「遊びが学びに欠かせないわけ」に載っている、義務教育の7つの罪に納得した話
最近、公立学校のシステムに違和感(「なんで宿題をしないといけないの?」「無理やりやらせることに価値があるの?」等)を持っている方々とお話することがあったので、その違和感についてもう少し深掘っていきたいと思いました。
今回は、以下の本を参考に考えていきたいと思います。
ちなみに、この本は、ピーター・グレイさんという昔公立学校で先生をされており、現在は心理学の教授をされている方が書いたようです。この方は自立した学び手を育てるためには、遊びが欠かせないことをこの本で述べられています。
まだ途中までしか読めていないので、僕が共感した4章「強制された教育制度の7つの罪」を中心に義務教育の違和感について述べていきます。
義務教育の7つの大罪
ここでは、4章で7つの教育制度の罪について紹介していきます。この章では、そもそも子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在であり、学校の強制力によって、社会のリーダーが好ましいと考える人間に子どもをつくりかえる必要が当時のプロテスタントの改革主義者たちにとってあったようです。
しかし、この作者は、この考えに同意ができず、本来子どもたちは、大人が子どもに強制することなく、自由と機会を与えたら、自らの動機と方法で見事に学ぶことができると考えています。
罪1 正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している
これが、残りの6つの基盤になっているようです。個人的な解釈を入れると、子どもがある年齢になったら、選択の余地なく、同じ年齢の子どもたちと一緒に教室で学ぶシステムに疑問があると述べていると思います。
罪2 責任能力と自主性を発達させる妨げになっている
「学び」というものは本来自由であり、知的好奇心がくすぐられるものです。しかし、学びを強制することで、子どもたちは、自分自身の人生について責任をとるのではなく、うまくいかなかったら大人の責任であると被害者意識をもってしまうそうです。
罪3 学びの内発的動機づけを軽視している
確かに、自分の子どもを見ていても、保育園のときは、とても楽しそうに、何でもチャレンジして、何でもやろう、学ぼうとしているように思えるのですが、小学校に入ってからは、勉強や宿題をすることがとても嫌そうです。
いつも、自分の息子は、「なんでこんなんしなあかんの?」といっており、好きなレゴができなくなることに文句をいっています。
罪4 恥ずかしさ、思い上がり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する
自分の分かるのですが、どうしても人と比べたり、比べさせて頑張らせようとしてしまうんですよね。それが、結局子どもたちの学ぶ意欲をなくしてしまうのかもしれないです。
罪5 協力といじめの衝突
学校では勉強、体育大会、合唱等様々な場面で競争をあおります。それが楽しい子もいれば、楽しくない子もいます。同じ年齢の子どもみんなでそれをしようとした結果、苦手な子とかがいじめられたりする構図になっていますよね。
罪6 クリティカル・シンキングの禁止
本来のクリティカル・シンキングは否定的に考えたり、試してみたり、試行錯誤したり、時間が必要です。そのような時間や場は今の学校にはほとんどないですよね。
それをわかった子どもは、諦めて受験勉強を頑張るんですよね。
罪7 スキルと知識の多様性の減少
ちょっとでも、疑問に思ったり、興味を持ったとしても、どんどん新しい情報を与えられてしまうので、深く追求する時間が本当にないです。
まとめ
今回は以上です。子どもたちに選ばせず、強制的にやらせrことの弊害って大きいですよね。今回は7つの問題について紹介しました。もう少し読み進めることで、これらを解決するためにどのような学びが有効なのかについて紹介したいと思います。