
思考の「拡がり」を考える
先日突然、生きることが楽になる思考パターンを習得することできました。
今日はそのことについて書いてみようかなと思い、noteを書いています。
つらつらと文章を書くことが好きで、見出しを立てて書くのが苦手なわたしですが、今日は頑張って見出しをたてて書いてみますので、ぜひお読みください。
みなさんの何かの助けになればいいなぁと思います。
考えすぎることが苦しみを産む
わたしがわたしを自己分析するとまず最初に思いつくのが
「心配性」
「やさしい」
という特性です。夜寝る前とか必ず将来への不安や「いきなり死んだらどうしよう」とか、このまま毎日を過ごして大丈夫なのだろうか、とかそういった漠然としたフワッとした不安を抱えがちな人です。
それは責任感とも置き換えることもできますが、考えすぎて日常生活から笑顔が消えることもまあよくあるので、正直よくない特性だとわたし自身は捉えています。
もうひとつ「やさしい」という点については諸刃の剣のような性格です。
やさしいことで、困っている人に手を差し伸べることができます。これはもちろんいいことですね。隣人にとってプラスな人であることで、私の周囲の人たちもプラスの人で囲まれていくきっかけになります。
ただ反面、やさしいことで「他者の困りごとをまるで自分の困りごとのようにとらえてしまう」デメリットがあります。
例えば友人が人間関係に困っていたとして、それは本来その人の特性とかこれまでの行動によって引き寄せた人間関係です。わたしのせいではありません。
ですが、話を聞いていると、まるでわたしもなにか悪いことがあったのではないかと思ってしまうほど相手の問題にのめりこんでしまうことがあります。
これは非常にわたし自身のQOLを低下させています。
人に対して共感が出来る、自分事のようにとらえることができる。それ自体は非常に「よいこと」だと捉えています。
が、行き過ぎて自分に影響が出てしまうのはいけません。
他者の話や相談、他愛のない話から自分の世界が拡がっていくのは、社会的動物である人間にとってこのうえない喜びですが、その拡がりが負担になってしまうようでは本末転倒です。
そしてこの「わたしの世界の拡がり」が、今回のわたしの気づきとなりました。
不要な「拡がり」を捨てること
これまでのわたしのnoteを見てくださった人は、わたしが会社を経営していることを知っていると思います。
わたしは会社の経営者ですが、すべての権利を有しているわけではありません。同じように役員として会社を経営する仲間がいます。
わたしのものとには日々多くの相談事がきます。今までは、その相談事をすべて「わたしが対処すべきわたしの問題」であるかのように考えてしまっていました。
例を挙げるなら、以下のようなことです。(例示であって、現実に起こっていることではありません)
知らないルートから採用した社員に社会的問題があり、社員から苦情があがる
そのことについて別の社員から相談される
まるでわたしが採用したかのように凹み、対応に頭を悩ませる
これは今までのわたしであれば、その「知らないルートで採用した担当者」と同じ目線でストレスを抱え、対策に頭を悩ませていました。
たしかに経営者という目線であれば、会社の問題を自分事として捉えて対応するのはすばらしいことなのかもしれません。
ですが、果たしてこういった「知らんとこで起きた知らんトラブル」は、果たしてわたしが最前線で対処すべきものなのでしょうか?ということを突然思いました。
立場がある、責任があるから真摯に対応すべきだという理屈はわかります。
ですが、会社をやっていると「そうならないようにこうすべきなんじゃないの?」という提案をしていても採用されず、結果ダメになってしまい、その時になって「どうしましょう?助けて!」という事態でバトンタッチされることが多々あります。
もちろんその事象に対してやれることはやるのが経営者です。ですが、心まで問題を起こした当事者と同じに疲弊する謂れはないよね?と昨日突然思いました。
この考えは非常にわたしの頭の中をスッキリさせてくれました。まさしく私の推奨する「テキトピア」な考え方だったからです。
やるべきことはやる。もちろんやる。でもその結果がどうなるかについての心配はしなくていい。だって本来わたしが起こした問題ではないからです。
本来わたしのせいではない問題を、あたかもわたしのものであるかのように「世界を拡げる」考え方は、悪しき思考パターンであり本来必要ない配慮だと気づいたのです。
そしてその「不要な拡がりを捨てる」考え方は日常生活においても効果を発揮しました。
先の心配はしなくていい
わたしのような心配性の性格の持ち主は、とにかく先の心配で頭がいっぱいです。
今と同じ生活をずっとしていけるのか、健康は大丈夫か、幸せになれるのか、子どもが満足できる人生を送れるのか、お金は大丈夫か…
本当にキリがありません。
ですが、どこまでいっても未来は誰にもわかりません。当たり前ですが、わたしたちは今を生きる以外の選択肢しかありません。
仮に今日わたしになにかがあって大変なことになってしまっても、それは現時点では可能性のひとつでしかないわけです。「何かが起こるかもしれない」というものは、必然の不安ではないのです。するだけ時間の無駄です。
つまり、今を生きているわたしの認知の外、未来や過去に向けて思考を「拡げる」ことに、あまり意味はないのです。
もちろん、将来こうなりたいという願望を持って未来への展望を「拡げる」ことはよいことです。とてもポジティブだと思います。大いにやってください。
ですが、ここで言うのは、先の不安や他人の不安という「どうにもできないこと」への思考の「拡がり」です。
不安はあるけど未知数だ。
だからこそ、今やるべきことをやって、楽しんで生きて、それでいい人生だったと笑えるものであったらいいよね。そう思えるような思考力を養うことがよい人生を生きる秘訣なのかもしれません。
まとめ
相変わらず長くなってしまったので、箇条書きにします。
不安を生むネガティブな「拡がり」を捨てる
ポジティブな「拡がり」を大切にする
今わたしが大切だと思うことを享受する
不安は未確定の思考の産物
未来は未来が教えてくれる
他者の悩みを自分事にしない
心配事は起きるかもしれないが、今悩むことには意味はない
わたしはわたし
他人は他人
皆さんがテキトピアに生きるための助けとなりますように!
今日もテキトーに生きていきましょう。