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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(69)しろいろの街と弁ヶ嶽

 見えないものをみるのではなく、見えているのに気づいていないものをみる。見ようとすること。

 おれはスノー・ガーデンの入り口の前で立ち止まった。

「昼間、あんた、小学校の頃と同じ目で私を見てた。あんたは、いっつも私のこと、見下してた」

 今日のは違うよ、と言う前に、信子ちゃんが続けて叫んだ。

「あんたなんか……あんたなんか! いつも、人目のないところでだけ、ニコニコすりよってきて! いい人ぶって、私のこと本当は見下して!」

「そうだね。うん、そうだった」

 私が認めて頷くと、信子ちゃんは井上くんに突進したときと同じ形相で、私に摑みかかってきた。

「お前なんか!」

 信子ちゃんに突き飛ばされて、私は尻餅をついた。習字の鞄が開いて、中の道具が散らかった。

 信子ちゃんは転んでいる私に、道具を拾って投げつけてきた。硯やら、文鎮やら雑巾やらが私の身体に当たって跳ね返る。

「死ね! 死ねえええっ!」

 私は、涎を飛ばして怒りのままに叫び続ける炎のような信子ちゃんに、ぼんやりと見とれた。

 墨汁の入ったプラスチックの入れ物が心臓のところで大きく跳ね、蓋があいてなかの液体が飛び散った。驚いた私はバランスを崩して、頭の後ろを公園の地面にぶつけた。

 仰向けになった私の胸から、どろりと墨汁が流れ落ちる。

 目の端に、公園の椅子が入った。それは、昔、若葉ちゃんと信子ちゃんと私、三人で座って、「クラスが離れても親友だよ」とおそろいのブレスレットをつけた場所だった。

 見上げると、信子ちゃんは鼻水をたらしながら泣いていた。

 私は血のように胸から飛び散った墨汁を、ぼんやりと指でたどった。

 めらめらと炎のように燃え続ける信子ちゃんは、泣きじゃくっているのに、こちらまで彼女が生きている熱気が伝わってくるようだった。信子ちゃんは、この巨大な骨だらけの墓場の中で、燃え上がる命の炎だった。生命そのものだった。

『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香 朝日文庫 2023年3月30日第9刷)

 弁ヶ嶽は首里東端の独立丘で、本島中南部の最高峰、標高165.7m。丘の中には大嶽、久高島遥拝の小嶽、斎場御嶽遥拝所という王国古来の三つの祭祀場がある聖地である。大嶽の左には弁之井戸(ビンヌガー)という井戸があり、また当時その傍らには32軍通信隊の監視基地としてトーチカが設けられ、弁ヶ嶽の頂上の無線施設で受信した電信文を一中健児隊の少年兵が2キロ弱離れた首里城地下の司令部まで走り届けるのであった。弁大嶽(ビンヌフウタキ)には尚真王時代に園比屋武御嶽石門を造った西塘によって、1519年に造られた石積みの大門がある。神名は「玉ノミウヂスデルカワノ御イベヅカサ」という。その意は「由緒正しい御氏の孵(すで)る泉」というもので、いまいち意味がよく解らないが弁之井戸の水神を祀っているもののようである。今述べた施設は、1945年五月三十一日に首里城(32軍司令部)が陥落する頃には、弾痕の残るトーチカのほかは、全て戦火の灰に帰している。

 弁ヶ嶽の暗闇を歩き、男(トクスケ)はいつしか大嶽の前の広場に座っていた。門の前に踞り、いつまでも動かなかった。ふと「元々はうちの家は士族で……」という父親の声が聞こえるようだった。タツエイ伯父は逃げろと言うが、しかし男には行くところなど何処にもなかったし、逃げたところで繋いだ命のその使いかたというのも今となってはもう分からないのだった。ウ、ウ、ウと男は泣くようであった。「元々」のその更(さら)に以前、はるか昔、いやというよりも本来の、ある存在でしかない姿に男は孵(すで)るようであった。男はまったく、ひとりぼっちであった。

【中編】トゥンジュムイの遠い空⑨終章

 店の中から雪子が出てきた。おれたちは手を繋いだ。

本稿つづく

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