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結婚と恥の歴史

アクアパッツァを作れるようになった。今まで作ろうと思ったことさえなかったのに。
やってみたら簡単だった。オリーブオイルとニンニクを炒め、好きな魚を軽く焼く。上からアサリやらイカやら好きな海鮮とトマトや葉物をどさっと入れて、ワインと水を加える。それだけ。
魚丸ごとなんて買わないからいつもその日安かった白身の切り身を買って、冷蔵庫に余っている野菜を適当に放り込む。ワインがなかったら日本酒でも良い。

近所にあるイオンリカーでワインを買った。最近冷蔵庫を新調し、今まで使っていた一人暮らし用のものからちゃんと二人暮らしに丁度良い大きさの冷蔵庫になった。それまでパンパンに食材が詰まっていた冷凍庫も、ちゃんと氷が作れるようになった。ワインの味など分からない邪道な私たちは、いつも氷を入れて安いワインを飲んでいる。

結婚がしたい。
結婚したいと言って欲しい。
今更周りの結婚ラッシュや家族などの目が気になった訳ではない。ただ、この人とずっと一緒にいたいと思った。そして彼にも私とずっと一緒にいたいと思って欲しい。それだけだ。

私も一丁前に捻くれていた。同性婚や夫婦別姓などの問題を深く考えたことがあったわけではなかったが、「結婚」という制度についてはいつになっても縛られている気がしていた。
結婚なんてしてもしなくても良い。結婚に限らず、誰も誰かの人生について言及できる権利などない。
その考えは今でも変わらないけれど、あからさまに結婚という言葉に対して嫌悪感を抱いていたのは、多分私自身が誰よりも結婚にこだわり、結婚したいと望んでいたから。誰に縛られてる訳でもない。私が、私自身を縛っていたのだ。
結婚相手がいない、結婚の兆しすら見えない状況で、「結婚なんて」とぼやく。幼稚な捻くれだ。
「誰かと暮らせる気がしない」だの、「自分は自分のためだけに生きる」だの、望みが叶わない自分自身に対する言い訳だった。恥ずかしくて仕方ない。

年明け、予定が合えば彼の実家に行くことになった。二人で近所の飲み屋で日本酒をまあまあ飲んだ帰り道、実家に来る?と聞かれた。行きたい、とやや被せ気味に答えた。
帰宅して風呂に入り、湯船の中に顔を沈めてしこたま泣いた。どうしたの?と聞かれ、生きていて良いんだと思って、と酷く恥ずかしい返事をした。そのあと彼が何と答えたかは覚えていない。願わくば彼には全てを忘れていて欲しい。
だけど、「生きていて良いんだと思った」ことは紛れもない事実だった。自分が長年望んできた結婚というものに一歩近づいたからだとか、そんな陳腐な理由ではない。簡単に言ってしまえば同じことかも知れないが、いや、違う。

私と一緒に生きていってもいいと思ってくれる人がいる。
それが、嬉しかった。
今はプロポーズのときに思えよと思うが、とにかく今まで自分を縛っていた強固な何かから解放された瞬間だった。

今日は肉じゃがを作ってから家を出た。18時からの授業に出席するため、最近は昼頃夕飯の支度をする。やや煮崩れたじゃがいもを見て、まあ良いかと鍋の蓋を閉めた。
改善策を考えるより、寛容な彼で良かったと安心する私だ。別に、こんなの恥でも何でもない。

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