100万円 | ハコミドリ 周防
幼い頃は100万円って、とんっでもない大金だと思っていたし、
100万円あればなんだって出来ると信じていた。
【ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!】というテレビ番組で、一般人チャレンジャーが激難イライラ棒に挑戦する回ではいつも手に汗を握りながら刮目し、あとほんのちょっとのところで惜しくもチャレンジ失敗!というシーンのたび、飽きもせず声が枯れるほど「っぎゃあ〜!!!」と叫び、挑戦者の涙を見て一緒に泣いた記憶もある。
「100万円…あとちょっとやったのに…もらわれへんかったん…」と絶望したり、次週予告での「来週の挑戦者は100万円ゲットできるのか!否か!』みたいな演出に、ものすごい一喜一憂してどきどきしていた。
たまに100万円をゲットした稀有な挑戦者は、もう、
ぜったいなにかものすごいことになるんだろうし、その100万円でなんでも出来るし、
すごい!すごいすごい!すごいことだ!!!
と思っていた。
そして今。
今ももちろん100万円はすごい。私にとってはもちろん、ほとんどの人にとって大金だと思う。
しかし。
あの頃ほどの感動は、無い。いつの間にか無くなってしまった。
100万円は、そんなに贅沢をしていなくても普段の生活を送るだけでいつか無くなる、ということを34歳の自分は知ってしまった。
代々自営業の我が家系で、昔 祖母が呟いていた。
「商売してたらな、、100万、200万は焼石に水や、、
1,000万無いと、なんも変わらんねんで!」
祖母はこの言葉をまだ幼い私に投げかけた。私は超絶おばあちゃんっこで、こんなセリフもきゃっきゃと喜んで聞いていた。もちろん意味は全く分かっていなかった。
他にも「お金がないのは首がないのといっしょ!」ともよく言い聞かされていた。初孫でしかも同居していた私のことは、かなり可愛がってくれていたと思うのだが、思い返すとなかなか現実的な世知辛さをダイレクトに伝えてくるタイプの祖母だった。
いま思うと。戦後の混乱の最中、学校へも行けず工場で働いて、
誰も知り合いの居ない土地へ嫁に来て、お商売を手伝って、
本当に想像を絶する苦労がたくさんあったんだろうなぁ。おばあちゃん、
もうすぐ独立して10年がたとうとしている私も、今なら少しだけ、
あのセリフの意味が分かるようになってきました。
お金は大事。
だから私は仕事が好きだし、小さくでも経済を回していきたいと思う。
実はイライラ棒が体験できるミニゲームのようなものが、実家にまだある(はず)。もちろんいつか【これができたら100万円!!】に出演するその日のための、練習用に買ってもらったものだ。「今から四半世紀がたつ頃には、激難イライラ棒制覇以外の方法で100万円を稼げるようになっているよ」と、超真剣に番組への応募を考えている小学校中学年頃の自分に言ってあげたい。
「あと中学へ進学する頃にはその番組終わるよ」とも教えてあげないと。
イライラ棒に挑戦しなくても、ものすごく頑張れば自分の生業で100万円を稼ぐことが出来るようになったことは、人生で最も嬉しかった出来事のひとつかもしれない。
いつもいつでも、真剣で大切で尊い、100万円。
これからも出来るだけ長く、お商売を、お仕事を、続けていけるように精進したいと思う。
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