ピノキオピーのアルバム限定曲を語る
はじめに
ピノキオピーのアルバム曲はいいぞ!!ということで、好きなアルバム限定曲を語ります。ほんとは全アルバムを通しで聴いてほしいのですが、なにぶん曲数が多いので、アルバムを聴くという楽しみ方の入り口になればいいなと思います。
YouTubeのリンクは公式のやつなので、気になったのがあれば飛んでみてください。
羊たちの沈黙 / HUMAN(2016)
VOCALOIDと人間のダブル主演を試みた挑戦的なアルバム、『HUMAN』からの一曲。壮大な実験のひとつの到達点として、めちゃくちゃ好きなアルバムです。
「羊たちの沈黙」はそんなアルバムの7曲目。かつての仲間たちが大人になっていくのを横目に、夢を追い続けることに葛藤するぼく、という内容の曲です。どこか自虐的でせつない歌詞とキャッチ―なサビが大好きです。
ピノキオピーの楽曲としては非常に人間らしい、主観的な歌詞が特徴的だと思います。『HUMAN』を掲げるだけありますね。MV曲ではあまり見られない一面を覗かせてくれるのもアルバム曲の魅力です。
他にピノキオピーの主観っぽい歌詞が見られる曲として、最新アルバム、『META』(2023)の表題曲、「META」を挙げておきます。
あんまり作品と作者を直接結び付けて考えるのは好きではないのですが、ピノキオピー自身の思索や試行が歌詞として出力されているのかな~、なんて想像をしてしまいます。
I.Q / 零号(2019)
性癖!!歌詞が性癖なんです。天才の”きみ”の背を追い続け、なんとかして勝とう、出し抜こう、振り向かせようとする相対的凡人の”ぼく”。研究者が題材になっているところもまた良いんですよね、、、多くの”凡人”の努力の積み重ねがあってこそ、天才が輝くものですから。
天才の”きみ”にとっても、”ぼく”は心の置き所となりうる存在の一つで、観察対象か、ただの道化か、ひょっとしたらもっと重要な存在か、、、なんて、妄想が深まってしまいます。SSが読みたいぜ。
それにしても、ピノキオピーの描く”ぼく”と”きみ”の歌はどうしてこんなにも響くのでしょうか。登場人物を2人にまで絞ったミクロな物語、大好きです。
余談ですが、『零号』の楽曲群は自分が中学生のとき、もろに”喰らった”楽曲たちであり、本当に本当に衝撃的でした。「負けた」とさえ思いました。今思うと、なんというか、タイムリーなかんじがしますね。
死ぬのはいつも他人ばかり / 増殖する今村(2017)
死ぬのはいつも他人ばかり、面白い詞ですよね。マルセル・デュシャンとかいうフランスの人の墓碑銘らしいですが、まあそこはいいとして。
”他人”というのが”自分以外の人”という意味だとすると、この文章は常に真で、「はじめましての人ははじめまして」といっしょですね。
自分自身の死が知覚できないのだとしたら、自分の人生の中にある死は他人のものだけで、そう考えるとなぜだか安心できる気がします。
めちゃくちゃ盛り上がるラスサビで、”うどん食うような”という脱力感が心地よくて好きです。ピノキオピーの好きなところの一つです。
人の生き死にさえも客観的に描くようなある種の冷たさをもちつつ、人間らしい暖かい同情や共感ものぞかせる、バランス感覚が絶妙だな~といつも思っています。すげ~。
『増殖する今村』も大好きなアルバムで、MVが出ている率が少ない、アルバム限定曲の宝庫と言ってよいと思います。今村の陰に隠れて、ピノキオピーが好き放題しまくっている印象があります。
この前のモンストロがピノキオピーライブ初参戦だったんですが、「増殖する今村」のコールアンドレスポンスが今村さんに対するデモみたいになっていて、最高におもしろかったです。
Obscure Questions / Obscure Questions(2012)
ピノキオピーの1stメジャーアルバム、『Obscure Questions』の、表題曲にして堂々の最終曲。疾走感のあるバンドサウンドとおなじみのピコピコ音が楽しい曲です。
