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【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日(63)全米ライフル協会

 州によって、或いは週によって違うのかもしれないが、アメリカでは銃の所持が認められている。極東のこの島では、種子島以来、一般人がいわゆるガンをいっぱんてきにしょじしていたのかどうかは不明である。

 函館には五稜郭がある。はこだてという名まえにも、ごりょうかくにも意味がある。元々居住していた人たちを追い出したという記憶である。

 郭というか城(グスク)には人々の願いが込められている。もう殺し合うのはいやだ。めんご(謝罪)。平和。それらの恒久的な心の底からの思いが具現化し、関所や見張り所、竹矢来で囲まれた陣が作られる。

 メキシコとの国境に設けられつつある壁もそうである。万里の長城の現代版。もう来ないで。近現代の法を守って。野蛮な振る舞いはもう十分。

 一般常識として、アメリカ人が銃を手放すことは有り得ない。彼らはユナイテッドということをけして信じていない。個々。一切事は個々にある。神は知らないが、その他の存在は信じていない。おそらく家族も。北アメリカ大陸はおそろしい孤独に覆われている。

 どうしてそんなことになったのか。

 おこたえしましょう。

 人から奪った者、ひとを殺したもの、他の宝物をしかるべき手続きも経ないまま私した者は生きている限り怯えつづけます。だって当然でせう。元々自分のものじゃないんだから。

 自分のものではない土地、じぶんのものではない空、自分のものではない空気やアトモスフェアや湿気。植物。地平線に向こうはその先祖の誰も見なかった青い空と雲のかたち。

 汗臭いシーツに包まれて眠りにつく。ねむれるわけがない。血で汚れた両手が生臭い。女たちを踏みつけた悲鳴がブーツ越しに耳に残っている。

 もう二度と、寝れない。腹の底から笑うこともない。

 だからなんだ。生きるというのはそういうことだらう。

 八人の敵がいる。上等よ。

 腐った現世に、銃を片手に切り込む。生きるために。

 戦いたいのではない。ただ、生きたいのだ。こんな簡単なことも認められないのか。

 憎い。何もわからない金持ちども。

 涙の塩辛さで麺麭を食べたこともない世間知らずの……。

 正当防衛。過剰防衛。

 この土地は二度と渡さない。俺・私のものだ。その権利が記された書類は鍵をかけた、上から三段目の抽斗(ひきだし)に入っている。

 二番目のひきだしには写真が入っている。

 一番上には薬がある。そして今この手には銃が握られている。

 だってチャイムが鳴ったもの。当然でせう。

 誰だか知れたものではない。

 

本稿つづく

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