【連載小説 中篇予定】愛が生まれた日㉝しゃりバテ……甘いものについて
椅子に座って。あのときとまったく症状が似ていた。六根清浄。
「雪子」
と、おれは妻を呼んだ。雪子、これ、しゃりバテだ。体内の糖分が、何らかの理由で、長期に及ぶ肉体の酷使や精神的ストレス、身体をうごかすエネルギーが急激に消費される際の反応。
雪子とはいっしょに山も登ったことがあるし。夫婦なので。あっちのほうの頂上(ピーク)にも達したことがある。
何も言わずに、雪子はどこかに行った。そう。おれは何かを食わないといけない。炭水化物。脂質。タンパク質。ビタミン。繊維。いろいろあるけど兎に角食わないといけない。東亜細亜人なので、やっぱり結局南極米を食べないといけない。
アルファ米ではない。ほんものの米を食べること。たとえ腹がへってなくても、先に食べておくこと。先のさきのさき。先を見通すこと。何があるかわからない。人生。
そんなに甘いものではない。
ちなみに、令和六年現在、作者と暮らす家族のうちで、甘いものを食べる人間はひとりもいない。理由はよくわからない。私も妻も子供も。猫ですら、甘いものは食べない。
だから。というか遊びに来る人たちは菓子折りを持ってくることもよくあるが。いや菓子というのはそもそも甘いのだろう。甘いというのは、日本語では「うまい」に通ずる。甘いものはうまいのだろう。
まあそうなのだろうが、私や猫にはそうではないようである。別にきらいではないが。すきではない。しゅー・くりーむとか、ときどき食べたいなあと思うことはあるが、二年に一回ぐらいである。チョコレートの味はすきだが、まる2年はたべてない。そう。あれはうまい。なんとかサンダー。チョコの。思い出せない。
息子にしてもそうだ。アイスは食べる。たべているみたい。しかし、その他の常温の甘いものは食べない。だから、菓子折りはずっとそのまま。焦る。賞味期限をときどき見る。すこしでも食べようと思うが口に入らないものははいらないし入れなければ噛むことも嚥下することもない。パッケージのまま。
だから。
最近は何を貰っても嬉しい。何でもうれしい。ありがたい。私たち(私・妻・猫・息子)が食べないものでも。もらったら、たべる人にあげればいい。甘いものが好きという人は一定数この世にはいる。というか食べないという人よりも比率としては多いかもしれない。
そういう人にあげればいいのだ。もらった人が甘いものが好きであればよろこぶし、あげる当方としては助かるし、ウィンウィンである。それでいいじゃん。誰も損しないしだれもわるくない。やり方次第というわけ。
あまいとうまいはたしかに似ている。
でも、どうだろうな。うまみ、とあまみ。やっぱ似ているのかな。
ぶっちゃけ甘いものは苦手です。
本稿つづく