【連載小説 短篇予定】美の骨頂⑨氷河院清流と弱男(ひょうがいんせいりゅうとじゃくなむ)との出逢い
うちとなぎちゃんは原宿の裏の裏の、その裏。いわゆるウラハラにゆきました。
職場で、なぎちゃんはH部長に「ちみはまだ処女かな」と言われたそうです。桃のジュースをのみながら。これは、いわゆるセクハラです。
「で、どう言ったわけ?」
「処女だといったよ」
「はー」
「処女だし、ガチで」
「へー」
「誰にもいわないでよ」
「うん」
「あせちゃんはどうなの?」
「……同じく」
「ふーん」
うちは嘘をつきました。でも、生でヤってないし、そのときは相手も出なかったので、正直いうと処女の可能性も高かったのです。相手も、童貞そのものといっても過言ではないのでした。
おとうは「セ○○ス」ということばを毛嫌いしており、絶対に使うなと、お母さんとうちに命令しました。
「きもちのわるい。なにが、セ○○ス・アンド・ザ・シティーだよ。下のおくちが言いよるのか、それとも上のお口も奥地なのか」
と、泡盛をのみながら喚いていました。
その日、おとうはうちに避妊具を三個くれました。
「まあ、やってもいい。いいがまだ妊娠する年(都市)ではない。よってこれを与える」
うちは受け取って、ポシェットに挿れました。その日から数えて二百十日後に、その三個(三顧)のうちのひとつを使ったわけです。
それは兎も角。
うちは2002年生まれの午年です。丙午ではありません。ラッキー。
厚生労働省の調査によると……。
いや、シラベルのがだるいのでこのソースは無しで。うちの実感によると、うちらの世代はセ○○スという行為をそんなに重要視していません。
コロナ禍もあり、対面という概念の重要性がどんどん希薄化しているような気がします。相手はめのまえにいなくともよい。むしろ会わなくともよい。君の那覇(名は)的な。愛されるよりもアイスことを好みます。誰かをアイしていると、心が満たされます。たとへ独りぼっちでも。
リアルよりもフィクションに依存しており、短い、できるだけみじかい言葉で自分の存在や森羅万象を表現することに夢中になっています。そう、江戸と明治と大正と昭和の俳人みたいに。
「なぎちゃん、いらっしゃい」
ついていった店に入って、男の人の声がしました。
「こんにちは。また、来ました」となぎちゃん。
男の人は髭を生やしていて、髭は白いものの髪は艶やかで眼鏡をかけていました。この人は氷河院清流で、この氷河亭の店主です。
「いやあ、また新しいお客さんをつれてきてくれて。ありがとう」
清流さんはうちを見ました。
この日のうちのコーディネートは中学時代の体育着の上に無印良品(メインプレイスの)で買ったカーディガンをはおり、首には芭蕉布のあまりぬのを巻いて、ユニクロで買ったスカート、黒のタイツ、靴はニュー・バランスでした。
発情期。
店の奥、段ボールを開けて仕分けしている男の人、これが氷河院弱男(清流さんの弟さん)がこちらをチラと見ました。
なぎちゃんのスマホが鳴って、これはラサカさんからでした。
うちはいつか死ぬのですが、この瞬間のことは忘れないと思います。何かが起きたわけではありません。でも、おぼえているのです。
今でも髪を洗っているときなどに、この場面がふっと浮かびます。
なつかしい。
と思うのです。
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