうとしていて、昼夜を問わず、スコールのような激しい雨が時々村を通り抜けていった。長雨になると、3日も4日も身動きが取れないこともあった。

宿の並びに建設中の建物があって、インド人の家族が住み込みでこつこつ家を建てていた。柱が組み上がってようやく床と天井が張られたような状態だった。自分の家なのかもしれないし、誰かに雇われているのかもしれない。どこからともなくセメントや木材を運んできて、昨日と今日の違いはまったく分からないけど、2週間もするとなんとなく全体のシルエットが変わっているようなスローペースで、幼い子どもを連れた夫婦が家を建て続けていた。雨の日が続くと、彼らは屋根のある場所に身を寄せ合って1日中じっとしていた。

大学の授業が始まる前に、9月の終わりには帰国する予定だった。9月の終わりには日本で大切なミッションもあった。Radioheadの新作『KID A』が世界に先駆けて先行発売される。帰国したらすぐにHMVで『KID A』を2枚買って、1枚をダラムサラの友人に送る約束をしていた。ダラムサラ滞在中の友人との話題の多くは、前作『OK Computer』に続くこの「新しい」アルバムのことだった。

Radioheadはそんなに好きではなかったし、むしろ少し小馬鹿にしていたぐらいだった。後にBeckが雑誌のインタビューで語った「RadioheadはThe Beach Boysみたいなバンドだ。初めは誰もまじめに聴いてなかったけど、気づいたら無視できない存在になっていた」という言葉が的を射ていたように思う。ただ、当時『OK Computer』が「新しい」ことは理解できたし、続く『KID A』がもっと「新しい」存在であることもわかっていた。そういうものを歓迎するムードがあることも肌で感じていた。もうカート・コバーンはいないし、Michael JacksonもGuns & RosesもThe Stone Rosesも長いこと梨の礫だったから。

『KID A』というアルバムにはそんな「新しい」空気が漂っている。20周年の記念版で『KID A』と次作の『AMNESIAC』が2枚組になって『KID A MNESIAC』としてリリースされるというニュースを聞いて、やっぱり同じような気分になった。もう、ものすごく昔の音楽なんだけど。


ダラムサラの夜は暗い。なにせ明るいものが何も無いから、対比としての暗さではなくて、絶対的な寄る返ない暗さだ。自ずと聴覚が研ぎすまされ、虫の鳴き声や風が扉を叩く音、遠くで夜行バスが鳴らすクラクションの音などに、その都度小さく反応してしまう。

でも時々、東の空が明るく照らされることがある。そんな夜は外に出て、友人とベランダでタバコを吸いながら「またパキスタンで戦争が始まったね」なんて会話になる。

明るい空の中を西に向かって飛んでいく飛行機を見上げて、「日本に向かって『KID A』を運んでいる飛行機かもしれない」という話を、懲りもせずに何度も何度もした。あの頃って「音楽をまだ聴けない」ということも「音楽を聴く」という体験に含まれていたんだよなぁ。

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