【中篇】かぞくあたま⑧
或る日、葉(よう)はおかあの薬を用意し、とろみをつけてこれを食わせ、そののちエンシュアという栄養補助ドリンクを点滴用具を使っておかあの腹に穿たれた胃ろうからこれを注入していた。
「葉」と私は呼びかけた。「おまえが来てくれて、ほんとうに感謝している」私は日本酒のひやを飲みながら、テレビにてBSのNHKの3チャンネルを見ながら、書見をしていたのである。読んでいる、というか眺めている本は、いつも手元に置いている『論語』である。
「葉」と私は言った。「おまえはどこから来たのだ」
葉は私の顔を見て、微笑むようにしておかあの世話の手を動かしていた。
「あのなあ、おれはおまえを愛しているのだ」
と私は告白した。
葉は表情を変えなかった。
ベッドに横になっているおかあは口をだらしなくあけ、喉の奥から呼吸の音がして、寝ているようであった。
また別の日、私は仕事をしていた。
電話が鳴った。
「JJ、あなたに電話よ。外線」
JJというのは私の呼び名で、家族や仲間は私をこう呼ぶ。
電話の回線をまわしてくれたのはNBという女人で、私たちの職場の事務をしてくれている人である。
「ありがとう」とNBに礼を言って私は受話器を取った。
「もしもし」
「あ、もしもし、お世話になっております、わたくしHクリーンセンター内の、動物愛護センターのサイエンス・フィクションと申します」
「ああ、どうも、お世話になります」
「先日は講習会へのご参加ありがとうございます。このお電話にて所属確認ができました。ありがとうございます」
「あ、はい」
「つきましてはこののち、いつでも里親さまとして、譲渡が可能となります」
「ああ、そうですか、ありがとうございます」
「子どもたちともども、楽しみにしてお待ちしております」
「えっと、はい」
「猫ちゃんをご所望でしたよね」
「あの、えっと」
「この度もまた、たくさんの子猫が当センターに保護されております。お越しくださるのを子猫ともども首を長くしてお待ち申し上げております」
「あのう、すみません」
「はい」
「実はこちらの事情がすこし、ちょっと変わりまして」
「はい」
「あたらしい家族がふえたんです」
「はあ。それは、野良ちゃんを保護したのですか」
「いや、いいえ、違います。猫ではなくて、人間が増えたのです」
「はあ」
「わたし、再婚しまして」
「ほう、なるほど、それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます。それで、あの、家も手狭になりまして」
「なるほど、わかりました」
「すみません」
「いえいえ、とんでもありません。人にはそれぞれ事情がございます。実はあたしも先日再婚したばかりなのです」
「えーっ、そうなのですか。それは、おめでとうございます」
「いやいや、あのね(苦笑)こちらはそれほどおめでたい話ではなく、実はね、この再婚をした女というのは、あたしの最初に結婚した女なんです」
「え、へえ、そうなんですか」
「ややこしい話なんですよ(笑)。あのね、あたし、バツ2なんです。こう見えてもね(苦笑)離婚を二回しているんですが、二回とも相手は同じ女なんです。そしてね(爆笑)」
「はあ」
「三回結婚しているのですが、三回とも同じ女なのです」
「へえ」
「この女がよく子を生みましてね。六人か、七人か、もしくはそれ以上いるんですよ」
「はい」
「この子たちがね、中にはまあ私の子もいるのでしょうが、この女というのが、もう何度も結婚し、また何度も離婚しているという女で、こういう女、いますでしょう」
「はい、わかります」
「して、この女の生む子どもというのが、どれも可愛いのです。無邪気なのです。どれも、これも健康で、ぽちゃぽちゃと太っていてね」
「わかります」
「だから、あの、何の話でしたっけ。すいません、何か」
「いえ、いえ」
「他人事だとは思えなくて」
「はい、ありがとうございます」
「あなたは、あたらしい奥さんをとても愛してらっしゃるのでしょう」
「はい、そうです」
「そして、別れた奥様のこともまだ愛してらっしゃる」
「はい。そうです」
今もいっしょに暮しています、彼女は今は娘(養女)なのです、心から愛しています、とは言わなかった。
「あたしは、Aという女と結婚しこれと別れ、次にBという女と再婚しこれと別れ、先日Cという女と再婚しました。A、B、C、これは実は同じ女なのですよ。そしてまた、全く違う女なのですが」
「とてもよくわかります」
「すみません、変な話をしてしまって」
「いいえ、とても素敵なお話でした」
「また機会があれば、ぜひ当センターにご連絡ください」
「はい。なんかすみません、手前勝手なことを申しまして」
「いえいえ、とんでもない。あなたの新しいご家庭に幸多きことを願っています」
ありがとうございます。
それでは失礼します。
はい、どうも。失礼いたします。(ガチャ)
「JJ、あなた再婚したの」とNBが訊いてきた。
「うん」と私は言った。「十九歳とね。そして、元の妻は、今は養女としている」
NBはサッと目を逸らしてどこか空を見つめ、何か汚いものでも見るような顔となった。
兎も角、私たち家族の生活は幸福に過ぎているようであった。
八月が終わり、九月が来た。九月はあっという間に過ぎようとしていた。毎日が涼しく、夢のようであった。そしてついにその日が来たのである。
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