正しさとどう向き合うか
どうしたものかと、この歳になってもうそういうことは考えたくないんだよなあ、と思う。見て見ぬふり、聞かぬふり。
それが一番穏便に過ごせることは分かっているけれど、昔から「誰かが誰かを悪く言っている」というシチュエーションにかなり喰らってしまうタチで、31歳にもなってまだ苦しいんだと、まだしんどいんだと、なんだか笑ってしまう。
たった20人の職場。
歯科医院という小さな空間。
私は日々歯科衛生士として、その数少ないスタッフとそれなりの距離感を保って働いている。だけど、他の誰かが誰のことを言っているかなんて、聞きたくなくても聞こえてくる。あの日のように、教室の隅っこでイヤホンをして過ごすなんていうことは、もうできない。
みんなはそれを分かっているのだろうか。
分かった上で、「だったら辞めればいい」とかそういう話をしているのだろうか。
朝の準備の時間、昼休み、仕事中のちょっとした空き時間。ここは、女子校のそれとまるっきり同じなのだ。
私は未だに怖いですよ。
いつ自分が矢面に立つのか。すでにもう、誰かに何かを言われるような対象になっているのか。
仕事だから。お金もらってるから。別に気にしないけど。気にしなくていいんだけど。
でもやっぱり、この歳になっても恐怖はある。自分が何を言われているかとか、悪い評判が出回っているのかなとか、そういうこともそうだけど、
「こういう空間に身を置いている自分」を客観視したときに、うわぁ、まだ私ってこんな世界にいなきゃいけないのかぁ、と怖くなるんですよ。
馬鹿みたい。
本当に馬鹿みたい。
そんなことを思いながら、一年経ってもまだ居場所は定まらず、その椅子は座り心地が悪い。
子どもの頃からずっと、私は「正しさとの向き合い方」について考えている。私が正しいと思うことを貫いて、悲しい思いや辛い思いをしてきたことは何度もあった。
もうそろそろ大人として、真正面から向き合うことはやめた方が良いのかも知れない。
声の大きい彼女は、いつだってなりふり構わずその言葉を振り回す。
何も怖くない彼女は、その言葉の鋭利さを知らない。
あなたは、自分の正しさと向き合ったことはありますか。
あなたの思う正しさとは何ですか。
そう問いたくなる。
だけどそんなことできないから。
他人のことは変えられないから。
他人の本当なんて、一生分からないから。
私はもう闘いたくはないし、心を削りたくもない。
試行錯誤の日々は続く。