ピノキオピーの歌詞の好きなところのひとつに、ちょうどいい口語っぽさがあるんですが、この曲はまさしくそれだなあと思います。
お得意の”ぼく”と”きみ”の物語でありながら(大好物!)、最後のこの↑フレーズでこちら側にも問いかけてくるんですね。こういったメタ言及みたいなものは大好きなんですが、これはピノキオピーのせいかもしれないです。魔法が解けた後に、本当に何が残るんでしょうね。
ピノキオピーの好きなところは(お察しの通り)本当に本当にたくさんあるんですが、もし一つだけを挙げるとしたら、”おもしろい”ところかなあと思います。歌詞にせよ音にせよMVにせよ、”おもしろいことをしてやろう”という意気込みを毎度感じていて、自分は毎度ウケています。
とうめい / Comic and Cosmic(2016)
出ました!アルバム限定曲のなかではかなり有名な気がします。(ほんとに?)初出はアルバム『漫画』(2011)ですが、ストリーミングだと聴けなさそうなのでリマスター版のほうを貼っときます。『Comic and Cosmic』はピノキオピー初期~中期の集大成的なアルバムなので、ここから入るのもありかもしれません。
ピノキオピーの十八番、特定のフレーズを曲中でなんども繰り返すやつが、すごく効果的に使われた楽曲です。
卑屈で厭世的で臆病な一般人の”ぼく”が、決してたいそうな人間ではない”きみ”に、ちょっとだけ救われる。世間の人を極端な悪者にしないところとか、”きみ”を純真無垢で神聖なただの救世主にしないところとか、単純なキャラクターではない、グラデーションがかかっているところが魅力的です。
安易に二元論に帰着させない、あいまいさを恐れないところはピノキオピーの作家性だと思います。デリダやドゥルーズの影響があったかどうかは知りませんが、個人的にはすごく好ましいというか、受け入れやすい性質です。
ヒーローが来ない / しぼう(2014)
ピノキオピーのメジャー2ndアルバム、『しぼう』からの一曲。好きな曲はいっぱい入っているのですが、なぜかアルバムとしての印象は自分の中では薄いんですよね。
表題の通り、町のヒーローが突然消えてしまい、嘆き考える市民たちの歌です。ある種の偶像であったヒーローの”弱さ”や”人間らしさ”に着目した、寂しくも優しい歌詞が好きです。
本当に、逆説の人だな~と思ってしまいます。失ってからようやくそのありがたみに気づきだす、一般大衆に対するちょっとしたトゲも感じさせますね。ヒーローとは行政なのかもしれません。
最後の最後にヒーローは…どうなったんでしょうね。あえて明言せず、こちら側の想像に任せられてしまいます。余情があっていいですよね。「eight hundred」の最後とか、大好きなんです。
あかんぼ / ハナノビガール(2009)
ピノキオピーの1stアルバム1曲目。アルバムとしては正真正銘、最初の一曲です。
完璧!!ファーストアルバムの1曲目として完璧すぎます。”あかんぼ”にこれから先の人生を想像させながら、ピノキオピーとしての今後の体験を示唆するようでもあります。”ピノキオピーのミク”みたいな概念を考えるのも楽しいです。
サビの並列が本当に強い。そんでもって最後は”するんだろな”と、力を抜いて締めています。もーほんとにすごい。あるあるの精度が高いのもピノキオピーの好きなところです。
極めつけはこのラストのフレーズ。
”みんな”と呼び掛けてこちら側を巻き込んできつつ、機械としての初音ミクに無垢性を謳わせる。VOCALOIDが歌うことに意味があって良いですよね。
ちょっと皮肉っぽいところを見せつつ、最終的には希望を謳うところ。人でないものの仮想的な視点から人を見直すところ。端々にユーモアをちりばめるところ。口語体、並列、繰り返し。最初期の曲ながらピノキオピーのエッセンスがたくさん詰まっており、もうこれは芯なんだろうなと思います。好きだ……。
「なんてね。」 / ハナノビガール(2009)
1stアルバム、『ハナノビガール』からもう一曲。め~ちゃくちゃ好きな曲です。
