【連載小説 短篇予定】美の骨頂⑭Back to the ONE year and unisex months...for the Happy Ends
I have a Dream.
この日うちは重要な夢を見たのですが、その話はまた別でしたい(死体)と思います。起きて仕事にイキ、エクセルで作業をしてお茶くみをし職場じゅうに笑顔をふりまきました。
就業後、鷺宮にアパートを借りた凪子と一緒に新宿に行きました。南口? 東口?から出ました。歌舞伎町のあるホーコーです。で、靖国通り?を歩いて何とかいう神社にイキました。芸能人がたくさん寄進している神社です。
なんだっけ。花園神社かな。
おとうはここで、麿赤児か、麿なんとかという人たちのテント演劇を観たそうです。
「あれはおもしろかった、な?」とおかあに言っていました。
初めて来た路地で、GGGというスナックに入りました。髭剃りあとがのこった中年の女がママで、若い女の子たちからはパパと呼ばれていました。
このスナックでうちはワイルド・ターキーを2本開け、凪子はジンジャーエールを2本のみました。うちの飲むスピードが尋常ではないので、商売人は計算することができず、値段は一本ぶんでした。
のみながら、うちは「Sebben crudele mi fai languir'」をうたい、また、DAOKOの「かけてあげる」を歌いました。
「うまいわね」
とママ・パパがゆいました。
歌と踊りは、人種・血統的に、また実践的に叩き込まれて育てられました。会議はおどる。島では重要な話し合いをしたあとは必ずうたい、おどります。きょう決めたことを忘れないために。ひととひとの心やきもちをひとつにするために。
うたとおどりは、余所から来た人と、元から居るひとを繋げ、仲良くさせることができます。そのため、楽器を弾けるひとは、異様に重宝されます。うちとおとうは音楽家の血をひいていますが、どちらも楽器はものにできずじまいでした。おばあ(沖縄の)と叔母さんふたりはみんな音楽家です。冠婚葬祭の主役はこの人たちです。
せめてということで、おとうはうちに歌唱を伝授しました。というかよく一緒にうたい、おどりました。
「うたは歌うためにあり、楽曲はおどるためにある」
とゆうのがおとうの持論でした。
おどれない楽曲はこの世に存在しない。たとえば、なんとかかんとかの、ピアノの前で座って、何も弾かないという現代音楽も、あれは、その静寂のうちに、聴衆のこころが、また演奏者の心がおどっているのだ。
共鳴しているんだ!
さいごにうちは大好きなディアマンテスの「勝利のうた」を詠唱しました。ノリノリで。
この歌はサビ以外は大体ブラジル語?ポルトガル語?スペイン語?なのですが、テキトーに歌いました。心をこめて。
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