スタンフォード大学心理実験に寄せて
一九七一年にアメリカはスタンフォード大学で社会心理学の実験が行われた。
大学の地下に模擬の監獄が作られ、新聞広告によって募られた人々が、看守役と受刑者役に分けられ、模擬の、刑務所生活をさせたところどのような行動を取るのかという実験が行われたのである。
実験は当初二週間を予定されていたが、6日間で終了された。
看守役の人々は非人間的な虐待・横暴を為すようになり、受刑者役の中には精神的に追い詰められ実験から脱落する者も出たのである。
実験を主催したジンバルドー教授は「強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう」と実験の結果をまとめた。
これは悪の研究でもあると思われる。先の大戦時に行われた信じがたい非人道的(行為)はどこから来たのかというのは人類にとって謎であった。あったというか未だに謎である。
ある人たちはこれは「凡庸な悪」だと断じた。悪そのものがあるのではなく、ある状況や条件が揃うと人は「悪」を為すという考えである。
夏目漱石は『こころ』(大正三年)において、悪人というのはいない、ただ何か(この場合は金銭がらみである)の条件をにおいて、人は悪人になるのだということを言っている。
集団には、悪がある。
漱石先生がどうお考えになっていたのかは分からないが、ジンバルドー氏や「凡庸な悪」派の人々は、この悪の起源をパーソナリティにあると考えてはいないようである。ではどこにその淵源があるのかというと、「構造」である。またその時の状況・条件である。
集団には悪がある。これはときに腐ったリンゴに喩えられる。腐ったリンゴは周りのリンゴにもその影響を与え、腐食を拡大させてゆくというものである。しかしてこの腐食を止めるためには、腐ったリンゴを除去する必要があるとする。
ジンバルドー氏や「凡庸な悪」派の人たちはそれに疑義を呈するようである。腐っているのは個々のリンゴではない、その入れ物のリンゴ樽であるのかもしれない、とするのである。
余計な解説かもしれぬが、リンゴ樽は比喩であり「構造」を指している、すなわち彼らは人類が今生きている状況、現在のシステム、その条件が腐っているのではないかとの疑問を投げかけているのである。
つぎに述べるのは、スタンフォード大学社会心理実験結果、また「凡庸な悪」派の人々の呈する疑義に対する、私の声明である。
☆
腐ったリンゴが諸悪ではなく、リンゴの樽が腐っているという仮説は非常に興味深いものであり、未来に向けてしっかり考えていくべき問いであると思います。
しかし例えば、あるとき学校でイジメがあり、被害者が自殺するという事件があったとします。この学校の校長先生は衆目の前に出て、説明をする責任があります。
学校には腐ったリンゴ(加害者)がいます、そして自ら命を絶ったリンゴ(被害者)がおり、それを失った保護者(リンゴ)がおります。
このとき、悪いのは腐ったリンゴ(加害者)ではなく、リンゴの樽(構造)が腐っているのかもしれないという問いを校長先生が立てるのはかなりの勇気がいる行為です。言い方を間違えると校長先生が一人全ての責任を負うことになってしまう危険性もあります。
さて、腐っているリンゴの樽は、この場合、学校のみであるのでしょうか。違うと思います。学校がありその外には社会がありまた世界があります。構造に着目するなら、より広域の仕組みに目を向けねばなりません。
そしてそのとき、校長の説明が学校・社会・世界に向けられたとき、果たしてその主張は世間に通るのでしょうか。はなはだ怪しいと思います。「全体の、構造に問題がある」という説明・指摘・仮説を受けて、納得する保護者(リンゴ・子を失ったリンゴ)がいるとは到底思えません。
だからといってリンゴの樽(構造)に問題があるという仮説を否定するものではありません。この問いは非常に重要なものです。個ではなく、構造に欠陥があるという考え方は、個々を罰するその場その場の作業に比べると、より真理に近い可能性があると考えられます。
あるとき学校でイジメがあり、被害者が自殺するという筋書きは、ここではフィクションです。
しかしこのフィクションにおいてすら、当事者(学校長)が、問題は「構造」にあると告発する行動は現実味がありません。こんな勇気を個人に求めてはなりません。この作業はできるだけ多くの、全体での考察において為されるべき課題です。誰か一人に押しつけてはいけません。