楽観的虚無主義というんでしょうか。世界の醜さ、美しさ、人生の意味、苦しさ、楽しさなどに思いを巡らせながら、半ばやけっぱちでも楽しくやってこうじゃないか、みたいな。すごく”らしい”歌詞だと思いますし、もう本当に好きです。
見てくださいこのラスサビ。
最後の最後で ”なんてね。” と、冗談っぽく締めるところが本当にピノキオピーだなと。肩の力を抜いて楽になれるし、説教臭さを消す効果もあるのかななんて思います。ただ用意された歌詞を読み上げるだけでない、人間らしい側面が歌手に付与される気がしていて、ピノキオピーのミクがますます魅力的に感じられます。
ピノキオピー、初期のころから歌詞が本当に良いですよね。今と違って粗削りというか、必ずしも他人に理解されようとはしていないところがあり、最近の曲とはまた違った魅力があります。ただ、表現の方法を変えながらも根っこの部分は一貫しているようで、強固な人生哲学をもったひとなんだろうなと思います。
本人がどのような信念で創作しているのかは知る由もないですが、個人的にはユーモアとか万物賛歌とか、そのへんがテーマとしてあるんじゃないかと思ってます。(皮肉もよく言われますが、ユーモアの一形態と考えています)
この曲、歌詞を眺めてると、ピノキオピーの他の曲っぽいな、と思うところがいくつかあります。”ぼくらはみんな意味不明”とか、”ニナ”とか、”アポカリプスなう”とかとか。それだけピノキオピーの根っこに近い部分が現れている曲なんじゃないかと思います。
LOVE / ラヴ(2021)
現代ピノキオピーの傑作アルバム「ラヴ」より、表題曲の『LOVE』です。”ラヴ”を軸として、熱狂も恋愛も疎外も描いた本アルバムにおいて、それらを総括し、希望を添えるような一曲となっています。
暖かい歌詞と爽快な二段サビが大好きな曲ですが、あまりにも壮大というか、とにかくすごすぎてMV化は難しいんじゃないかと思っちゃいます。そういう意味でも、アルバム曲としてじっくり聴けるのは幸運なことかもしれません。
すごすぎる!不完全で有限な存在たる我々を肯定してくれるかのような、暖かい歌詞です。”ラヴ”ということばを基底として、世界のあらゆるものを描写するかのような勢いでスケールを広げつつ、最終的には”ぼく”と”きみ”という最小限の物語に帰結する。このスケール感の扱いがめちゃくちゃ好きです。
ピノキオピーの似たようなテーマの曲として、「ラブソングを殺さないで」(2012)がありますが、それよりももう一歩、踏み込んだ印象があります。人の生とか死に言及しているところや、”勘違いでも”という部分とかでしょうか。勘違いでも、勘違いでも……いいですねぇ。「ヨヅリナ」(2018)もおすすめしておきます。好きなので。
ピノキオピーのアルバム表題曲は特に好きなものが多いです。これまで挙げた曲以外にも、「アンテナ」とか、「遊星まっしらけ」とか、「しぼう」、は……かなりヘンテコな曲ですが、これも好きです。
歌詞にせよ音楽にせよイラストにせよ、とにかく引き出しが多くて、常に新しいこと、おもしろいことをやろうとしているように見えます。そういうところが、(自分にしては)長期間にわたって好きでありつづけている原因なのかなと思います。
おわりに
文中で何度も”良い”という言葉を使ってしまったのですが、これは自分の不徳の致すところで、適宜”好き”とか”好み”に読み替えていただきたいです。良し悪しを語れるような人間ではないのですが、なんというか、文章を書くのは難しいですね。
この文章はピノキオピーの書籍出版記念生放送を見て、届くのが楽しみすぎて書いてしまったものです。はじめてこういう記事を書いたので、変なところがあったらすみません。歌詞の引用部分やリンクなど、間違いを見つけたら教えていただけると幸いです。
アルバム曲に限らず、好きな曲はいっぱいあるので、多くの人に多くの曲を聴いてもらって、好きになってもらえたらうれしいです。それでは、ここまで読んでいただいてありがとうございました。たのしみー!