第2項 常識を疑う。常識にとらわれない(第1章 成長する力)
前回に引き続いて、柳井 正さんの「経営者になるためのノート」を読んで、これは教師や学校にも応用できるのではないかなと思って、経営者になるためのノートをもとに「教師になるためのノート」を書いてみました。最近、教師になる人が減っている中、さらにこんなことを言ったら、もっと減るかもしれませんが、教師はそもそもこういった志が必要なんじゃないかと最近思います。
こんな若造が何言うてんねんと思うかもしれませんが、今後の自分のためにもここに記しておこうと思います。
第2項 前例を疑う。常識にとらわれない
前例踏襲が学校の教師の進化を妨げる
目標を高く持つことは、既存の延長線の発想ではないイノベーティブな取り組みを促す効果があると言いました。
しかし、そもそも、教師は常日頃から前例と言われているものを疑い、前例にとらわれないでものごとを考える思考習慣を持つようにしなければいけません。
教師の成長、学校の進化を妨げる最大の敵。それは「前例踏襲」です。
我々は、一つの業界、一つの学校、一つの事業の中にいると、いつの間にか、勝手に今ある状態を「当たり前」だと認識するようになります。
その結果、
「クラスは担任一人が責任を持つものだ」
「定期試験は学期に2回するものだ」
「服装はこうあるべきだ」
などと、勝手に線引きをして、自分たちのポテンシャルを自分たちで封じ込めてしまします。しかし、その線引きは誰が決めたのですか?そうしなければいけないという、国際的なルールがあるのですか?
そんなことはありません。全部、自分たちで勝手に思い込んで、あるいはすみ分けをするために、自分たちの都合で線引きしているにすぎないことです。
この線引きに顧客は不在です。
生徒、保護者、地域からしたら意味がないこと、不便をかけてしまうこと、これが、業界や会社や事業の人たちが「常識」と言っていることだったりするのです。
その結果、生徒、保護者、地域からすると大切なことができていなかったりするわけです。
業界の慣習は過去のものです。そこを見ていても企業に未来はありません。生徒、保護者、地域のことだけを見ている学校に未来があると思います。
ですから、いわゆる「前例」と言われるものほど
「子ども目線で見てそれは正しいことか」
「保護者がそうでなければ行けないと思っていることか」等
というように、疑ってかからなくてはいけないのです。
また、自分が生徒の立場に立ったとき、不便だと感じたり、あったらいいいのにと思ったり、あるいは保護者から「これをしてほしい」と言われたら、「うちの前例にとらわれていて、生徒にとって本当に必要なことができていないんじゃないか」と疑問に思うようにならないといけないのです。
それを「申し訳ありません」とか「うちはできません」で終わらせてしまっていたら、その教師や学校に未来はないのです。
不安に取り憑かれないで、まずはやってみる
我々の属する教育業界は非常に保守的で、業界や学校の中の常識にとらわれている学校や教師が少なくありません。常識に心が支配されてしまうと、
「それは無理だ。そんなことはできない」
「それをやっても、うちはうまくいかない」
「そんなことをしたら、たいへんなことになる」
などと、勝手に自分の中で思い込んで、実行しようともしなくなります。
大切なことはまずはやってみることです。
やってみた結果、万が一不安が的中した場合。やることは唯一つです。生徒や保護者のために万策を次々と考えて実行に移すということです。だめだったらまた頭をひねって、次の施策をやる。そうやって具体的なことを実行していれば、不安を感じている暇はなくなるはずです。