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才能 | ハコミドリ 周防

自分には才能があるだろうか。

「あなた、自分に才能があると思いますか?」と聞かれたら、
あなたはなんと答えるだろうか。

憧れと虚無感と羨望と嫉妬は、容易に自分の中で渦巻く。
才能のある、何者かになったひとたちのことを思うと。

私は、スヌーピーの『配られたカードで勝負するしか無いのさ』というセリフが大好き。だって『人生、諦めが肝心』と言われるよりもウィットに富んでいる気がする。そう、才能のカードが配られなかったんだから、仕方ないじゃないですか。と、ちょっとだけ気が楽になるような気がするから。

でも先日、そんな斜に構えた私をハッとさせる説に、Spotify拝聴中に出会った。

番組名:かもすハウスの時間 〜アートとデザインと、あわいの時間〜

わたしの大学の後輩にあたる、のぞみるき ちゃんと、そのパートナー もとや さんが2人でさまざまなお題についてゆるくお話する、よもやま談義的Spotify。この番組の006回【才能概論の時間】が、たいへん興味深かったので下記に掻い摘みたいと思う。

(お二人には記載の承諾を得ております)

・大前提として、人間は生きているだけで価値がある。なので才能を発揮するというのは、100点満点からプラスされていく、積み上がっていく状態のことである
・存在の価値【ここはそもそもみんな100点であるという前提】と、行為の価値【ここをどう伸ばすか、伸ばしたいのかなどを考えていく必要がある】は別物
・才能は見出されて開花する=関わっている人の中での共有の価値=才能はそもそも自分だけのものではない
・時と場合と相手によって、才能の形は姿を変える
・自信過剰すぎる人も、自信なさすぎる人も、才能を自分だけのものだと思い過ぎている。半分自分のもの、半分は相手(受取手)のもの、人と人の真ん中にあるものである

めちゃめちゃざっくり掻い摘むとそんな感じの、もとや さんの持論をゆるくお話してくれる(お二人のテンポも超心地よいので是非拝聴をオススメします)そんな回だった。

この説は私の価値観を大きく揺るがすものだった。
才能って人と人の真ん中にあるの…か??

正否は置いておいて(というか才能のように、目に見えないものの捉え方にそもそも正解も不正解も無い)、この考え方はわたしの中に全く無かった…とビックリしてしまった。

この説を見聞きした後に、冒頭の質問、

『自分には才能があるだろうか。』

『「あなた、自分に才能があると思いますか?」と聞かれたら、
あなたはなんと答えるだろうか。』

を見返すと、なんだかものすごーくひとりよがりな問いに感じる。

他にも例えば、お金、地位・名誉、恋愛なんかも、ネットやメディアでよく議題に上がるトピックだと思う。だけどお金は貨幣や株etc 数字で表されて分かりやすいし、
地位や名誉も肩書きや役職、賞やトロフィーとして実体があるし、
恋愛は手に入れたいとか、一緒に居たいとか、追いかけたい対象が存在することが多いと思う。
そうなってくるとますます、目に見えない、時代や空気や居る場所によって変容する、
もしかしたら人と人の真ん中にある、才能ってものすごく不思議なものだと思いませんか?

今もわたしはずっと考えている。
才能っていったいなんなんだろう、はっきり断言できる日は来ないだろう。

だからといって考えることをスッパリ辞めることも出来なさそうで、
まだまだモヤモヤしたまま、これからも私の中の大きな課題であり続けそうだ。

ちなみに今回この文章を書くにあたって、広辞苑で才能と引いてみたところ、

「才知と能力。 ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力」

とあり、

"才" 知と "能" 力を、ぎゅっとして ”才能” ってことだったんだ!?と、また新しい一面を垣間見てしまい、私の中で才能はますます気になる存在になったのだった。


ハコミドリ 周防
造形作家 / アトリエカフェ運営

廃ガラス×植物『ハコミドリ』代表、滋賀彦根湖畔アトリエカフェ『VOID A PART』主催者。たまに講演や授業でおはなしもする。 滋賀→京都→東京→滋賀 湖畔にて開業。京都精華大学人文学部社会メディア学科卒。

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