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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㊴暗闇の底

 浅瀬を渡る水牛の尻よりも暗い、暗闇の中におれはいた。どこまでいっても底がない。

 31歳だ。と思った。

 あの頃。

 起きるのが嫌だった。ずっと眠っていたかった。悪いことには果てがあると思っていた。底があるとおもっていて、そこにつけば、そこで立ち上がろうと思っていた。

 しかし。底はなかった。あるいはあるのだろうか。まださきに。もっと先に?

 兎に角状況は日々悪くなっていって。すこしずつ。すこしずつだが確実にわるくなっていった。

 どうすればいいのか。分かっているがわからない。わからないことが分かっている。どちらなのか、もうわからない。おれは生まれてから一度も自分でじぶんを救ったことがない。自分で決めたこともない。いや、あるかな。どうだろう。微妙。

 そのときも救ってくれたのは雪子(妻)だった。

 雪子はインターネットで日雇いの派遣会社をさがしてくれた。そこに電話をしろと言った。言われたので電話をするとすぐに仕事が決まった。

 以前、就職活動用に買った安売りの黒スーツを着てしごとに行った。

 たぶん、そこが底だったのではないか。

 そこには弱いものたちと、普通のひとたち、圧倒的な勝ち組とその勝ち組からのおこぼれを貰おうとひっしなハイエナたちがいた。輝くステージと真っ暗な客席。たしか、武道館だった。

 客席には普通のおんなたちが沢山いた。かぞえきれないぐらい。

 ステージの上には、輝く男たちが数人。十数人? ほんの一握りの成り上がりものたち。世の中にはこんな音楽もあるのだと思った。おれには関係のないおんがく。

 おもえば同じステージに、かつてザ・ドリフターズもザ・ビートルズも立ったことがあるのだった。うそみたいな話だ。

 その仕事を終えて、雪子にも言われて、おれはその時着ていたスーツ上下を捨てた。もともとくたびれていたスーツだ。ゴミ箱にすてた。

 遁世するにはまだ、まだ若過ぎた。おれにはまだかのうせいがあったし、もう二度と、あんな世界は御免だった。

 と、いうわけで還俗した。よくわからないエネルギーに満ちて、おれは仕事をさがした。自主的に。

 ひととひとをつなぐ。

 そう。そうだ。

 もうあのときのおれとはちがうんだ。

 男と女、女と男、男と男、女と女。

 組み合わせは三つだけ? すくな。

 ほかにもあるのかな。

 それはさておき。そうだ。おれは、ミルミルヤレルの社員だ。しかもこの日は、ディレクターだ。おれの初舞台。

 ステージに上がれ。JJ。時間を無駄にするな。気をしっかり持て。

 おまえが舵を取れ。主人公はおまえだ。負けてはならない。光の中を。

 光の中を歩むんだ。

 

本稿つづく

◇参考・引用
 『ビッグ・リボウスキ(字幕版)』1:20:15~(1998 prime video)

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00O0FWR0M/ref=atv_dp_share_cu_r

#連載小説
#愛が生まれた日

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