ただ、わたしがそうしたいだけ。。
会えば手を繋ぎたいし
触れれば抱きしめたくなる。
好きで好きで好きで
仕方ないから
わたしがただそうしたいだけ。
本当は見返りなんて要らなくて
その時間があればいいだけ。
好きだと伝えられればいいし
愛されてると伝わればいいし
必要とされてるのよって言いたいし
自分をもっと信じてって言いたい。
そんなもんじゃないでしょう?
そこで終わりじゃないでしょう?
過去も現在(いま)も好きだけど
何より未来のあなたが好きだから
何度だって愛してるって言うよ。
私がMindset Coaching Schoolに惹かれて飛び込んだのは、どうしようもないほど、人の応援がしたかったからなのかもしれない。
今までも応援はしてきたけれど、どこかでブレーキをかけて、飛び抜けないように、今のできる範囲で、と知らず知らず、現状の外側に出ないようにしていた気がする。
でも……
スクールで、認知科学に基づくコーチングを学んで、実際に自分のゴールも飛び抜けたところに設定してみて、やりたいことにとことん集中しよう!って決めてから、なぜかそういう話が飛び込んでくるようになった。
今日も先輩起業家さんとお話しする中で、その方のコミュニティーマネジメントを手伝うことになったけど、何より「見たい!」と思ったのが、その先輩が現状の外側に飛び出した時、どんな人が集まっていて、どんな世界が広がっているのか?ということ。
昔から人の可能性を広げて見るのは得意で、しかもそれが複数の人が絡みあった時に起こす化学変化が、とてつもないエネルギーを放つことも、実際に何度も見てきた。
わりとめんどくさがりで、いろんなものを短縮したい私は、一石五鳥くらい狙っていきたい。
そうなると、1人ずつを応援するより、コミュニティー全体を応援した方が、効率がいいじゃないか!とか思ったりするわけで。
それでも見ていくのは1人1人だから、多くを抱えることはできないわけで。
だからファイナンスも一緒に回していかないといけないってことにも、気づいてしまったわけです。
それがやりたいことだから、仕方ない。
昔は承認欲求が強いからなのかな?と思っていたけど、別に承認されなくてもやってきたし、確かに社会に価値を提供しているんだから、やっぱりこれが私の「仕事」なんだろうなぁ。
だって。
そのポテンシャルを使わないのは、もったいないでしょ。
もっと力が出せるのに、出し惜しみしてるのはなぜ?
誰もが過去と今に縛られて、未来を自由に創れるなんて、想像もしていない。
それは、脳が歪めている妄想なんだけど、私の真実として映し出す。
そのカラクリを本能的に知っているから、
「あなたならできるよ」
その一言が言えなかった。
目の前の人の味方がたった1人になったとしても、私だけは最後までその人のそばにいようと決めたのに。
ホント、らしくないことをしてる。
好きだから「好き」って叫ぶ。
愛してるから「愛してる」って抱きしめる。
たったそれだけのことを、なぜ躊躇う必要があるんだろう。
泣きたくなるくらい溢れてくる想いを止めないで。
このくらいが自分の限界って決めないで。
過去と現在の延長ではないところに未来が創れるのなら、今から始めたって遅くなんかないじゃないか。
今なんかに惑わされて、本当の私を見失わないように。
やっぱり無理かも、なんて簡単に言っちゃわないように。
いつだってまた「ここ」から始めればいい。
何度だって背中を押してあげる。
だから自分の可能性を、未来の自分を、そんな小さなところにまとめてしまわないで、大きく、大胆に描き続けたらいい。
私の存在は、そのためにあるんだから。
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