ロードレースで日本人は弱いのか?
炎上覚悟で書きますが、大体そういう時って炎上しないもので。まず大前提として、すべての選手を尊敬してるし、凄いと思っております。アマチュアながらレースに出てる身として、無下にするつもりはありません。ですがやはり、それとは別に視聴者及び期待してる身として、ヨーロッパの文化とレースを肌で感じ、日本人ロードレーサーに足りないものは何か、自分なりに考えてみました。新城選手に続け!
強い、とは何か
それはやはりレースなので勝つこと、役割をこなすこと。そしてチームのオーダーをこなす為には、それを理解しなければならない。
速さだけではない何か
速さの基準というと、皆さんが思い浮かべるのはFTP及びPWR。日本人とヨーロッパ人では、大きな違いはないと言います。では何故日本人選手がワールドチームでこんなにも少ないのか。
言語の差
まずは意思疎通出来るかどうか。最近の10代がどうかはわかりませんが、やはり最低限英語または目標の国、フランスやイタリア、スペイン等の言語を覚える、もしくは喋られない事には始まりません。ここがまずは1番の壁でしょうか。まず強いも弱いも、同じ舞台に立つ事が出来ません。喋るということは、ネイティブレベルにならなければいけないというわけではありません。もちろん、そうなれば良いですが。文法がめちゃくちゃでも通じるか、単語だけでも発せるか、臆せず意思を表示できるか。日本人は比較的完璧主義もしくはそれを求められる傾向にあるかと思います。それが故か、ヨーロッパ在住の日本人でもヨーロッパ人のようにコミュニケーションが得意な人は多くないように感じます。
レースに命を掛けてるか
日本の選手ももちろんそういう人達の方が多いと思いますが、今年のツアー・オブ・ジャパンにて、登坂に入るところででカメラに向かってポーズをした選手がいました。カメラに気付く余裕があるのですね。その余裕があればそのレースで数秒でも、もっと良いリザルトが残せたのでは無いでしょうか。
ファンサービスも大事です。スポンサーの指示もあるかもしれません。しかし、スポーツで、日本というレベルが低いと言われているリーグで戦っている人間が、大事な場面でそういう姿を見せて、それを見て遺憾に思います。命をかけて、誇りを持って走っている人達へ、そして去らざるを得なくなった人達への冒涜ではないか。
文化とはどういうことか。
よく言われる、日本には自転車の文化がない、とはどういうことか。以前にも似たようなことを書きました。インフラや法律やモラルやどうのこうの。それとは全く違う部分が根本的に違うように感じます。
ロードバイクでもマウンテンバイクでも、自転車対して良くも悪くも普通であるということ。特別な感情というものが一般的に無いように感じます。もちろん、自転車が好きな人と、嫌いな人というのは居ますが、そういう意味ではなく。当たり前なんですよね、存在が。サイクルジャージを着ることも着ないことも、ファンライドもトレーニングも、したい人はして、だからなんだってわけじゃなしに。これは感情ではなく、一般人がクロモリロードを私服で乗ることも当時のウールジャージで乗ることも、サイクルジャージでカフェやお店に行くことも、何もが当たり前なんです。
そして、ファンライドでもレースでも、老若男女問わず一般人でも楽しめるイベントやレースがたくさんあります。それはヨーロッパという土地柄、他の国のイベントに参加しやすいという面もあるでしょう。現時点でも僕自身オーストリアのイベントの方がドイツ国内のイベントよりも多く参加しています。ということは、一つの国のイベントに囚われずに、色んな国、地域で楽しめるので、もう全然飽きないですね。出たいレースがいっぱいありすぎて。これも一つの文化の側面だと思います。こういった環境に、生まれた頃から意識せずに要られるのは大きなアドバンテージではないでしょうか。
結論、日本人は弱くない
ただ舞台に立てて居ないだけ。舞台に立てなければ評価も何もないです。一個人のロードレーサーとして大成するには、日本に居続けては駄目でしょう。早いうちにヨーロッパの自転車文化、その国の特性を知ることで、ロードレースの本場で戦えるメンタルを養いチャンスを掴まなければ、時すでに遅し、と感じます。限界とは自分で決めている、というのは科学的にもある種のエビデンスがあります。若いロードレーサーには是非、まずは旅行でもヨーロッパに来て、肌で感じてもらいたいと思っています。僕はそういう意味でも、栗村修氏を尊敬しています。そして、今EFエデュケーションの下部組織に居る若い選手たちに多大な期待を寄せています。