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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㊽旧暦八月十五夜

 雪子の実家では猫を飼っている。飼っているというか、物置小屋に居るのである。いないときもある。餌は雪子の祖母が生きているときはこの祖母が上げていたようだが、最近亡くなってからはわからない。

 雪子の父(おれの義父)は猫のことをよく思っていない。コマという名だが名前では絶対呼ばない。「あの猫」とか「猫」という。コマは雌なので、義父はこどもをたくさん産むのではないかということを一番危惧している。

 いつから居るのかと雪子に聞くと、「私が家を出るちょっとまえ」というからコマはおそらく十歳ぐらいである。

「十歳ぐらいだったらもう妊娠はしないでしょう」とおれ。

「そうかね。まだあれは子を産んでいないから、そのうち産みよるかもわからん」

「発情期はないのですか」

「しらん」

「もしかしたらお婆さんが不妊を施術をしてもらったかもしれませんよ」

 そういえば。と義母が話に入ってくる。なんとかさんのとこの猫も五月蠅いから、春と秋に、どこそこの動物病院の先生がいらっしゃってどうのこうの、その時に婆ちゃんも何か言っていたような気がするわ、ところでJJは魚がきらいなのですか、明太子はきらいやろ、火通して食うらしいな、もったいない、タラコと違うんやから、辛いのがいやなんですか、でもあんた甘いものを食べないな、だからスマートなんや。

 話の一呼吸が長い。

 急に席を立って隣の部屋に行き、チーンと仏壇の鐘が鳴る。

 南面する窓からは小高い山並みが見え、稜線から中腹にかけて団地が並んでいるのが見える。西日を受けてベランダの窓が光っている。

 おれと雪子はここに来てから、2Kのアパートを借りた。駅から歩いて5分。ベランダは東向き。六万三千円(管理費込)。東京で使っていた家具はほとんど捨ててきた。粗大ごみで。買ったばかりであったが冷蔵庫は知り合いにあげた。洗濯機は中古屋が引き取っていった。引き取り代はなし。炊飯器と炬燵は捨てた。

 持ってきたのは服とパソコン、本(半分は古本屋に売った)、ビデオ・テープ、DVD、CD、灯油ストーブ。あとは多分ない。ソファも本棚もテレビも捨てた。

 2Kのアパートには、洗濯機も冷蔵庫もガスコンロもあった。義父がすべて中古で買いそろえてくれたのである。実家から運んできた布団もあった。当初は家具なしで暮らしていたが、いつの間にか家具がそろった。食器棚は新品、洋服箪笥は実家から運んできたもの。本棚は、義父とおれとで作った。というかほぼ義父がつくった。義父はものをつくる仕事をしていたので、いわゆるディー・アイ・ワイ的なことはほぼなんでも出来る人だった。釣り竿も、何なら笛もつくれた。

 成程。と思った。

 こうやって、人間というのは、自分の能力以上の生活を手に入れるのだと。感謝しかなかった。 

 

本稿つづく

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