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【中編】トゥンジュムイの遠い空②

 小屋の中で横たわり、男は紙片を指につまんで鼻先に眺めていた。その紙片は、新聞だったか雑誌だったかの切り抜きで、ある映画女優の写真であった。バストアップのポートレートで、女優の視線はこちらではなく、カメラの斜め上を見上げていた。年少の頃、仕事場の紙古の中にその写真を見つけた男は、ぴんときて指で折り目をつけ切り取って袂に入れたのであった。

 女優の名前は忘れてしまっていた。いや、もとより知らなかったのかもしれない。男は字を読むのが苦手で、さらにはある種の記憶力も良い方ではなく、人名となるとまるで覚えられないのだった。ある日、職場で〇〇さん、〇〇さんと言って話をしていた人物を、しばらくすると名前をすっかり忘れてしまう。次にその人を前にすると、頭の中が真っ白になり、名前だけでなく他の言葉も何もかも出なくなってしまう。一方、一度か二度会った人の顔はいつまでも覚えて忘れない。男は、典型的な映像記憶型のタイプであった。

 その女優は、日本人にしては目鼻立ちがはっきりとしており、肩幅も広く大柄な印象の体つきをしていた。腕を組むように、右の手は左の肘に、左の手は右の肘に添えるようなポーズを取っており、その真中で胸の膨らみが、胸の下の影が濃く印影されているためによく見て取れた。女優はとにかく色が白かった。紙片は経年により日に灼けて黄色みを帯びてきていたが、女の肌の白さはまるで劣えず、いや、ますます白くなってきているようだった。長年眺めて来ているので、男には、その白黒刷りを通して、女の本当の皮膚を目の前に感じることができるようになっていた。だから、めったなことが無い限り男はその女に触れることはなかった。時には、垢の詰まった不潔な爪先で、女の顔の輪郭をなぞることもあった。紙片を鼻のすぐ下まで近づけて、匂いを嗅ぐこともあった。紙片は乾燥し、日向のにおいがするのであった。

 男は手淫をさかんに行う人であった。好んでやるというよりも、やむにやまれずといった具合のようだった。朝と夜には必ず行った。必要とあらば職場のトイレでも行ったし、学校に通う頃は学校の便所で行った。昼間の手淫は一回の日もあれば二回の日もあり、三回以上ということもざらにあった。その相手になる女はいろいろであった。同じ職場の崎山在の年下の女であったり、女教師の場合もあったし近所の同年代の娘であったり、道を行く見知らぬ女であったりもした。兎に角男は一度か二度見た映像を寸分も違わず記憶する能力に長けていたし、その映像をヴァーチャルに自分の思うがままに縦にしたり横にしたり、ぐるりと反転させたりすることもできた。男が相手に求めるものは二つ、体つきと色の白さであった。顔に関していうと、男は殆ど気にしなかった。気にしないというより女の顔は体についている付属品ぐらいにしか思っていなかった。そういう意味で、化粧をするという女の行動は男にとって全く不可解なことであった。付属品の方を本体よりも大事にするその生態は馬鹿げたことだと、見下していた。そんなことよりもたくさん飯を食って体を大きくした方がいいのではないかと思っていた。

 父親の亡くなる前後、十代の後半の頃から、男の顔にはニキビが目立ちはじめていた。いや、目立つどころではなかった。見ていられないほど酷かった。ある日、大きなニキビが活火山のように吹き出しその頂上がドロりとした膿を膨らますと、その山の中腹にまた新たにニキビが出来膿が黄色く濁り、その隣にニキビが出来てまたその隣に、というように、男の顔は短期間であっという間に顔全体が腐ってそのまま頬が落ちてベチャッと音を立てるのではないかとそんな状態になっていた。

「おまえ、コキ過ぎよ」 とある日職場の年下の同僚に言われた。煙草の煙をぷうと吐き同僚は蹴蹴(ケケ)と笑った。

 同僚が言うことを真剣に聞き男が理解したところは、手淫ををするごとに悪い気が身内に溜まりその気が外に出てニキビになるという。体外に放出する白い体液は、出せば出すほど反比例するように顔に吹き出す膿に変わるのだという。

 男は深く反省した。

 が、とはいっても手淫の癖をすぐに矯正しようとしても、相手をする女がたくさんいて中々そうもいかないようであった。色が黒くて小柄で体は生気に満ちたようによく動き甘酸っぱい匂いのする職場の同僚の女は、その頃嫁に行って退職した。と思ったら一ヶ月もしないうちに月桃の葉に包まれた鬼餅を風呂敷に包んで職場にやって来て、その時はお腹が大きくなっていた。男はそのお腹を見てギョッとし、また鼻白らむ思いにもなったものであった。

「おまえは頭がよく回るから、きっと出世するだろう」と、父親に言われたことがあった。

 頭が回る、というのは計算が早いということである。確かに男は計算が得意であった。家でも小さな壷に入れた小銭の合計額を誰よりも早く導き出すので母にその係りを命じられたこともある。

 職場でも蒸溜した大壺の酒の重さを計り、何本の瓶に入れればいいのかという計算をし、ほぼ正確な本数を割り出したこともある。ただ、この場合やはり算盤を用いた職人のほうがより早いし(とはいえそんなに差はないのだが)、より正確なのであった。男は算盤の用い方を知らなかった。

 男の父親は痩せていて小柄だった。腰が悪く日がな床に横になって新聞を読んだり、どこやらから手に入れた古い雑誌を読んだりしていた。

「元々はうちの家は士族で……」

 と、ある日父が話したことを男は覚えている。死ぬ少し前だったかもしれないし、もっと前の出来事だったのかもしれない。どちらにしても、男が父に先祖の話を聞きたいと言ったときのことだったと思われる。父は首里で一人ぼっちで、親戚もいない謎の男だったのだ。

「薩摩侵攻のあと山原に移住したのだ。羽地という村の山の中で一族が生活をしていた。おとうは、そこから首里に戻ってきたのだ」

 家族の中で、男に優しくしてくれたのは父だけだった。だから、男も父が一番好きであった。「元々は」という言い方も好きになり、口癖になった。口癖といっても、男はほぼ誰とも話しをしないのであったが。

 ともあれ、男はトートーメー(位牌)に向かって頷くように頭を下げた。寝転んだままのこの有様は、流石に失礼だとは思った。それでも、腹の皮が背中にくっつくような空腹に苛まれている現状においては、そういった行動が、よう、やっとのようであった。

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