小さな抵抗 | 橋口 賢人
世の中には納得できないことがたくさんある。
子供のことはその連続で、たくさんのことが「承服できぬ」なガキだった。
大人になるに連れて納得できないと感じること機会は減ってきた。
子供の頃よりは賢くなって物事を詳細までわかるようになったからか、「これはそういうものと」いかにもな大人になってしまっているのかは五分五分な気がする。
そんな僕が三十路になっても未だに納得できないのが「エスカレーター片側1列並び問題」である。
ここ数年でエスカレーターの「歩かず、立ち止まって、2列で」なポスターをよく見かけるようになった。
もう流石に世の中的にはエスカレーターは「歩かない」が正解だとみんなわかっているはず。
別にエスカレーターで歩く人が間違っているからムカついているわけではない。
僕が納得できなくて不満なのは、みんなが過去の暗黙の了解的マナー?の名残で未だに片側一列に並んでいて、しかもそのせいで片側1列の長蛇の列がエスカレーターに前にできていることである。片側はがら空きの状態だ。
なぜ僕は「歩かず、立ち止まって、2列で」ポスターの目の前で片側1列に並んで長蛇の列に加担しなければならない?
そんなこと納得いかないし、早くエスカレーターに乗りたいし、早く乗りたい。
そもそも僕は並ぶのは嫌いだ。
だからいつも僕は憎き片側1列には並ばずに開いている方からエスカレーターへ進入する。
ところがどうだろうか、開いている側の通路に立った途端「歩け」という群衆からの無言の圧力がかかる。
それは僕の後ろの人間からだけではない、隣で片側1列人間たちからもだ!
こいつたちは自分たちが間違ったことをしているときっとわかっているはず。
でもそんなことは関係ない。今ここにいる約50人の人間は別のルールでエスカレーターに臨んでいる。
人を正しく安全に効率よく運ぶ方法が何かなんて関係ない。この中では僕が完全に反乱分子なのだ。
僕は納得がいかない。
しかし、この状況下で立ち止まれるほどの強い心を僕は持ち合わせていない。
僕は不服な気持ちを抑えて1歩ずつ1歩ずつ足を動かす。
こんな正しくない行為に加担する自分への悔しさ、納得いかなさに胸を苦しめながら。
しかしながらそんな僕もこの状況にタダでは従わない。
僕はこの歩くことが余儀なくされた状況で、可能な限りゆっくり、具体的には普段の1/3程度のスピードでゆっくり歩くのだ。
これがこの群衆に対してできる外から見たら小さいが自分の中では最大限の抵抗なのである。
自分ができることなんて外から見たら小さいものである。
空いている右側(もしくは左側)で立ち止まることはできなくとも、ゆっくりと歩くことならできる。
こうすることで間違った群衆の全員に反感を買われず、半分くらいで済んでいると思っている。
こういうタイミングで立ち止まれる人はちょっと尊敬する。ちょっと友達にはなれなさそうな気もする。
僕はこの「エスカレーター片側1列並び問題」が早く解決することを願っている。
「2列並びでお願いします誘導員」をつけて欲しい。心が強くない僕の代わりに第三者から言ってほしい。
もしくは、デザインの力で解決できると思う。誘導線や足のシルエットなどをエスカレーターの手前と本体に加えるだけでいけるんじゃないかと思っている。
とりあえず京都駅の嵯峨野線(山陰本線)の乗り換えのところのエスカレーターからなんとかしてもらいたい。
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