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2025年視点のボブ・ディラン。映画『名もなき者』とカニエ・ウェストを通して”巨人”を新発見する
2025年を代表する大傑作映画!
そう言い切れる、最高の映画が公開されました。それが生きる伝説的ミュージシャンであるボブ・ディランの若き日々をティモシー・シャラメが演じる『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』です。
この記事では、本作の予習/復習どちらとしても楽しんでいただけるように「2025年の視点からボブ・ディランに入門する」という内容をお届けします。
ディランは非常に多面的であり、ミステリアスな作品や言動も多く、さらには映画で描かれている時代が約60年も昔ということで、かなりわかりづらい人物です。
そこでこの文章では「カニエ・ウェストを通してみると、ボブ・ディランがわかりやすくなる(その逆も)」という話をしようと思います。
(照沼健太/てけ)
ちなみに僕たちてけしゅんは音楽評論家・田中宗一郎さんのPodcastに出演し、ボブ・ディランについて音楽メディア「Mikiki」の天野龍太郎氏とともに語っています。ぜひチェックしてみてください。
ディランを知るために。「ソロ・アーティスト」とは
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まず、ボブ・ディランはソロアーティストです。
実はそれこそがディランをわかりづらくしている一つの側面だと思います。
なぜなら1960年代から現代に至るまで、音楽における「ソロアーティスト」の価値観は大きく変化してきました。
ビートルズを筆頭とするバンド全盛の時代には、バンドという形態こそが創造性の理想形だと信じられる風潮が強まりました。ビートルズ神話/ロック神話の上では「自分たちで曲を作っているバンド=本物。シングルではなくアルバムで傑作を作れるバンド=本物。ソロアーティスト=商業的な存在」のような価値観が強まっていくこととなります(もちろん例外はあります)。
一方、21世紀に入ると音楽チャートの主役はソロアーティストが占めるようになり、個人名義で活動するアーティストが新たな創造の在り方を示すようになりました。なかでも2010年代後半のラップ隆盛とEDMブームを通して、ロックバンドは時代遅れの存在として扱われるようになってしまいます。
さらに、そのバンド評価が再び見直され始めているのが2025年(そう、価値や評価は揺らぐものなのです。ビートルズも80年代には評価が落ちていたと聞きます)。
バンド幻想の時代とボブ・ディランの孤高
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ビートルズ以降、ロックの世界では「バンド」への幻想が語られるようになりました。メンバー同士の化学反応や共同作業こそが名作を生むという物語が語られ、実際ビートルズやローリング・ストーンズなどバンドの音楽が若者文化を席巻しました。
ビートルズは20世紀で最も成功した音楽グループとも称されるほど商業的・文化的な影響力を持ち、その輝きの陰でソロのシンガーソングライターは相対的に地味に見られた側面があったかもしれません。
(正直リアルタイムではどうだったかわかりかねますが、少なくとも後年、90年代以降の実体験としては「バンド>ソロアーティスト」という図式は間違いなくありました)
言わずもがな、ビートルズと同じ1962年にデビューしたボブ・ディランは、バンドブームとは一線を画す存在です。彼はバンドの一員ではなく一人のミュージシャンとしてギターを抱え、鋭い歌詞とともに当初はフォークを、やがてはロックを歌うようになります。1964年ごろにはバンドブームが到来。「ブリティッシュ・インヴェイジョン(英国のバンド旋風)」と呼ばれるこの現象に当然ディランは属すことなく、その物語には収まりきらない存在感を放っていたと言われます。
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確かにディランは音楽的にも社会的にも高く評価され、“プロテストソングの旗手”や“世代の声”と称えられました。しかし10代の少女たちが熱狂的にキャーキャーと叫ぶビートルズ的な現象とは無縁で、どこか神秘的で内省的なアーティストとして捉えられていたのも事実でしょう。
ディラン自身、バンドに頼らず個人の表現を追求しました。1965年にエレキギターを携えてフォークからロックへ転向した際も、自身の名前を冠したままバックバンドを従える形で新境地を開拓しています(映画のクライマックスで描かれるあたりです)。
