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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(54)あいむなっとすけあど(我不恐怖現在)

顔淵死す。子これを哭して慟す。

『論語』(金谷治 訳注 ワイド版岩波文庫2001年4月13日第2刷)

 個体としては必ず死ぬので、これは仕方のないのことである。必ずあることなのにこれがまだ起きていないので、想像上で恐怖する。馬鹿馬鹿しいことである。かならずおきることなのだからこわがっても何の意味もない。

 悪いことばかりではない。

 おれと西村はメイの話を聞いていた。もうそんなに急ぐことはないだろう。急いで体を動かす時期はもう過ぎている。あとはもう流れにまかせればいい。

 やるべきことはもう分かっている。

 あとはもうそれをやればいいだけだ。おれもミント・ティーをもらってのんだ。カフェインは入っていないやつだという。時計を見て驚いた。23時47分。もうすぐ明日になる。

 ラップくしゃくしゃ選手権。くしゃくしゃにしたラップを元通りにする選手権のことをメイが話した。こういう選手権のことは生まれて初めて聞いた。窓の外を見ると深紫の大気をバックに店内の様子がよく映っている。

 Kという男のことをメイは話しはじめた。メイの子の父親である。

「サランラップがあるやん。ここにもあるでしょう」

 メイはソファに寝かされて、クッションを枕にして仰向けに寝ていた。天井には扇風機が回っている。その影がも同じく。

「それを一回くしゃくしゃにするわけよ。で、それを元通りにするの。真四角にね。あん人はそれの名人だったわけ」

 続けて話を聞くと、この、ラップくしゃくしゃ元通り選手権の、Kは南四国代表だったらしい。西四国、東四国とのラップ差は僅かにゼロコンマ3秒。北四国代表とはゼロコンマ2秒である。

「すごい緊張感だったらしいよ」

「その、えーっと、その選手権は九州でもあるのですか」

「あるやろ。何かラジオで聞いたことがある。相当昔やけどね」

 西村を目を合わせる。西村は首をかしげる。

 というか西村はそもそも九州の人間ではないし、四国のひとでもない。どこだろう。たぶん関東じゃないだろうか。あそこは人がいっぱいいるし。

「すまんけど。帰っていいかな。明日も仕事なんよ」

 振り返ると、ゆきむらゆきおが立っていた。

「お前、ふざ。いい加減にしろよ」と西村。

 二人は店の隅に行き、わーわー言い合っていた。

「ごめんなさい。続けて」

 メイがおれの顔を見上げる。

「何が」

「いや、話をつづけてください。続きが聞きたい」

 メイは空中に手を差しのべたので、そのてを掴んだ。

「Sもおるん」

「いや、いません」

「そうか(笑)そりゃそうですよね。ごめんなさい」

「いいんですよ」

 メイの目尻がふくらむようにして滴が零れた。

「死んだんよ。でもそこにおるわ。わざわざ来てくれてありがとう」

 おれは目線を浮遊させた。どこを見ていいのかわからない。雪子がいたので目を合わせた。雪子はキッチンに居た。

 

本稿つづく

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#愛が生まれた日

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