【連載小説 短篇予定】美の骨頂㉒We don't think,only Feels ストロベリー,today or 明日
池の面には人の顔が映って、また風が吹くとさざ波が立って誰の顔なのかわからなくなりました。
うちは書き方をおとうとおかあに教わりました。
見えているものをそのまま書くこと。それから背伸びしてかくこと。
「あんたのような、生まれたときからインターネットがある人たちは、脳味噌が外部にある」といっておかあはスマホを手にしました。「これや。そうやろがい。カスが」
何かの話題になる。なんやったけという話になる。すぐに誰かがスマホでしらべる。あーそれそれ。となる。そのときもう話題はうつりかわっている。絶え間のない情報と忘却。
「手で書け、てえでかけ!」
おかあは達筆で、おとうは元々読み取るのも困難なほどの字を書きましたが歳をとっていきなり上手くなりました。
「かいたものは忘れない。というかわすれないために、物理的に書くのじゃ」
と、言いました。メモメモメオ。馬鹿なひとほっときますよー。
ところで顔真卿の書影の冊子があり、うちはこれを部活で手本にして練習しました。オナブ(同じ部活)にモズ・メイメイという百舌家の長女いて、これはモズ・シャオィンの妹でした。シャオィンはうちらの4つ年上で、書家として泊で書道塾を開いていました。
この書道塾はもともと照喜名書道教室でしたが、経営されている人が焼身自殺をしたので、そのあと、シャオィンが譲り受けたというか、買うかもらうかして書道塾にしたのでした。
塾のなまえは『いちご・はうす』で、これは隣にあった小間物屋の看板をそのまま貰って掲げたのでした。羊頭狗肉のきらいがないでもなかったのですが、近所の女子小学生や女子中高生を中心に塾生は増えていきました。
塾の玄関には、「昨日は今日、今日は明日」と墨書され、掛け軸に装されたことばが貼られていました。
「どーゆー意味よ」
「なんだこれ」
と道行くひとは思いましたが、まあ、いわれてみればそうか。という感じで、泊に住むひとたちは納得したのでした。
なので、泊に住む人たちはいつしか刹那的でありながら投げやりで、ちょっと真面目だがすぐにやる気を失い、かと思えば頑張るときもある、というようになりました。
要するに現代的な生き方をするようになったのです。
これは見過ごされていることでありますが、昔の人たちはそうではありませんでした。でしたというからしいです。
昔の人たちは、うちから見ると、とてもまじめで、また同時にいい加減です。線が引かれているかんじ。その線が見える具合。
現代人はもっとファジーで、スペクトラムのうちに生きています。メリハリがない。メリもハリも批判されて、うやむやになっています。
明確なあれがない。
とにかくめいかくではもう、ありえないのです。
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