そして、いったん事が起きたとき、できうる限り全体において考えるべきこの課題は、考えることが全く不可能になります。
例えば戦争になったとしましょう(これはフィクションです)。兵隊に行った人は、死にます。死ななない人もいますが、死ぬ人もいます。
あるいは父が死に、息子が死に、兄が死に、弟が死にます。
一方、父が殺し、息子が殺し、兄が殺し、弟が殺します。
老人、こども、女たちも死にます。
また一方老人、こども、女たちが殺します。
敗色濃厚な土地では、女たちが強姦されます。乳首が嚙み切られ、髪の毛を毟り取られ、皮膚が焼かれます。
戦勝国では、女たちは清潔なシーツの敷かれたベッドで眠りに落ちます。女たちは夢を見ます、女を犯し、乳首を噛み千切り、長い髪を頭皮もろとも引き剝がし、息も絶え絶えになった醜い人間の形に自らの手で火をかけるという恐ろしい夢を見ます(フィクションです)。
一旦このような状況になった場合、全体で連絡をとり、報告をして相談するような思索は可能でしょうか。
不可能です。
猿から進化した私たち人類には、無理な相談です。
文字の生まれるずっと前から、私たちは人間でした。文字の生まれるずっと前から、人は殺されました、人は犯されました、奪われ、哄笑とともにその身の皮は剝がされました。
一方、文字の生まれるずっと以前から、私たちは人を殺しました、たわむれにこれを犯しました、奪い、悪ふざけのように負け犬の皮を剥ぎ、爪を剥ぎ、これに火をつけて燃やしました(いずれもフィクションです)。
或る年の、どこかの村の出来事です(フィクションです)。
村は、近隣の村から攻撃を受けました。発端は、水です。田畑にひく取水の、取り口の位置で諍いになったようです。
「昔から」と村の長老は言いました、「水を分けるのはこの溶樹の大木のある場所だと決まっている。だからこそこの木をば、分水(わけみじ)の溶樹とわたしたちは呼んできたのだ」
こう言って長老は近隣の村から来た使者を追いかえしました。とはいえ、黒曜石で作った小型ナイフ、猪の肉の塩漬け、玦状(けつじょう)の耳飾り、また翡翠などを持たせて帰したのです。
数日後、集落の外れに人だかりがありました。
外れに住むHという呼び名の一家が惨殺されていたのです。
この一家、Hの家の母親は(この者は山菜を使った保存食を作るのが得意でした)、竪穴式の住居の入り口をはいったすぐの地面で横臥していました。腹は切り裂かれ、汚泥が詰め込まれていました。
またこのH家の父親は、首を切り落とされ、また下顎も切り落とされ、上顎から上の頭部は、先端を尖らせた木の杭に突き通され、その杭の根本は住居の横の地面に突き刺されていたのです。
一家には娘と息子がいました。
娘は十三歳ばかりの、気丈な、親を助け弟の面倒をよく見るという小娘でした。
その娘は隣村に面した田畑の水路に打ち捨てられ、体は水路に沈み、その両脚は水路の畔に足裏を見せて固まっていました。股は血だらけで、何度も、何度も犯されたということを示していました(フィクションです)。
畑の真ん中で、Tという呼び名の息子が発見されました。生きていました。
Tは、ガタガタ、ガタ、ガタと震えていました。声を掛けても、まともに返事はしませんでした。背中には一面血が流れ、その血が固まろうとしていました。見ると背中一面に呪いの文様が、その皮膚に刻まれていたのです。
集落の広場に、村中の人が集まりました。
群衆の前に、長老の姿がありました。
「わたしたちは戦いを好まない」
と、長老が言いました。
群衆はシーンとなりました。
「しかしまた、隣の人たちはそうではないらしい」と長老が言いました。「竹を無暗に植えてはいけないということばをきいたことがあるだろう」
群衆は静かに聞いていました。群衆の中の年嵩なものは頷いて聞いていました。
「竹は、便利だ。若い芽は食べられもするし、生えてのちも、さまざまに形をかえてわたしたちを助けてくれる」
しかし、と長老が言いました、
これはけっして家のそばに植えてはならないと親の親、そのまた親の親からわたしたちはいわれてきた、
だが、隣のものたちはあちこちに竹を植えてきた、
「いくさじゃ」と群衆から声が挙がった、
長老は悲しそうな顔をして、それを聞いていました。
