暁光 | re
「真夏のピークが去りました」とテレビで天気予報士が言っていて、「絶対にこの人狙ってるじゃん~」と思いつつ、まんまと思いを馳せてしまう。
私はあまりフジファブリックに思い入れはないけれど、上京してすぐに高校からの友人と神奈川の海へ行った帰り道、バスの中で一緒に聴いた若者のすべてのことは時々思い出したりする。
海辺で遊んで疲れた体に差し込む西日や、私たち以外あまり人のいない少し寂れた観光地の窮屈そうな空気が地元に似ていること、大人になった私たちが地元ではなく東京にいること、夏が終わってしまうこと、学生と社会人では色んなことが変わってしまうかもしれない、となんとなく寂しい気持ちになったりしたこと。
ちゃんとその瞬間のことを思い出せることが嬉しいし、そういうことを忘れないために私は写真を撮ったり文章を残したいんだった。
さて、少しずつ夜の空気が澄んできて、月の輪郭がくっきりし始める頃ですが、みなさま月見バーガーはもう食べましたか?
私はもう十年くらい食べていないので今年こそ食べます。
お洒落なバーでも雑多な飲み屋でもお酒を飲んだ後はだいたいエスプレッソを飲むので、夜中にカフェインを摂取してもぐっすり眠れる体なのに、昨夜にローソンのダブルエスプレッソラテ(最近こればかり飲む)を飲んだ後は眠れなくなり、結果眠ることを諦めて夜明け前に犬と散歩をした。
私が住む東京の東側には隅田川が流れていて、分流もたくさんあり家の近くには橋と川がたくさんある。
そして小さな橋一つ一つに名前があってとってもかわいい。
東京に引っ越して八年くらい経つけれど、今だにデカい水を見ると東京に住んで良かったと思うし、だからこそ東京に住める気がするとも思う。
大学生の時から朝なのか夜なのかどっちなのか分からず、全部が曖昧で穏やかなこの時間がだいすきで、いつもなら話さないことを話してしまう無防備さ、なんでもできる気がする無敵さ、不意に訪れる奇跡みたいな瞬間、この時間を共有することが人生で絶対に無くしたくないことのうちの一つにある。
もちろん全部が全部良いものではなくて、結局他人は他人なのだと、そんなどうしようもないことをただ受け入れるしかないときもあるけれど、でもそれも人間の営みだし「こういうことってあるよね、わかる」とかそういう”わかる”じゃないことの方が何倍も本当なのでは?という気さえする。
映画を見たり本を読むと、自分の想像に及ばないこと(知らないこと)をずっと前から知っていたような、心地よくて気が付くとすべてが自分の物のようになっている、みたいな感覚があって、全ては絶え間なく動く美しさや愛の途中にある、ということを改めて実感することはいつだって叙情的すぎる。
測りようもない、というよりも測る必要がないのかもしれない他者との距離に対して、それでも測りたいし、測らなくちゃならないとも思うし、そのためにあるものが言葉なのに、結局言葉を超えた存在を確かめたいとも思う。(しかし言葉で足りないものを埋めるための術を私はいまだに持ち合わせていない)
対話って優しさって弱さって強さって暴力って正しさって自分って他者って一体全体なんなんだ?????と考えていたら二十代が終わってしまうし、その途方もなさに途方に暮れてしまう。でもこの先もずっとそうであってほしい。
そんな言葉では伝えられない大事なものを、夜明けとともに受け渡している最高のシーンがある映画「親密さ」がもうすぐ池袋で再上映するので、関東に住んでいる人はぜひ。
こんな奇跡を目の当たりにさせてくれてありがとう、全てが本当なのにフィクションでいてくれてありがとう、の気持ちでいっぱいになる。
文章の終わり方の正解が未だにつかめないのですが、とりあえずクラブで朝を迎えて気怠い体で朝ご飯を食べに行って冷たい布団で眠る、というやつがやりたいので友人たちのお誘い待ってます。
ではまたね。
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