これは言い換えれば、バンドという看板に隠れることなくソロアーティストとして堂々と勝負したことを意味します。とはいえ60年代後半から70年代、ロックの主流はレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドなど巨大なバンドが握っており、ディランのようなソロの吟遊詩人はロック神話の中心から外れて語られることも多々ありました(少なくとも後年は、確実にそうでした)。
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つまり「結果として、当時の一般的なロック観においてディランの評価はビートルズや同時代のバンド群に比べて相対的に低く見積もられていた側面があるのではないか?」という問いが浮かび上がります。
カニエ・ウェストが作った「新しいソロアーティスト像」
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時代は下って21世紀。音楽シーンではソロアーティストがチャートを席巻し、共同作業による作品づくりが当たり前になりました。
中でもカニエ・ウェストは、その創造性とプロデュース手腕によって新しいタイプのソロアーティスト像を体現しています。彼は単に自分で曲を書きビートを作るだけでなく、数多くのソングライターやプロデューサー、ゲストアーティストを招集し、自らはまるで映画監督のように全体を統括するスタイルで作品を仕上げます。
その象徴的な例が、2010年発表のアルバム『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』の制作過程でしょう。
カニエはこのアルバムのために親しい仲間や著名アーティストたちをハワイのスタジオに集め、「ラップ・キャンプ」と称して合宿状態で創作に打ち込みました。
そこにはJay-Z、リック・ロス、プシャ・T、リアーナ、ニッキー・ミナージュ、キッド・カディ、エルトン・ジョン、ボン・イヴェール……とジャンルや世代を超えたオールスター陣が参加し、プロデューサー陣もマイク・ディーンをはじめ一流が顔を揃えました。
カニエはこうした才能豊かな「ポップカルチャー界の俊英たち」を自らのもとに集結させ、最良のアイデアを引き出して一つの作品に結実させたのです。その様子はまさに「音楽における生存競争」。優れたアイデアだけが勝ち残り作品に生かされていったとも語られています。
こうしたカニエの制作スタイルは、単独行では到達し得ない高みへと音楽を押し上げることを狙ったものだと考えられます。「一人では成し得ない」スケールの作品を作るため、彼はコラボレーションを重ねました。
ここで重要なのは、カニエ・ウェスト名義の作品であっても多くの他者の才能が結集している点です。
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従来、ソロアーティストとは「単独で曲を書き歌う人」というイメージがありましたが、カニエはその概念をアップデートしました。
つまり、「ソロ」でありながら同時に多人数のクリエイターを束ねる存在となり得ることを示したのです。これはちょうど映画で監督が脚本家や俳優、カメラマンらスタッフを率いて一つの映画を作り上げるのに似ています。カニエ自身が作品世界のビジョンを掲げつつ、各分野の才能を起用して制作することで、結果的に彼のアルバムは一人の人間では想像もできないような奥行きと多層性を持つに至りました。
このようなカニエの手法は21世紀の音楽業界において決して特異なものではなく、むしろ新たな潮流の一端を担うものです。
現代のポップ/ヒップホップシーンではフィーチャリングやコラボ曲が当たり前となり、従来の固定的な「バンド」の代わりに流動的なコラボ集団がヒット曲を生み出すこともなんら珍しくありません。
カニエ・ウェストはこの流れの中で、ソロアーティストの可能性を拡張した存在といえるでしょう。
なんといってもカニエの楽曲は、一曲に参加してクレジットされているミュージシャン、ソングライター、プロデューサーの数が段違いです。笑えるくらいです。
彼の成功以降、若手アーティストたちも自由にコラボレーションを行いながら、自らの名義で多彩な音を紡ぎ出すことに何の躊躇もなくなりました。同じく人気ラッパーにしてカニエの影響を多大に受けているトラヴィス・スコットはその好例。
これはまさに「カニエ以降」の時代の到来であり、音楽の作り方・楽しみ方が変わったことを意味しています。
「カニエ以降」の視点で再発見するボブ・ディラン
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正統派ラッパーとしてのボブ・ディラン