するとそこに幼い子どもがよち、よちと歩み出てきました。
この者はJJという呼び名の、二歳か三歳ぐらいの幼児でした。JJはこの集落で唯一文字を解する人間でした。
この時代、文字を解する人間は殆どいませんでした。文字、というか形象は何かの伝達に使う手段ではなく、Hの家のTの背中に残されたような呪術の、呪いのようなものだと一般には理解されていました。現代にたとえると、原子力みたいな感じでした。
集落の二歳か三歳の幼児がこの辺りで唯一文字を解するというのは比喩です。
長く生きた長老は、人間が人間になってからの歴史全体をあらわしています。
そして二歳か三歳ぐらいのJJは、文字を発明してからのちの、人間の歴史に喩えられています。
人間が文字を知ったのは、実は全体から見ると、すごく最近のことなのです。当時の文字は、現代にたとえると最新の流行の、暗号資産とか、ChatGTPとか、SDGsとかそんな感じでした。
JJはとてとてと歩き、群衆のまえに立ちました。
「暴力で解決されるものは、この世に何ひとつとしてありません」
とJJは言いました。
「暴力が生むものはひとつしかありません、それは、暴力です。そしてそれは無限に続きます」
JJは言いました。
わたしたちは野山を切り開き、美しい田畑を開墾してきました、何代にも渡って。
山に入ると木の実があります、茸があります。
海には貝があり、蟹があり、糸(植物繊維)の先端につけた釣り針を投げ入れるとさかなが獲れます。
またたまたま山から下りてきた猪を男たちが捕まえることもあります。またこの猪を求めて、男たちのチームが山の奥深くまで行くこともあります。
さいきんでは、この猪の(すぐにあばれる非常に厄介な生き物です)、雄と雌を囲いの中に入れ、繁殖させて育てるという試みもされています。
この試みはそう簡単なものではなく、雄と雌の猪を捕まえてきて囲いの中に入れればそれで済むという話ではありませんでした。
なんとなれば雄と雌には相性というものがあるようであり、囲いに入れていればすぐに子をなすものではないからです。畜生にも警戒心があり、ストレスがあります、また好みがあります。
だから統一教会のような一斉の結婚式(フィクションではありません)には無理があるとわたしは思います(笑)。
話が冗長になりました。
わたしたちは何より竹の民です。竹は食器となり、籠となり笊となり、また家を囲む垣となります。わたしたちはこの竹をもって富をなし、海を越えて交易もなし、ゆたかな経済をなして暮らしてきました。
竹は武器には向きません。竹に生きるわたしたちは戦いをしてはいけないのです。
「いくさをしてはいけません」
二歳の顔をキッとさせてJJは言った。
いくさで得るものは何もありません、あるいは一時は敗戦国の民を酷使し、富や労力を搾取できます、しかし、次の世代、また次の次の世代から必ず復讐を受けます。
あなたたちが怒るのはすごく分かります、なんとなれば同じ集落の、仲間がこんなにも酷い目に遭わされたのですから。
しかし、それは復讐と同じことで、一見正義みたような形をしていますが、未来に遺恨の種を蒔く、持続可能な復讐なのです。一旦始めれば未来永劫続きます。
JJはちいさな体で、声を限りに群衆に向かって呼びかけました。しかし。
誰もJJの話を聞く者はありませんでした。
そもそも、この発端は川の取水の、取り口にあります。
分水(わけみじ)の溶樹の話がありましたが、なぜこの溶樹の場所が分水(わけみじ)なのかという話は、まだされていません。
もしかすると、この場所が分水(わけみじ)というのは間違っているのかもしれません、
あるいは、ある時はここが分水(わけみじ)だったのかもしれません、しかし、今の世は人の数も増え、あたりは交易もあり、人の交流もあり、海の向こうからは文字も齎(もたら)されました、
こんなことには何の意味もない、
何の意味もありません、
ただ、人が死ぬだけです、
お願いです、気づいてください
話し合うべきです、
話し合うしか解決方法はないのです。
JJは必死で人々に語りかけました。
しかしその言葉は生まれて間もない喃語みたいな感じでした、人々に届くのは難しいようでした、少なくとも、今は。
いくさは起こりました。
このいくさは兵士たちによるいくさではなく、殲滅戦のようにして行われました。というのも隣の村のもくろみは、村をまるごと奪い取って、増えてきた人口の土地や畑に充てようというものだったのです。
