
ジャン=バティスト=カミーユ・コローについて
二十代の頃、北九州市美術館でコローの絵を見た。大学の授業の一環で行って、ふーんという感じで美術館を歩いていたのだが、一枚の絵の前でしばらく立ち止まった。
なんか、森。川。人が何人か。風景画というのか。絵のことは当時も今もぜんぜんわからない。その絵も、別に変わったところがある絵ではなかった。目の前にこういう景色・風景があるのでとりあえず写しました、というような絵である。
この絵がほかの絵と違うのは、ただ写したんだろうなというところ。写すというのは主観者の雑念がかならず入るが、この絵は、おそらく雑念をできるだけ消して描いたのだろう。ものすごく生々しかったし、だから夢のようだった。
ここに行きたい、と思った。そう思ったのでしばらく立ち止まったのである。画家の名が記されている掲示板を見て、コローという人だなと覚えた。
たしか、小沼丹(大学の先生で小説家、井伏鱒二の弟子)の小説にコローの名が出ていた。小沼丹はコローの絵を持っていたそうである。うらやま。
コローは、バルビゾン派という、派に属していたらしい。派というから他にも人はいたと思うが、コローしか知らない。というかコローの絵はその後見かけたことがない。
画家というのは人気稼業なので、有名な人の絵はなんとなく、ティーヴィーとか、チラシとか、美術館でお目にかかるが、バルビゾン派もコローも、中々見かけない。見かけないというか、あれ以来見たことがない。
ネットで調べれば出てくるのでバルビゾン派もコローも実在はしていたのだろうと思う。死ぬまでに、あの時見た絵を、もう一度見たいと思う。