では、こうした「カニエ以降」の世界から改めてボブ・ディランを振り返ると、どのような新たな側面が見えてくるでしょうか。
まず浮かぶのは、創造における姿勢の対比です。カニエがコラボレーションによって壮大な音世界を構築したのに対し、ディランは基本的に自身の言葉とメロディに集中し、ミニマルな手法で深いメッセージ性を追求しました。
……もうお気づきかと思いますが、それってラッパー的ですよね。ラップの世界は当初はグループ/クルーでの活動が中心で、その後ソロアーティストが基本となっていったことを考えると、おもしろい流れが見えてくると思います。
”早かったカニエ・ウェスト”としてのボブ・ディラン
しかし、同時に、カニエ的なコラボ志向からディランのキャリアを見直すと、実はディランも要所要所で創造的な共同作業を行っていたことに気付かされます。
確かにディランは基本的に単独で曲を書きましたが、周囲のミュージシャンや文化から大いに刺激を受け、そのエッセンスを自分の作品に取り込んできました。
例えば映画でも描かれている代表曲「Like A Rolling Stone」のレコーディングエピソード、そしてロック史上初の2枚組アルバムとも言われる1966年『Blonde On Blonde』はその好例。
さらには1975年のツアー「ローリングサンダー・レヴュー」は、ディランが発起人となり詩人やミュージシャン仲間を多数引き連れて行った伝説的な巡業コンサートでした。彼はバス2台に及ぶ“大道芸の一座”を自ら編成し、かつて憧れたカーニバルのような旅一座を実現させたのです。
このツアーにはジョニ・ミッチェルやジョーン・バエズ、ロジャー・マッギンなど多彩なアーティストが参加し、ディランは中心人物として仲間たちとの化学反応をステージ上で起こしました。
ローリングサンダー・レヴューの様子は、ある種カニエがスタジオで名うての才能を束ねてアルバムを作る姿にも通じます。ディランはステージ上で、カニエはスタジオで、形態は違えどソロアーティストがハブ(中心)となって周囲の力を引き出すという共通点が浮かび上がってくるのです。
ジャンルの融合者としてのディラン
また「カニエ以降」という視点を持つことは、ディランの先見性を再評価することにもつながります。
現在ではソロアーティストが様々なコラボをするのは珍しくありませんが、ディランは早くも1960年代にロックとフォークを跨いで音楽の融合を行い、バンド出身ではないソロアーティストが文化の最先端を担いうることを示してみせました。彼の存在が後の無数のシンガーソングライターに道を開き、その延長線上にカニエのような革新的アーティストが現れたと捉えることもできます。
ちなみにこのディランの動きは映画『名もなき者』冒頭で予見されており、ピート・シーガーが運転する車の中でラジオから流れてくる音楽についての二人のさりげない会話が象徴的。この辺が『名もなき者』のすばらしいポイントです。
バンド幻想を解体するカニエとディラン
さらに、現代においてボブ・ディランは単なる音楽家の枠を超え、文学的な評価すら得る存在となっています。2016年にノーベル文学賞を受賞したことは象徴的で、「偉大なアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を創造した」ことがその授賞理由に掲げられました。
このような評価は、ソロアーティストの表現が一個人の芸術としてどこまでも深く掘り下げられる可能性を示しています(というか、むしろこっちが「クラシックなアーティスト」のスタイルとも見ることができるでしょう)。
ディランやカニエのように「ソロアーティストでも集団作業はできる」し、逆にビートルズの『ホワイト・アルバム』やビーチ・ボーイズの『ペットサウンズ』のように、バンドでもソロのような作品は作れるわけです。
神話の創造と解体と再構築
身も蓋もない結論かもしれませんが、人は誰しもがバラバラに存在する個人です。
バンドも一人一人の集まり。
結局は、名義や契約などの問題でしかないとも言えます。
でも、バンドに何かしらの魔法を見出すこともある。
なぜなら、人はバラバラの個人ではなく、社会に暮らす集団でもあるからです。
そして、ディランとカニエを比較する際、絶対に無視できないポイントがあります。
それは「アメリカに生きるユダヤ系のディラン、アメリカに生きる黒人としてのカニエ」という対比。
もちろんその間には、カニエのユダヤ人差別の言動も含まれます。これについてはまた別の記事で。
(照沼健太)
↑映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』原作がこちらです。