殺戮は熾烈をきわめました。
どちらが勝ったのかという結果は、どうでもいい話です。いくさというのはいつの時代においても、どのような理由のもとにおいても、いくさはただの破壊です。文化・文明を壊す、ただただ無駄な、虚しい行為です。
あとに残るものは、憎しみと、悲しみと、いつまでも消えない恐怖の記憶だけです。
集落を見下ろす山の上に、Tと、JJの姿がありました。
ふたりの子どもが生まれて育った集落は、あたりに人の死体があまた転がり、人間の建てた建造物には全て火が燃えて、黒い煙をあげてぶすぶすと音を立て、燃え尽きようとしていました。
建屋の影が少なくなった土地の境域は、山の上から見下ろすと、思っていたよりも狭いような感じがしました。集落の広場には、女たちが集められていました。老人たちは別のスペースに集められ、左右の腕を両側から二人が掴み、土下座させるような姿勢にして、三人目が太刀を振り下ろしその首を刎ねました。
子どもたちも別のスペースに集められ、貫頭衣の裾がめくられ、性別が確認されました。女は女たちの居る場所に送られ、男はその場で首を刎ねられました。
「行こう」
とTが言いました。JJの手を握る手をぎゅと握りました。
手を引かれて、よろけるようにしてJJは集落の様子を、振り返り目に焼き付けるようにして見ました。
ふたりは山を集落とは反対に下りました。
JJの背には、そのちいさな体には不釣り合いの竹籠が背負われていました。「はやく、逃げるぞ」と急かすTの声を聞きながら、JJは集落で造られた竹の細工を籠に入れられるだけ入れて、背負ってよちよちと歩いたのでした。
TとJJの暮らす集落は昔から竹の細工が特産で、その細工をもって近隣、また遠方、さらには海を隔てた大陸とも交易をなし、黒曜石のナイフや耳飾り、翡翠の首飾りなどを手に入れていたのです。T・JJの村を「竹の民」と呼ぶ人もおり、それを記録に残す国もありました。
山道をTに手を引かれ、ふらふらしながら、JJは呪いの文様の生傷に覆われたTの背中を見上げました。JJには文様が文字だということが分かるのでした。
ぶつ、ぶつと言って、手を引かれながらJJはその文字を読みました。
そしてその意味を踏まえて、心から湧き上がる思いを文にして、唱えました、可愛らしい声で、独り言のように。
「いかに、なんじら。われらのいのち、打つ太刀にはほろびぬぞ。その太刀こそ、なんじらの身とおなじく、やがては地に錆びて朽ち折れよう。なにをもって利(り)鈍(どん)を論ずるか。われらのつくる竹の細工は、あらゆる食器となり、また垣となり、籠となり手提げのバッグとなり、細かくなって茶筅ともなろう。数は無限、用は無量。ひとの住むかぎり国のはてまでも、つねに日日の生活にそなわる。われら、細工とともに世世かけて、あらわれては消え、死んではまた生き、いのちのながれ永く尽きぬぞ」
竹藪を分けて、TとJJの背中は消えて行きました。
これは今から三千年まえの話です(全くのフィクションです)。
喩え話が長くなりました。
言いたいことは、一旦事が起こって後では何もかもが困難になる、ということです。
腐ったリンゴが諸悪ではなく、リンゴの樽が腐っているという仮説は、これを考える時間は、実は余りありません。
平和というのは平和というか、戦争と戦争の間の時間に過ぎないという言説がありますが、これを信ずるとすれば、林檎樽腐説を論じるのはこの間の僅かの平和の時間しかありません。
一旦事あれば、戦争になれば、林檎殺林檎、あるいは林檎殺林檎、としかなりません。言葉、言語、言説はほぼ役に立たなくなります、じっさいにそうでした。
JJも、そうでした。
孔子もそうでした。
スタンフォード大学心理実験もおそらくそうなります。
人と人が話し合える時間は実は余り長くはありません。
余計なこと、嘘やいつわり、馬鹿のふり、テキトーな言説、行き過ぎた融通・方便論、嘘っぱちの現実主義、などを聞いている時間は無いと思います。
私は林檎樽腐説の検証として、林檎樽腐の中にいる、私や、私の身の回りの記録を残そうと思っています。
この記録については、別稿に譲り、いったんこの稿はとじようと思います。
ご清聴ありがとうございました。
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