【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(51)ごめんなさい、冗談です
冗談というのは白い冗談と黒い冗談がある。マイケル・ジョーダンという人の所業は白い方である。素晴らしい、夢のような動きと垂涎のようなジャンプの軌跡。途轍もないスピードとめくるめく感謝。100マイルの車に乗りながらわたしたちはまるでダイナーに座っているようにして話し、チーズバーガーと寿司を食べた。食べていた。コーヒーもあるしほうじ茶もある。
いつまでも喋っていたアウト・バーン。シルク・ロード。敦煌。東方。逆走する文明たち。
「西村さん」
とおれは言った。「この症例は、もうおれの手には負えない。あなたはどう思いますか」
「ふむ」と言って西村四郎はメイの目を見た。左手でメイの脈をとり、右手でメイの下瞼をひらいてじっくり見た。
ドクター。流石。すごい手並みだ。とおれは思った。
西村はメイの袖をまくって確認した。「ふむ」と鼻の息。
背後に声がするので振り返った。クリス(クリトリス・ブラック)とフェラチオ・グッドマンが何か言い合っている。五月蠅い。
おれは二人のところに行った。
「えーっと、アイ・ノウ」とクリスに言った。「ユー・セイ、ファッキン・ジャップ? パードン」
「王、能生」とクリス。
「あははは。ソーリー。じゃすときでぃんぐ」
「イエア」
「OK.シャット・ファック・ユア・マウス…」おれは振り返って、またクリスを見た。「霊でぃーす・エンド・ジェントマン」と言ってグッドマンを見た。「プリーズ・ジャスト・クワイト」
グッドマンが何か言おうとした。
「プリーズ。ファッキン・プリーズ・メン」
橋を渡ってトラックが店、スノー・ガーデンの前に停まった。肉屋のトラックである。
ドアが開く。
「ちは、三郎(サンルー)です」と長髪を後でくくった男が入ってくる。「え、まだ店やってんの」
キッチンの奥から、四十がらみの女が出てくる。初めて見るキャラクター。
「Kさん。こんばんは」とサンルー。
そうか。この店の店長はあの人ではなく、Kさんだったのだ。
「さんちゃん、ごめんね。たてこんでて」
「出直します?」
「い、いや。おねがい」
「ふん、ふっ」とサンルー。「血のにおいがする。国道もめちゃ混んでたし。ここも関係あるん? あの、なんだ。えーっと、通り魔の。あれですか?」
「さんちゃんええから運んで」
「はい」
サンルーはビニールに包まれた冷凍肉を運び込んだ。奥のキッチンがざわざわしている。
「価格が安なるのはええけど。商売人にはきついわな」
「したっけ物が安なってるからね」
「そやね。ほんまそうやわ。あんた牛丼さいきん食べたかね」
「行かんね。魚が好きやけ」
「いやー、あれはビビルわ。安い。あれでどうやって給料出すんやろ」
「なんか、どこかの肉なんやろ。アメリカとか、なんとかゆう」
「そやろな。うちは大分と宮崎やから。あと佐賀やな」
「うん」
「しかしギリギリやわ。ちょっと思うんやけど、そのうちだれも牛なんて飼わなくなるんやろか。豚も鶏も」
「そやな。うちんとこは筑豊やけど、米ものーなった」
「うーん。そやろな」
「そのうち、食い物は全部のーなるのかもしれん」
「かもしれんですね。そう思う。消費税もまた上がるんやろ」
「そーなん」
「そうらしいよ。まあ、物が安いからいいけどな」
「今はな。でも物が無くなったら高くなるやろ」
「そんときはそんときよ。潰れんようにするのに必死よ」
「お互いな」
連理の枝。比翼の、あれ。毒を喰らわば。
皿が割れつつあった。当時。グレイビー・ソースがこぼれていた。キッチンから食卓に運ぶまで。
だから、父親はいつも不機嫌だったのである。
本稿つづく
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