【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㉔東坡肉、ラフテー、三枚肉
蘇軾(そしょく)というひとは宋(北宋?)の時代の詩人である。号は東坡(とうば)なので蘇東坡というのが詩人としての名まえである。
日本においてもこの号というのはあり、俳号とか雅号などがある。仮面ライダー三号などもここから来ている。
ちなみに中国では字(あざな)というのがある。これは、おとなになってから付けてもらう名まえである。社会人になって名刺に刷る名まえのようなもの。おとなになって、先輩とか目上のひとから付けてもらう。
たとえば項羽(こうう、四面楚歌のエピソードで有名)という人がいるが、この人の本名は項籍である。こうせき。項というのが苗字で、籍がなまえ。羽というのがあざなで、項籍はおとなになったから誰か先輩や目上の人に「羽」という字を付けてもらった。
社会に出てからは項羽である。項籍と呼ぶのは失礼。親とか目上の人は呼んでもいいが、ふつうは項羽さんと呼ばれる。ちなみに項羽は、劉邦<りゅうほう・漢の国の始祖にして助平なおじさん>に負けてしまった人である。楚の国の出身である。
それはさておき、蘇軾(蘇東坡)という人はすばらしい詩人である。漢字で詩を書いた。いわゆる漢詩である。「春夜」が有名。というか作者は一番これが好き。
という「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」からはじまる七言絶句を書いた。ちなみに韻は、金(きん)、陰(いん)、沈(ちん)である。
こういう詩は普通は書けない。書けないが書いたところが蘇東坡の偉さである。しかし、この蘇東坡という人はどうも政治的にというか、(南宋時代当時の)人々の間での立ち回りがあまりうまくなかったようで、何回か左遷されている。言わなくてもいいことを言うような、そんなタイプの人だったと思われる。
というか、言葉を多く知っていると、人間というものは余計なことも言う。言ってしまう。だって言うべきことばを人よりも知っているから。
普通は言わない。おとなだったら黙って、看過する。というところを、なまじ言葉を余計に知っているので言う、言ってしまう。
これは、仕方のないことである。
そもそも才能というのはほぼ呪いと同義である。普通とは違う。これがどんなにしんどいことか、現代の日本を生きる人たちはよく知っていると思う。
知能が普通とちがう(上であろうと下であろうと同じ、どちらも苦しむ)。
つぎに見た目の話をする。一般的な目と目の幅が一般的よりもちがう(近い遠いどちらも同じ)。一般的な鼻(高い低いは問わない)。一般的な口(大きい小さいどちらでも)。普通、一般とすこしでも違えば、どれだけ子どもが苦しむか。賢明な読者諸氏ならきっとお分かりでしょう。
子ども、というか人というのがどれほど残酷か。
私たち人間は、すこし人と違うからといって、目ざとくそれ(ちがい)を見つけて、ちがう人たちに対してどれほど野蛮にふるまってきたか、そして今もまさに、過去・歴史から何も学ばずに何度同じことを繰り返しているか。
何回同じことをやれば気が済むのか。
さて、話を戻しましょう。
こういう話はしたくない。もうすぐ、子どもが、赤ん坊が生まれるのだから。
本稿つづく
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